漸く“くりはら田園鉄道”の終点、「細倉マインパーク前駅跡」に辿り着きました。
実は、今回も“やっちまったぁ!”という失敗がありました。
「今回も」というのは2015年北海道旅行で、「白滝シリーズ」を見て歩いた時に、「上白滝駅」をすっ飛ばしてしまい翌日再び石北本線に戻った失敗のことです。
「鴬沢工業高校前駅」と「細倉マインパーク前駅」との間には「細倉駅」という駅があったのです。
出発前の資料準備でそれは承知していました。
「細倉マインパーク前駅」に向かう国道からも「細倉駅跡」は目視で確認していました。
「ちょっと駐車しにくそう…」と思い、まずは「細倉マインパーク前駅」の広いパーキング・エリアにオデ君を停めて、徒歩で戻ろうという作戦にしました。(*駅間距離はたった200mほどですから、充分徒歩圏内と思っていました。)
ここまでは結構冷静に行動しています。
でも…結局「細倉駅」をすっ飛ばしてしまった“やっちまった君”なのでありました。
駅の周辺はバスのロータリーや駐車スペースなどが整備されていて、その割にはほとんど利用客がいないので、駐車にはとても楽な環境でありました。
往時はマインパークを訪れる観光客で賑わっていたのでしょう。
今はひっそりとして、どんよりとした空色が一層寂しさを増幅しているようにも見えます。
駅舎横には、「ED20形電気機関車」が展示されています。
細倉マインパーク前駅舎
切妻屋根を中央で直交させたような外観になっています。
施錠されていて中には入れませんでした。
ガラス窓を通して中を覗いてみましたが、数枚のポスターと事務用品の他には駅を想わせるようなものは残されていませんでした。
屋根付きで展示されているのは、「ED20形電気機関車」です。
その横には、腕木信号機が展示されています。
鉄道展事の脇役としては不可欠のアイテムですね。
若柳駅鉄道公園に保存されている「ED203号機」と同形の機関車です。
203号機は綺麗にリペイントされていましたが、こちらはちょっと状態が良くはありません。
しかし…それが活躍していた時の雰囲気を今に伝えているようでもあります。
ED20形電気機関車は、栗原鉄道が運用していた機関車ですが、当初は軽便鉄道軌間762mm規格で製造されたそうで、ED18形電気機関車と名乗ったそうです。
やがて「栗原鉄道」→「栗原電鉄」の時代には、その軌間が1067mmの標準軌となりED18形はそれに合わせ車軸が改造され、「ED18形」から「ED20形」へと改称されました。
DE20形電気機関車は201号機から203号機の3両が栗原電鉄で活躍していましたが、「栗原電鉄」が非電化の「くりはら田園鉄道」となりそれに伴って廃車となったそうです。
3両のうちの2両はこうして観賞してきましたが、そうなると気になるのが「1号機」である「ED201」であります。
これも後で「しまったぁ!」と思いました。
石越駅の近くに「チャチャワールドいしこし」という公園施設に「ED201号機」が展示されているのを見過ごしてしまいました。
やはり「くりはら田園鉄道」も「三度参り」決定ですね。
北海道の廃線巡りでも、一度歩いただけではほとんど何のことだか分かりません。
3回以上訪れてようやく自身の中で「何となく」雰囲気が分かってきます。(*初心者なので時間が掛かるのは仕方がありません)
さて…駅舎横の階段を下りてホームに出てみます。
階段には屋根の鉄製フレームだけが残されています。
ビニール製の屋根が掛けられていたのでしょうか。
ホームから石越駅方面を見ます。
このベンチの数を見ますと乗降客数の多かったことが伺われます。
車止めが置かれた路盤の終端。
くりはら田園鉄道の「終点」となります。
細倉マインパーク前駅は確かに「くりはら田園鉄道」の終点ではありました。
しかしその前身の鉱山鉄道である「栗原鉄道」はその先の細倉鉱山の鉱石を運ぶために建設された鉄道であり、「細倉鉱山駅」がこの先にありました。
ホーム先端部から振り返ってみます。
ホームと駅舎の位置関係はこのようになります。
緩いスロープの道路に出て駅舎方面へと戻ります。
駅舎の右端に小さく写っているのは相棒のオデ君です。
駅舎のホーム側出口に戻ってきました。
戻ってきちゃダメでした。
細倉駅跡へ徒歩で行かなくちゃ!
