♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■障碍児教育の母 石井筆子 / 岩井基雄

2017年09月04日 | Weblog
2017/7/31放送

  世の光の時間です。変わりありませんか? 岩井基雄です。月の最後の月曜は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は知的障碍児教育を使命とした石井亮一の妻・石井筆子について学んでみましょう。

 筆子は男爵の長女で、華麗な少女期を過ごしていました。東京女学校を卒業した後、日本初の海外女子留学生の一人となり、津田梅子らと共に近代的女子教育の先駆者となりました。帰国後は鹿鳴館の華と褒めそやされ、何不自由ない生活を送っていたのです。しかし結婚後、彼女に与えられた三人の娘はすべて虚弱児でした。そして自分の夫や娘たちと死別した筆子は豊かな生活に別れを告げ、福祉の道に生きることを決意したです。

 そのような中で筆子は滝野川学園で知的障碍児教育を行なっていた石井亮一と出会い再婚します。そして亮一と共に知的障碍者の教育、心も生活も愛のケアをする福祉の道に進んでいくのです。後の女子学習院の教諭を務め、後の津田塾大学の前身の学校長も務めていた筆子の助けを得て、学園の事業も少しずつ発展していきました。それでも滝野川学園の運営は安定しませんでした。1921年には園児の失火が元で火災を起こし、園児数名が死亡する事故が起きてしまいます。学園の閉鎖を決意した石井夫妻でしたが、その時多くの人々から激励と義援金が送られ、継続を改めて決断します。更に働きを財団法人化する動きが始まり財界からは渋沢栄一も支援し、実現しますが、それでも財政は厳しく、昭和恐慌の影響からも莫大な負債を抱えてしまいます。石井家はもはや破産状態でした。それでもこの滝野川学園の評価はますます高まり、神様の不思議な助けを受けて神様の愛を届ける学園の働きは豊かに用いられていくのです。

 体調を崩した石井亮一が亡くなった後、学園の働きは筆子が継承し愛の働きを続け、第二代学園長に就任します。筆子の明るさと聡明さが痛みを抱える子どもたちに大きな励ましと力を与えていったのです。

 聖書のことば
 「忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
        新約聖書 ヤコブの手紙 1章4節

   PBA制作「世の光」2017.7.31放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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