♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■のがれの町 / 板倉邦雄

2017年09月19日 | Weblog
2017/8/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「のがれの町」という題でお話ししましょう。

 子どもの頃、兄に悪さをして追いかけられた時、私にとっての逃れの町は母親でした。主なる神様はイスラエルの人々のために逃れの町を設けてくださいました。主なる神様はモーセに言われました。「カナンの地に入るときは、あなたがたのために町を選んで逃れの町とし、誤って人を殺した者をそこに逃れさせなければならない。これは人を殺した者が会衆の前に立って裁判を受けないうちに個人的な復讐心によって殺されることのないためである。」
 恨みもないのに思わず人を突いたら転倒し頭を強打して死んでしまうこともあります。あるいは木を切っていたらその木が倒れて側にいた人を直撃し死んでしまうこともあるでしょう。故意ではない殺人を犯してしまう人々のために神様は逃れの町を備えてくださったのです。神様は個人的な感情による復讐やさばきは望んでいない、ということですねえ。

 更にこう付け加えました。「これらの逃れの町はイスラエルの人々と他国の人及び寄留者のために逃れの場所としなければならない。すべて誤って人を殺した者がそこに逃れるためである。」
 神様は何と恵み深く心の寛大なお方なのでしょうか。外国人であっても一時滞在者であっても逃れの町へ逃げ込むことができる、と約束してくださったのです。逃れの町は全ての人々に解放されていたのです。

 さて、故意ではなくても、たとえ故意あっても、罪を犯した者たちのために逃れの町があります。それがイエス・キリストの十字架の門ではないでしょうか。この狭い門を通る人は、罪が赦され裁きに遭うことなく永遠のいのちが約束されます。両手を広げて手に何も持たないで十字架の門を一人でくぐるのです。くぐった目の前に神の町・都が広がっているのです。

 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
    ヨハネの福音書3章16節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2017.8.15放送でのお話より )

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■夢見る者 / 岩井基雄

2017年09月18日 | Weblog
2017/8/14放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。月の第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。先月はエジプトで奴隷であったヨセフが主人に疑われて投獄され、理不尽な扱いを受けつつも真実に歩んだことから学びました。今日はその牢屋の中での出来事です。

 エジプト王の献酌官長と調理官長とが王に対して罪を犯し、ヨセフと同じ監獄に入れられました。ヨセフは彼らの世話をすることになりました(創世記40章1~4節参照)。ある夜、二人は別々の夢を見て不安を覚えます。またその意味が分からず、苛立っていたのです。「私たちは夢を見たが、それを尽き明かす人がいない」と語る彼らにヨセフはこう答えたのです。
 「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」 旧約聖書 創世記40章8節

 かつてイスラエルにいたとき、ヨセフは兄たちから夢見る者と呼ばれてからかわれました。それは兄たちや両親を表す存在が自分に膝を屈めるような夢を見て、それを吹聴したからです。ヨセフの未熟さや高慢さが露呈するような行為でした。しかしその後、奴隷そして囚人へと身を落とす中で、ヨセフは神様によって砕かれ、整えられ、どんな時にも神に信頼し真実に歩む者へとされ続けたのです。そして今度はこの二人の夢を解き明かす者として用いられていきます。

 ヨセフが神様の力によって解き明かした通りに調理官長は裁かれますが献酌官長は職務に復帰し、再び王に仕えることになります。献酌官長が王の元に戻る時ヨセフは、自分のことを王に伝えここから出られるようにして欲しい、と頼んだのです。しかし復職した献酌官長はヨセフの願いを忘れてしまったのです。ヨセフはなおも失意や痛みの中で神の時を待たされます。

 神様は悩みの炉で私たちを練られることがあります。どれほど長く思える苦難の時も、私たちは神様の約束を信じて待ち望むことができるです。

 聖書のことば
  「神は・・・あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。・・・試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
       新約聖書コリント第一の手紙 10章13節

 苦難の中で神様を見上げて歩みませんか?

