♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して70年、
PBA『世の光』を文字で 

■私にとっては手ごわすぎる / 福井 誠

2022年11月25日 | Weblog

2022/6/23放送

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。

 今日はサムエル記第二 3章39節から「私にとっては手ごわすぎる」と題してお話します。

 「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 昨日は、ダビデがサウルの後継者つまりイスラエルの王となるのはそんなに容易いことではなかったことをお話しました。ダビデを取り巻く様々な人々の思惑がうごめいていたからです。皆同じ神を信じる人々の間のことなのに、なぜこんな事態が生じるのか、皆で神のみこころに一致して権力を綺麗に平和裏に移譲できないのはなぜか、と思うところです。

 しかし、それがやはり罪人の世界の現実なのでしょう。残念なことですが、神を信じる者たちが集まったからと言っても、まるで神などいないかのような、ただ人間的な駆け引きだけが前面に出て物事が進んでいくように思えることがあるものです。つまり、神のみこころは複雑さと混迷が深まる中で、次第に形をなしてくる部分があるのです。

 ここではまず、サウル軍の将軍アブネルが、サウルの後継者イシュ・ボシェテを裏切り、ダビデに寝返っています。アブネルは近い将来、ダビデがイスラエルを統一すると読んでいました。そして、ダビデを王にしようとする神のみこころに積極的に加わっていきます。

 しかし、神のみこころはこうしたアブネルの策略がなくても実現し得ることでした。ヨアブによるアブネルの暗殺は、神のみこころが人間の思惑とは異なるところで動き実現することを考えさせてくれます。

 また、アブネルを平気で殺すヨアブのような存在は、ダビデにとって別の意味で脅威でした。
 けれども、彼もまた神の手の中にある存在でした。物事が混沌とする、手ごわすぎる事態にある、と思うときには、ダビデのように主に委ね、主が物事を整えてくださると信頼したいものです。

 では、今日も良き一日となるように祈ります。


    ( PBA制作「世の光」 2022.6.23放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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