♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■夢見る者 / 岩井基雄

2017年09月18日 | Weblog
2017/8/14放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。月の第二週の月曜日は旧約聖書に登場するヨセフの人生について学んでいます。先月はエジプトで奴隷であったヨセフが主人に疑われて投獄され、理不尽な扱いを受けつつも真実に歩んだことから学びました。今日はその牢屋の中での出来事です。

 エジプト王の献酌官長と調理官長とが王に対して罪を犯し、ヨセフと同じ監獄に入れられました。ヨセフは彼らの世話をすることになりました(創世記40章1~4節参照)。ある夜、二人は別々の夢を見て不安を覚えます。またその意味が分からず、苛立っていたのです。「私たちは夢を見たが、それを尽き明かす人がいない」と語る彼らにヨセフはこう答えたのです。
 「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」 旧約聖書 創世記40章8節

 かつてイスラエルにいたとき、ヨセフは兄たちから夢見る者と呼ばれてからかわれました。それは兄たちや両親を表す存在が自分に膝を屈めるような夢を見て、それを吹聴したからです。ヨセフの未熟さや高慢さが露呈するような行為でした。しかしその後、奴隷そして囚人へと身を落とす中で、ヨセフは神様によって砕かれ、整えられ、どんな時にも神に信頼し真実に歩む者へとされ続けたのです。そして今度はこの二人の夢を解き明かす者として用いられていきます。

 ヨセフが神様の力によって解き明かした通りに調理官長は裁かれますが献酌官長は職務に復帰し、再び王に仕えることになります。献酌官長が王の元に戻る時ヨセフは、自分のことを王に伝えここから出られるようにして欲しい、と頼んだのです。しかし復職した献酌官長はヨセフの願いを忘れてしまったのです。ヨセフはなおも失意や痛みの中で神の時を待たされます。

 神様は悩みの炉で私たちを練られることがあります。どれほど長く思える苦難の時も、私たちは神様の約束を信じて待ち望むことができるです。

 聖書のことば
  「神は・・・あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。・・・試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
       新約聖書コリント第一の手紙 10章13節

 苦難の中で神様を見上げて歩みませんか?

   PBA制作「世の光」2017.8.14放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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