   PBA制作「世の光」2017.8.14放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■イエスの憤り / 羽鳥頼和

2017年09月16日 | Weblog
2017/8/12放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。 
 今日も先週に引き続き新約聖書のヨハネの福音書からお話しします。今日はヨハネの11章で語られているイエスが激しく憤られたことについてお話しします。

 優しく柔和なイエスも憤りを覚えられたことがあったのです。それはイエスがとても親しくしていたラザロが死んだ時のことでした。イエスはその時、二度憤りを覚えられました。初めはラザロの姉妹のマリヤがイエスに、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ 11章32節)と言いながら泣き、そこに来ていた人々も泣いている時でした。イエスは泣いている人々を見て憤りを覚えられました(33節参照)。

 そして二度目はそのすぐ後です。ラザロが葬られている墓にイエスが来た時、イエスが涙を流されるの見た人々が「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」(37節)と言った時でした。この時イエスはまたも心の内に憤りを覚えられました(38節参照)。

 イエスは何に対して憤られたのでしょうか。イエスは人々が死を前にして何もすることができず、ただ嘆き悲しんでいる様子を見て、人々が死に支配されている現実を実感されたのです。そしてその死に対して憤りを覚えられたのです。憤りを覚えられたイエスはマリヤたちに言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40節) イエスはラザロが病気であった時、こう言われていました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4節) イエスのこのことばを注意深く聞くなら、ラザロは死ぬ、と教えておられたことが分ります。ラザロは死ぬが彼の死は神の栄光を表すのだと教えておられたのです。イエスは言われました。「ラザロはよみがえります。」(23節参照) 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(25節) そしてイエスは死んでいるラザロをよみがえらされたのです。そうです。イエスこそ死に支配されている私たちを死から解放し、本当のいのちを与えてくださるお方です。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 
(PBA制作「世の光」 2017.8.12放送でのお話より )
 
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■現実を受け入れよ / 関根弘興

2017年09月15日 | Weblog
2017/8/11放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
  今月は旧約聖書 エレミヤ書29章の11節のことばをご一緒に味わっていきましょう。
 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
 
 この預言者エレミヤのことばは自分の国からバビロニアに強制移住させられたユダヤの人たちに書き送った手紙の一文なんですね。まあどう見ても手紙を受け取った人たちは将来や希望を見いだすことができないような状況にありました。しかし、預言者エレミヤは、「あなたがたが平安を得、将来と希望見出していくために、まず今の現実を受け入れて生きよ。」と書き送ったんです。つまり、自分の国から遠く離れたこの土地であなたがたは長期滞在に備えなさい。それはあなたが将来と希望を見い出すものになってくんですよ、こう記したんですね。エレミヤは何の根拠もなく安易な口先だけの励ましや希望のことばなどを語ろうとはしませんでした。今のあなたの現実を受け入れなさい。しばらくは自分の故郷に戻ることはできない。だからその現実を受け入れて、落ち着いて長期滞在に備えなさい、と記したんです。

 どうでしょう。私たちは思うようにいかないことや困難、辛い現実に出くわすと、その現実をつい否定したくなってしまうものですね。そしてこう言うんです。こんなはずじゃなかった。自分はもっと違う人生は歩めたはずだ。つまり今生きている現実をなかなか受け入れようとしないんです。自分の姿をそのまま受け入れようとしないんですね。今の現状をそのまま受け入れることは時には困難があるかもしれません。しかし私たちはまず現状を認め、自分の弱さを認め、受け入れていくことは大切なことなんです。

 エレミヤはバビロンに強制移住させられたために、長期滞在に備えなさい、70年後にあなたがたを故郷に帰らせると神様が約束なさってますよ、と記しました。70年後は長いですね。エレミヤは決して即効的な魔法のことばを記しません。ちゃんと現実を見つめながら、しかし将来を諦めてはいけない、神様は希望の計画をあなたに用意してるんですよ、時間がかかるかもしれない、でも神様は将来と希望を与える、と書き記していったんですね。

 (PBA制作「世の光」2017.8.11放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■十戒 - 自由への励まし 23 / 大嶋重徳

