Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

名寄駅 深名線 9月3日 2014年

2015-02-25 | Weblog
深名線終着駅「名寄駅」にやってきました。

道央の交通の要衝であった名寄駅は「深名線」をはじめ、「宗谷本線」「名寄本線」、企業の専用線等がジョイントする一大ターミナル駅でありました。

そして「深名線」、「名寄本線」はそれぞれその役目を終え廃止となり、今では「宗谷本線」だけが稚内へと走る「通過駅」となってしまいました。

駅正面は往時の栄光と威厳を示すかのような堂々たる構えです。

大屋根には「ドーマー窓」風の時計塔とその下の付け庇には対称に「破風」のような装飾が施されています。

列車が到着したようですが、駅舎から出てくる人はお年寄りが数人とまばらです。



「破風?」には懸魚(げきょ)ではなくて「名寄駅」の駅名標が掲げられています。

歴史の重みを感じさせる書体です。

その奥にはメダリオンのような装飾が見えていますから、この駅名標は、後にここに掲げられたものではないでしょうか。



ホームにはキハ54形気動車が停車しています。

この車両には学生さんなど大勢の若人が乗車していました。

自身が歳をとったせいもあるのでしょうが、こうした光景を見ると「清々しい」気分になります。



キハ54形気動車とその向こうには、大好きなキハ40形気動車が停車しています。

私はこの北海道カラーのキハ40形が大好きです。




ホームから見ますと、路盤の隣にはやはりバラストが残る路盤と思しき跡を見ることが出来ます。



1番線終端部から稚内方面を見ます。

やはり路盤跡とホームを見ることが出来ます。

こちらは、貨物駅“名寄オフレールステーション”になっていますが、その前は貨物駅として列車が入線していた跡なのでしょう。

現在は貨物の取り扱いは、そのコンテナの山を見ても分かるように、鉄道ではなくトラックで搬出を行っているようです。

なるほど…「オフ・レールステーション」ってそういう意味なのですね。




「“深名線”の遺構など現在残っているものはありますか?」などと駅員さんに尋ねました。

しかし、「撤去されて今は何も残っていない」…とのことでした。

最初は、「ここが深名線のホーム跡かなぁ?」などと想像したのですが、前記のようにこちらは貨物線のホーム跡です。




旧深名線ホームは、このホームを深川方面に歩いた先にあったのではないでしょうか。




Wiki に掲載されていた国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)です。

1977年名寄駅周辺の画像ですが、名寄本線や深名線、宗谷本線のそれぞれの位置関係がはっきりと分かります。

名寄駅構内はかなり規模の大きな施設なのが分かります。

転車台や機関庫もはっきりと写っています。

駅周辺は整然と区画され繁華な街並みが広がり、多くの人々の生活がそこにあったことが偲ばれます。

ブルーの矢印…野球場のスタンド裏になりますが、この辺りが現在「キマロキ編成」が展示されている場所になるのでは…と思います。

先の「深名線ホーム」の場所も、この写真から「やっぱりあの場所かぁ~」と理解することが出来ます。




駅構内とホームを鑑賞して、再び駅前ロータリーから入場券と駅舎を撮影します。

これで「深名線廃線跡巡り 2014年」は取り敢えず終了!です。

さて…あとは日本海を横目で眺めながら「日本海オロロン・ライン」を稚内へ走るだけです。


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