2020/3/3放送
世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
「人生は出会いで決まる」とよく言われますね。最初の出会いは両親や兄弟たちとの出会いです。私たちは親や兄弟を選べませんね。その後は、学校の先生や友達、職場の人たちとの出会いでしょう。私も振り返ってみますと、私の人生は出会いで決まってきました。使徒の働き18章に入ります。
さて、パウロはその後ギリシャのアテネを去って、アテネの西方100 キロ にあるコリントの町へ行きました。コリントの町も当時の政治と宗教、海運と商業の中心地でした。コリントは北部のギリシャとペロポネソス半島を結ぶ橋のような存在でした。またエーゲ海とイオニア海をつなぐ東西の接点でもありました。そのコリントの街でパウロはアキラというユダヤ人とその妻プリスキラと出会うことになります。
実は、アキラとプリスキラ夫妻はイタリアのローマに住んでいましたが、ローマの皇帝クラウディウス帝がすべてのユダヤ人をローマから追放したのです。この皇帝の退去命令によってアキラ夫妻はイタリアを出て、近頃コリントに滞在していました。
ところで、パウロはコリントへ来たのはいいのですが、伝道旅行の費用が底を尽き始めていました。シラスとテモテが伝道費用を持ってくる予定ですが、まだマケドニアのベレヤから来ていませんでした。そこでパウロはコリントで職探しをすることになります。パウロは天幕作りという手に職を持っていました。動物の皮を縫い合わせて天幕を作る仕事です。なんとアキラとプリスキラ夫妻も同じ天幕作りをする同業者でした。渡りに船とはこのことでしょう。パウロはアキラとそ夫妻の家に住み込んで一緒に仕事をすることになったのです。そしてパウロは安息日になりますと、会堂でユダヤ人やギリシャ人と論じ合い、説得に努めました。
私たちは人生の出会いを偶然で片付けますが、実は天の神様は生きておられ、神様を信じる人たちといつも共にいてくださり、守り導いてくださるということがわかります。パウロは全く新しい土地へ来て、知り合いも信徒もいない、生活の見通しもなかったのです。しかし神様は遠いイタリアから一組の夫婦を用意しておられました。
(PBA制作「世の光」2020.3.3放送でのお話より )
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