2017年09月14日 | Weblog
2017/8/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。
「みだりに唱えるな」という命令は、神様の名前のふさわしい呼び方があるのだと教えています。そして神様の名前をふさわしく呼ぶとはまさに礼拝という場所で行われるものです。初めて教会に行かれた時にそのプログラムの意味が分からず戸惑われることもあるかと思いますので、キリスト教会が礼拝プログラムの中で選び取ってきたふさわしい御名の呼び方の意味についてしばらく一緒に考えて行こうと思います。

 さて礼拝にはまず前奏と言ってオルガンや楽器を使って静かにお祈りする時間があります。前奏が奏でられる時、私たちは神様の前に出る備えをします。この前奏によってざわざわした日常の中にいた私たちが突如、ああ今私は神様の前に出ているんだ、という自覚をします。礼拝で前奏を耳にする時、私たちの生活の中には突然神の前に出ると言う神の介入があって神の眼差しの中にいたんだということを知っていくのです。きっと世の光で始まる一日は前奏を聞いて始まる礼拝のような一日になるでしょう。これはふさわしい神の名の呼び方の始まりです。

 続いて招詞・招きのことばがあります。司会者・司式者による招きのことばは、神様ガこの礼拝にあなたを招かれていることが語られるのです。つまり礼拝に出ているあなたに神様からの招待状が届いているのです。本来私たちは自分で礼拝に出ることも神様の前に出てこようとも思わない罪人です。しかし礼拝で招きのことばを聞くとき、ああ今日も神様は私の名前を呼んでくださったんだ、と自分の人生が神の前に温かく招かれていることを知るのです。この招きのことばは朝毎に私たちに響いています。あるいは不安な夜の眠りの中で私たちは神様の招きを受け取るのです。そうするとき、神の前に出るのにふさわしくない自分が神の前に出て良いと言われているのだ、と自分の人生の行程が始まるのです。

 今朝も世の光をお聴きの皆さん。このラジオを聴きながら神様の前に静まり、あなたの名前を呼んでおられる神様の招きに応えてください。招待状は今日も届いています。今から静まってしばらく主の名を呼んでいただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.8.10放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■私は贖おうとする / 福井 誠

2017年09月13日 | Weblog
2017/8/9放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私は贖おうとする」です。ホセア書の7章13節を読んでみましょう。
 「ああ、彼らは。彼らはわたしから逃げ去ったからだ。彼らは踏みにじられよ。彼らはわたしにそむいたからだ。わたしは彼らを贖おうとするが彼らはわたしにまやかしを言う。」

 今日はホセア書を読みます。ホセア書は全部で14章、物語部分である最初の3章と預言集である残りの11章に分けられます。最初の3章はホセアの不貞の妻と3人の子どもの個人的な家族の物語です。それは神に愛され特権を与えられているイスラエルの民が神に対して背信行為を続けていることを象徴するものとして語られています。その物語を前提として4章以降は背信のイスラエルに対する直接的な語りかけとなっていますねえ。

 まず4章から7章においてイスラエルの人々は神を知ろうとしなくなった。それがあらゆる悪事の根源である。彼らの信仰心は表面的で形ばかりである、と言います。続く8章から10章はそうしたイスラエルに対して直ぐにもくだろうとしている神の裁きが宣告されています。そういうわけで今日の7章は裁きの宣告の元となったイスラエルの王や政治家の罪が様々なたとえで語られている所です。

 まず燃えるかまどとパン焼き、つまりイスラエルの不義と悪の心は夜通しくすぶっている、ずっと火種のついたままのかまどと同じであると言います。また生焼けのパン菓子、それは片面は焼けていてももう片面は生のまま、一方では神に仕え他方では神を信頼しない裏表のある生き方をしているということです。更にイスラエルは愚かで思慮のない鳩だと言います。つまり危機に瀕して巣を捨ててあてもなく飛び回る鳩のようだ、アッシリヤかエジプトか目先の助けを求めて飛び回るだけで、真に頼るべきものをわかっていないということです。最後に弛んだ弓、つまり実際には役に立たない弓。イスラエルは神に選ばれた民として神を証しする歩みが期待されていましたが、その不義と悪のゆえにそんなことは期待できないというわけです。神はイスラエルをいろいろなたとえで表現しますが、見捨てているのではなく悔い改めを求めているのです。罪深いイスラエルを贖おう、救おう、支えになろうとしている神の愛を覚えたいところですね。

