Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

細倉鉱山駅跡 栗原鉄道 8月27日 2016年

2016-11-18 | Weblog
Wikiの解説によりますと、「くりはら田園鉄道」に至るまでの鉄道の歴史は随分紆余曲折の連続であったようです。

大正時代に開通した鉄道は“軽便鉄道規格”の「栗原軌道」として開業。

昭和になってこの細倉鉱山駅まで延伸をはたし、鉱石運搬を主体とする鉱山鉄道の「栗原鉄道」と名乗ります。

さらに戦後は軌間を1067mmの標準軌とし、またそれと同時に電化がなされ、名称も「栗原電鉄」と改称されます。

次に、電鉄事業とバス運送事業を統合し「宮城中央交通」に改称。

しかし、電鉄事業とバス事業が分離し再び「栗原電鉄」に。

さらに、事業経営の悪化により、第三セクター鉄道への移行に伴い、電化→非電化となり名称は「くりはら田園鉄道」と改称されました。

数えてみると、栗原軌道から6回の名称変更が行われ、「くりはら田園鉄道」がその最後の名称となりました。

「細倉鉱山駅」は第三セクター「くりはら田園鉄道」の時代にはすでに廃駅となっていたようです。

それでもこれまで見てきた一連の記念碑とお揃いの石碑がここに置かれています。



ネットに掲載されている「細倉鉱山駅」のレポートを拝見しているので、この坂道にも見覚えがあります。

「たぶんその先のカーブの辺りかなぁ~」などと思いながら歩きます。

「栗原鉄道時代」の路盤は右手の一段高いところ(*黄色い柵が見えているところ)だったのか、それともこの道路と平行している場所(グレーのパイプが走っている場所)だったのか…どちらだったのか良くわかりません。



見えてきました。

「細倉鉱山駅跡」の記念碑です。

右手に見えるガードレールは工場内へ向かう道なのでしょうか。



いま記念碑が置かれている場所が「細倉鉱山駅跡」とは…ちょっと違うような気がします。

鉱石の積み出しをするにしても、もっと工場内に近い平坦な場所にあっても良さそうな気がします。



記念碑のある場所から振り返って「細倉マインパーク前駅跡」方向を見ます。

かなりの勾配を上ってきているのが分かります。

この「細倉鉱山駅跡」で「くりはら田園鉄道」の観賞は終了です。

初めての東北の廃線跡巡りでした。

今回は上辺だけの観賞でしたが、路盤がしっかり残されていて駅跡には記念碑が置かれ、初心者にはとても優しい?廃線跡巡りでありました。

もっと、くりはら田園鉄道のことを調べ、来年2017年も観賞して歩きたくなりました。


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