2020/2/24放送
世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
第四月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日はロゴマークに天使が描かれている森永製菓の創業者、森永 太一郎について学んでみましょう。
太一郎は慶応元年、佐賀県伊万里市で生まれました。家業は陶器問屋を経営し、隆盛をきわめていましたが、父の死後、倒産の憂き目に遭います。母の再婚後、太一郎は親類の家を転々とする孤独な少年時代を過ごしました。叔父が横浜で経営する陶器店で奉公しますが、その店もつぶれ、時代や家族の悲しみを深く味わうのです。少しでも借金を返したいと、太一郎は陶器を持ってアメリカに渡り、販売を試みます。しかし当時のサンフランシスコは貧しい労働者の街であり、高価な焼き物は売れません。オークションですべてを売り払い日本に送金すると、手元には何にも残らなかったのです。彼はキリスト教会の経営する無料宿舎に泊まり、アメリカ人家庭を手伝い生活をします。
ある時、アメリカのお菓子を食べたとき、その甘さに太一郎は驚き、日本の子供たちにこれを食べさせたいと願い、お菓子の製造技術を身につける決意をします。幼少期から通った貧しさや寂しさのすべてが日本の子供たちへの愛と使命に繋がったのです。
一度の帰国をはさみ、11年に及ぶ学びで西洋菓子製造技術を習得しますが、その学びは人種差別の悲しみを味わい続ける時でもありました。下働きとして住み込んでいた時、スカンジナビア人とアイルランド人のクリスチャンの老夫婦に親切にされたことから太一郎は聖書に関心を持ちます。そして、差別や悲しみを通る彼らが持つまことの喜びや希望に感銘を受けた太一郎はキリスト者となったのです。
明治32年、帰国した太一郎は、東京の赤坂にわずか二坪の森永西洋菓子製造所を開業しました。当時、天使の食べ物と言われていたマシュマロを最初に販売したこともあり、自分に希望を与え続けた天使をそのロゴマークとしたのです。
聖書のことば
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
新約聖書 マタイの福音書 5章3節、4節
(PBA制作「世の光」 2020.2.24放送でのお話より )
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