(PBA制作「世の光」2017.8.9放送でのお話より )

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■追い払う / 板倉邦雄

2017年09月12日 | Weblog
2017/8/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「追い払う」という題でお話ししましょう。

 子どもの頃、広場で遊んでいると、ドヤドヤと入ってきた連中が「俺たちが使うから出て行け」と追い払われたことがあります。同じようなことをイスラエルの人々は主なる神の命令で行なったと民数記の33章に書いてあるのです。

 さて、主なる神様はモーセに次のような命令をお与えになったのです。
 まず、「ヨルダン川を渡ってカナンの地に入るときはその地の住民を追い払いなさい。」
 次に、「その地の住民が崇拝している鋳物の像を破壊し、すべての高い所の礼拝所を壊さなくてはならない。」
 そして第三、「あなたがたはその地の住民を追い払った場所に住まなければならない。」

 この命令は一般的に考えたらひどい命令ですねえ。まるで侵略行為ではないでしょうか。追い払われた先住民にとってはたまったものではありません。私はこの点について旧約聖書の先生に食ってかかって質問したことがあります。先生の答えは、「先住民はひどい民族だったので神様がイスラエルの民を用いたのですよ。」という答えでした。そして続けて先生は「その根拠が55節から56節に書いてあるでしょう。」と言いました。「結局、イスラエルの人々は神の命令に従うことなく、その地の住民を徹底的に追い払うことをしなかったのです。そのためにイスラエルの人々の目にとげとなり、わき腹の茨となり、苦悩の種となったのですよ。」と言われ、私は何となくそうかと思いました。

 私たちもこの世と調子を合わせて妥協してしまうということがありますねえ。私たちがいかに神様のことばに従うということが困難であるかを物語っています。その結果、私たちの目のとげとなり、わき腹の茨となり、悩みの種となってゆくのではないでしょうか。
 聖書のことばです。
 「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
    ローマ人への手紙12章2節 (口語訳聖書)

  (PBA制作「世の光」2017.8.8放送でのお話より )

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■あらゆる時に、主を誉めたたえよ / 岩井基雄

2017年09月11日 | Weblog
2017/8/7放送

  世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。第一週の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日はあとで詩篇をお読みします。

 私たちの人生の中には様々な苦難があり苦悩がありますねえ。しかし一方、悩むことができる存在であることも確かです。自分の存在の意味や意義、苦難や痛みの意味などを求めて私たちは悩むのです。たとえ衣食住が満たされていても、私たちの心はもっと深い渇きを持ち、本物の生き方を探求しています。聖書はその事を、私たちが神のかたちに創造されたからだと語っています。私たちはみな真理を求め、真実な生き方を求めているです。

 ゴスペルというジャンルの歌がありますね。奴隷のような状態を通る人々がその苦難を受け留めながら力強く神を賛美しているのです。魂の叫びのような歌声は私たちの心の深みに響きます。どんな状況の中にあろうと、またどんな苦難の中を通されようと、神を賛美する喜びは私たちを力強く支え、存在の意味と生きる意義とを支えるのです。また他の人や周りの状況にではなく全知全能である神様に信頼することは私たちに大きな祝福を与えます。神への賛美は神のかたちに造られ神と共に生きるように造られた私たち人間の特権なのです。

 詩篇に歌われている神への賛美をお読みします。
 「主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。
  主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。
  主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
  主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

     旧約聖書 詩篇103篇19節から22節

 神が創造された全ての存在と一緒にあなたも神を賛美しませんか? 創造主であり、主権者なる神様を心からほめたたえ始めるとき、あなた自身が変えられ、力といのちを与えられるだけではなく、あなたの周りの状況も少しずつ変わり始めるのです。あなたが今どのような状況にいらしても、神はあなたと共におられます。そしてあなたが神のもとに来るのを待っていらっしゃるのです。

   PBA制作「世の光」2017.8.7放送でのお話しより)