この時点ですっかり「細倉駅跡」のことはすっ飛んでいます。
こういう性格は将来の免許更新時が心配になります。
「嫌なことをいつまでも覚えていない…」などと言えば聞こえは良いですが、「何でも直ぐに忘れてしまう」ともいえます。
認知症検査の時にそれが心配であります。
余分なことを書きました。
次は「栗原電鉄」の「細倉鉱山駅」です。
実は、今回も“やっちまったぁ!”という失敗がありました。
「今回も」というのは2015年北海道旅行で、「白滝シリーズ」を見て歩いた時に、「上白滝駅」をすっ飛ばしてしまい翌日再び石北本線に戻った失敗のことです。
「鴬沢工業高校前駅」と「細倉マインパーク前駅」との間には「細倉駅」という駅があったのです。
出発前の資料準備でそれは承知していました。
「細倉マインパーク前駅」に向かう国道からも「細倉駅跡」は目視で確認していました。
「ちょっと駐車しにくそう…」と思い、まずは「細倉マインパーク前駅」の広いパーキング・エリアにオデ君を停めて、徒歩で戻ろうという作戦にしました。(*駅間距離はたった200mほどですから、充分徒歩圏内と思っていました。)
ここまでは結構冷静に行動しています。
でも…結局「細倉駅」をすっ飛ばしてしまった“やっちまった君”なのでありました。
駅の周辺はバスのロータリーや駐車スペースなどが整備されていて、その割にはほとんど利用客がいないので、駐車にはとても楽な環境でありました。
往時はマインパークを訪れる観光客で賑わっていたのでしょう。
今はひっそりとして、どんよりとした空色が一層寂しさを増幅しているようにも見えます。
駅舎横には、「ED20形電気機関車」が展示されています。
細倉マインパーク前駅舎
切妻屋根を中央で直交させたような外観になっています。
施錠されていて中には入れませんでした。
ガラス窓を通して中を覗いてみましたが、数枚のポスターと事務用品の他には駅を想わせるようなものは残されていませんでした。
屋根付きで展示されているのは、「ED20形電気機関車」です。
その横には、腕木信号機が展示されています。
鉄道展事の脇役としては不可欠のアイテムですね。
若柳駅鉄道公園に保存されている「ED203号機」と同形の機関車です。
203号機は綺麗にリペイントされていましたが、こちらはちょっと状態が良くはありません。
しかし…それが活躍していた時の雰囲気を今に伝えているようでもあります。
ED20形電気機関車は、栗原鉄道が運用していた機関車ですが、当初は軽便鉄道軌間762mm規格で製造されたそうで、ED18形電気機関車と名乗ったそうです。
やがて「栗原鉄道」→「栗原電鉄」の時代には、その軌間が1067mmの標準軌となりED18形はそれに合わせ車軸が改造され、「ED18形」から「ED20形」へと改称されました。
DE20形電気機関車は201号機から203号機の3両が栗原電鉄で活躍していましたが、「栗原電鉄」が非電化の「くりはら田園鉄道」となりそれに伴って廃車となったそうです。
3両のうちの2両はこうして観賞してきましたが、そうなると気になるのが「1号機」である「ED201」であります。
これも後で「しまったぁ!」と思いました。
石越駅の近くに「チャチャワールドいしこし」という公園施設に「ED201号機」が展示されているのを見過ごしてしまいました。
やはり「くりはら田園鉄道」も「三度参り」決定ですね。
北海道の廃線巡りでも、一度歩いただけではほとんど何のことだか分かりません。
3回以上訪れてようやく自身の中で「何となく」雰囲気が分かってきます。(*初心者なので時間が掛かるのは仕方がありません)
さて…駅舎横の階段を下りてホームに出てみます。
階段には屋根の鉄製フレームだけが残されています。
ビニール製の屋根が掛けられていたのでしょうか。
ホームから石越駅方面を見ます。
このベンチの数を見ますと乗降客数の多かったことが伺われます。
車止めが置かれた路盤の終端。
くりはら田園鉄道の「終点」となります。
細倉マインパーク前駅は確かに「くりはら田園鉄道」の終点ではありました。
しかしその前身の鉱山鉄道である「栗原鉄道」はその先の細倉鉱山の鉱石を運ぶために建設された鉄道であり、「細倉鉱山駅」がこの先にありました。
ホーム先端部から振り返ってみます。
ホームと駅舎の位置関係はこのようになります。
緩いスロープの道路に出て駅舎方面へと戻ります。
駅舎の右端に小さく写っているのは相棒のオデ君です。
駅舎のホーム側出口に戻ってきました。
戻ってきちゃダメでした。
細倉駅跡へ徒歩で行かなくちゃ!
この時点ですっかり「細倉駅跡」のことはすっ飛んでいます。
こういう性格は将来の免許更新時が心配になります。
「嫌なことをいつまでも覚えていない…」などと言えば聞こえは良いですが、「何でも直ぐに忘れてしまう」ともいえます。
認知症検査の時にそれが心配であります。
余分なことを書きました。
次は「栗原電鉄」の「細倉鉱山駅」です。