♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 - 自由への励まし 23 / 大嶋重徳

2017年09月14日 | Weblog
2017/8/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。
 十戒第三戒は「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト記20章7節、申命記 5章11節)と命じています。
「みだりに唱えるな」という命令は、神様の名前のふさわしい呼び方があるのだと教えています。そして神様の名前をふさわしく呼ぶとはまさに礼拝という場所で行われるものです。初めて教会に行かれた時にそのプログラムの意味が分からず戸惑われることもあるかと思いますので、キリスト教会が礼拝プログラムの中で選び取ってきたふさわしい御名の呼び方の意味についてしばらく一緒に考えて行こうと思います。

 さて礼拝にはまず前奏と言ってオルガンや楽器を使って静かにお祈りする時間があります。前奏が奏でられる時、私たちは神様の前に出る備えをします。この前奏によってざわざわした日常の中にいた私たちが突如、ああ今私は神様の前に出ているんだ、という自覚をします。礼拝で前奏を耳にする時、私たちの生活の中には突然神の前に出ると言う神の介入があって神の眼差しの中にいたんだということを知っていくのです。きっと世の光で始まる一日は前奏を聞いて始まる礼拝のような一日になるでしょう。これはふさわしい神の名の呼び方の始まりです。

 続いて招詞・招きのことばがあります。司会者・司式者による招きのことばは、神様ガこの礼拝にあなたを招かれていることが語られるのです。つまり礼拝に出ているあなたに神様からの招待状が届いているのです。本来私たちは自分で礼拝に出ることも神様の前に出てこようとも思わない罪人です。しかし礼拝で招きのことばを聞くとき、ああ今日も神様は私の名前を呼んでくださったんだ、と自分の人生が神の前に温かく招かれていることを知るのです。この招きのことばは朝毎に私たちに響いています。あるいは不安な夜の眠りの中で私たちは神様の招きを受け取るのです。そうするとき、神の前に出るのにふさわしくない自分が神の前に出て良いと言われているのだ、と自分の人生の行程が始まるのです。

 今朝も世の光をお聴きの皆さん。このラジオを聴きながら神様の前に静まり、あなたの名前を呼んでおられる神様の招きに応えてください。招待状は今日も届いています。今から静まってしばらく主の名を呼んでいただきたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2017.8.10放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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