Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

D51-23号機 富内線 振内駅 北海道旅行 9月1日 2014年

2014-12-30 | Weblog
振内駅跡構内に展示されている「D51-23号機」を鑑賞します。

この蒸機とは2度目の対面です。

まだレールファンとして半年くらいもたたないときにこの鉄道記念館に訪れています。

とは言ってもその頃は「D51蒸機」にしか興味は無く「D51-23号機」に導かれて来たようなものでした。

形式名のD51と車番の23との間の“ハイフン”のその意味すらも分かっていませんでした。




日本中の多くの蒸機を見て歩いてきた現在でこそ、一目で輸出仕様のD51はすぐに判別できますが、あの頃は「?マーク」が一杯でしたね。



「DeAGOSTINI」のクラフト・マガジン 「D51を作る」のお陰でD51のディテールを覚え込むことができました。

いまこうして「D51-23号機」を鑑賞しますと、細部はともかく紛れもないD51の骨格?を確認することが出来ます。

もうあれから3年の月日が過ぎてしまったのですね…

あの時の「D51-23号機」の佇まいは少しも変わってはいないように見えます。

2011年の「D51-23号機」の記事はこちらから…



いつものように「公式側」から鑑賞してゆきます。

もうすっかりこの作法は身につきましたね。

「D51-23号機」の外観は2011年の頃のそれと殆ど変わらず、「カサッ」とした油の抜けた外観です。



シリンダー・カバーの点検口からは草花が顔を出しています。

シリンダー・カバーの内部はかなり湿度が溜まっているということですね。





コンプレッサーは国内仕様のオリジナルと比べると「小ぶり」な感じがします。



キャブの窓部には不透明な“アクリルプレート”のようなもので塞がれていて中を鑑賞することは出来ません。



キャブは寒冷地仕様で密閉型となっています。

2011年に訪れたときには、キャブのドアー下に「寄贈 福本 次雄氏」というプレートが掲げられていたのが印象的で記憶にも残っていたのですが、今はそれは撤去されてありませんでした。

なぜでしょう?



公式側後方からテンダーを含めて全体像を見てみます。

紛れもない「D51」スタイルですが…

テンダーのパネルが妙に「ツルン~」とした印象も受けます。



テンダー後部もやけに「サッパリ」とした印象です。





非公式側のキャブ窓のアクリルプレートには、まだ“透明度”が残されていて、キャブの内部を観察することが出来そうですが、キャブによじ登る足場が無くてそれは断念しました。

こちら側は「日陰」になっていて、太陽の直撃を受けなかったのが幸いしたのでしょうね。

2015年の装備に「脚立」と「長靴」を加えようと思うオジサンでした。



主連棒の赤の塗装はその鮮やかさがすっかり失われ「朱色」のようになっています。

ボデーのカサカサ具合とマッチしています。

ここだけ色鮮やかだったら逆に違和感ありますね。




こちらのシリンダー・カバーもかなり状態は悪そうですが、日当たりが悪いせいでしょうか、草花が点検口から顔を出しているような惨状は呈してはいません。



初めて出会った頃から3年の歳月が流れ、レールファン歴超初心者だったオジサンもいっぱしのSL初心者となれました。

「超初心者」→「初心者」ぐらいにステップアップできたのではないでしょうか。

暫く振りに2011年の記事を読み返し、撮影した写真を見てみました。

この頃はまだ何も知らなくて、写真からは「とにかくD51を沢山見てやろう!」という気迫のようなものが感じられました。

今年2014年に撮影した写真を見ますと、すっかり「おすまし風」少し上から目線を感じました。

まだまだ初心者の気持ちを忘れずに真摯に蒸機と向き合う気持ちを忘れないようにとサハリン帰りの「D51-23号機」が諭しているようです。

元気でなぁ~「D51-23号機」

また来るからね。


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