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■あの人は預言者です / 羽鳥頼和

2017年09月09日 | Weblog
2017/8/5放送

 「

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。 
 今月も土曜日は新約聖書のヨハネの福音書からお話しします。今日はヨハネの9章で語られているイエスの癒しの奇蹟に対する人々の反応を見てみましょう。

 ある安息日に、イエスはひとりの盲人の目を見えるようにされました。イエスのことをよく思っていないパリサイ人はその人に、どのように目が見えるようになったのか、尋ねました。

 その人は言いました。「あの方が私の目に泥を塗って『目を洗いなさい』と言われました。言われた通り、私は目を洗いました。すると見えるようになりました。」

 安息日に仕事をしてはならない、と教えていたパリサイ人はそれを聞いて、「安息日を守らないからあいつは罪人だ」と言いました。ところがパリサイ人たちのある人たちは、「罪人である者にこのような奇跡を行えるはずが無い」と反対しました。パリサイ人たちの意見が分かれてしまいました。

 そこで彼らは盲人だったその人に、また聞きました。「あなたはあの人をどう思うのか」 その人は答えました。「あの方は預言者です。」 

 ところが彼が見えるようになったということを信じられない人々が、今度は彼の親たちを呼び出しました。そして親たちに尋ねました。「あなたがたの息子は生まれつき盲目だったそうだが、それがどうして見えるようになったのだ。」 

 親たちは、「どのようにして今見えるのかは知りません。あれに聞いてください。」と言いました。親たちがこう言ったのは彼らを恐れていたからでした。

 実は親を呼び出した人たちは以前から、イエスを救い主であるという者があればその者を村八分にする、と決めていたのです。彼らは初めからイエスは救い主ではないと決めつけていました。

 盲人だったこの人は、どうしてイエスが神から遣わされた預言者であると信じることができたのでしょう。彼が信じることができたのはイエスに出会って、イエスのことばを聞いたからではないでしょうか。反対にイエスをを信じることができなかった人々は、他の人から話を聞くだけでイエスに話を聞こうとしませんでした。今私たちは聖書によって、イエスのことばを聞くことができます。

 明日は日曜日です。聖書からイエスのことばを聞くために、ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 
(PBA制作「世の光」 2017.8.5放送でのお話より )
 
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■将来と希望の計画 / 関根弘興

2017年09月08日 | Weblog
2017/8/4放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
  今月は旧約聖書 エレミヤ書29章11節のことばをご一緒に味わっていきましょう。
 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
 
 このことばを記した預言者エレミヤ、彼の生きた時代は、国は存亡の危機にあり、ついにはバビロニア帝国に滅ぼされてしまうという、まあ絶望的な時代だったんですねえ。こうした国が滅ぼされていくという悲しみの過程の中でバビロニア帝国は何度も、ユダヤに住む人たちを強制的にバビロンに捕らえ移していったんです。それをバビロン捕囚と言うんですねえ。強制移住を強いられたユダヤの人たちは、もはや将来も夢も希望も何も見い出すことなどできない状況にありました。でもそんな捕らえ移された人々に対してエレミヤは手紙を書き送ったんですね。その内容は驚くべきものでした。
 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。----主の御告げ。----それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 誰一人、将来や希望など見いだすことができないような状況の中で、エレミヤは私たちが信じている神様は災いではなく平安と将来を与える計画を一人ひとりに立てているんですよ、と語ったんですね。「いやあー、既にもう災いのど真ん中にいるではないか」と反論が帰ってきそうですよね。でもエレミヤは、人が何と言おうが、どのような状況の中であろうが、神様は平安を与え将来と希望を見つめて生きてことができるんですよ、と語り続けたんです。

 そしてこの約束のことばはこうしてラジオを聴いているあなたにも語りかけられている神様の約束のことばなんですね。私たちの神様は災いをもたらす神様ではなく、今は災いとしか見えないような苦しみの中にあったとしても、希望を与え、将来を与え、あなたのためにそうしたものを計画しているそういう神様なのだと教えているのです。エレミヤは、あなたの将来には希望がある、と語り続けました。これが神様からあなたへのメッセージなんですね。

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