♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■イエスの憤り / 羽鳥頼和

2017年09月16日 | Weblog
2017/8/12放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。 
 今日も先週に引き続き新約聖書のヨハネの福音書からお話しします。今日はヨハネの11章で語られているイエスが激しく憤られたことについてお話しします。

 優しく柔和なイエスも憤りを覚えられたことがあったのです。それはイエスがとても親しくしていたラザロが死んだ時のことでした。イエスはその時、二度憤りを覚えられました。初めはラザロの姉妹のマリヤがイエスに、「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ 11章32節)と言いながら泣き、そこに来ていた人々も泣いている時でした。イエスは泣いている人々を見て憤りを覚えられました(33節参照)。

 そして二度目はそのすぐ後です。ラザロが葬られている墓にイエスが来た時、イエスが涙を流されるの見た人々が「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」(37節)と言った時でした。この時イエスはまたも心の内に憤りを覚えられました(38節参照)。

 イエスは何に対して憤られたのでしょうか。イエスは人々が死を前にして何もすることができず、ただ嘆き悲しんでいる様子を見て、人々が死に支配されている現実を実感されたのです。そしてその死に対して憤りを覚えられたのです。憤りを覚えられたイエスはマリヤたちに言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(40節) イエスはラザロが病気であった時、こう言われていました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4節) イエスのこのことばを注意深く聞くなら、ラザロは死ぬ、と教えておられたことが分ります。ラザロは死ぬが彼の死は神の栄光を表すのだと教えておられたのです。イエスは言われました。「ラザロはよみがえります。」(23節参照) 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(25節) そしてイエスは死んでいるラザロをよみがえらされたのです。そうです。イエスこそ死に支配されている私たちを死から解放し、本当のいのちを与えてくださるお方です。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
 
(PBA制作「世の光」 2017.8.12放送でのお話より )
 
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