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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■心が晴れなければ

2007年11月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 えー、出産について「無痛分娩」というふうな言い方がありますねえ。ある方が「今は無痛文明の時代だ」というふうな言い方をしてまして、へーぇ、そういうことばがあるんだと思ったんですが、今はなるべく痛みを知らないようにして、そして幸せを自分のものにしようという、そういう傾向があるのではないか、(と)いうふうにも言われる訳なんですね。それで、自分もその痛みを嫌う訳ですけれども、しかしながら、相手の痛みに対しても鈍感になってしまっているというふうな(こと)。

 あるマンションの前に小さな花壇があってですね、そこに立て札が立ってまして、「お花の泥棒さん、取られた人の痛みが分かりますか?」ってこう書いてあってですねえ、ああそうなんだぁって、本当に育てて一生懸命楽しんでいるそれを取っていってしまう、そういうことについて相手はどんなふうに思うんだろうかということについてのその思い遣り、心の痛みについてのケアが無いという、それが勝手なことをしてしまうようなことに繋がっていくというふうな。そして自分自身がその、したことについても本当に心の痛みを感じないというふうな、そういう傾向があるのではないかということが言われる訳なんですね。

 「良心の呵責」というふうなことばもですね、だんだん死語になっていくのではないかというふうな思いがしたりする訳なんです。でも人間は心の中に咎めを持っていて、人間が心の中に後ろめたい気持ちを持っていて、そして人に知られては困るようなものを、そういう部分を持っていて、本当の意味で幸せになれるのだろうか、ということですね。そうした心が本当にすっきりと解決されなければ何をしてみた所で、一時的なそれは楽しみであったり満足であったりしたとしても、本当の意味での幸せには繋がっていかない。

 聖書の中の詩篇の32篇という所で、「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人」(1、2節)、そういう言い方をしてるんですけれども。神様から罪赦されたということを土台にしての幸せ、それが本当の幸せに繋がることだということを覚えたいと思います。

 
 ( PBA制作「世の光」2007.11.19放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■すべて、疲れた人、重荷を負っている人は

2007年11月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、皆様よりお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。新潟県妙高市にお住まいのYさんからは、新約聖書マタイの福音書11章28節のことばをお寄せいただきました。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

 私が職場の人間関係で疲れ、仕事も多忙になり精神的に追い詰められ、神経衰弱にかかって休職した際に、自殺しようとまで考えました。しかし実行することはできず、そして救いを求めて教会に行きました。その教会で一人の男性の方が私の話しをよく聞いてくださり、その時教えてくださったことばがこの聖書のことば、イエス様のことばでした。私はこれこそ今の私への神様のことばだと感動し、教会に通い続ける決心をしたのです。

 Yさんのことばはここまでです。

 イエス・キリストは言われました。
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」新約聖書 ヨハネの福音書 6章37節

 このマタイの11章28節の「すべて、疲れた人、重荷を負っている人」という呼び掛けは、現代の私たちみんなにあてはまるのではないでしょうか。神は本当に救いを求めている人を招いてくださっているのです。「誰でも」、「すべての者」です。私も16歳の時、死のうと思いました。しかし死ねませんでした。私もそれから友人に誘われて教会に行きました。そして救われて70年。イエス様は私を捨てませんでした。捨てないどころか、私にイエス様と共に働くように導いてくださいました。

 Y さんの心に残る聖書のことば
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 新約聖書マタイの福音書11章28節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.17放送でのお話しより )

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■「ダメ」という気持ち大切

2007年11月16日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 文化庁長官も務められた心理療法の大家・河合隼雄(かわい・はやお)さん、残念ながらこの7月にお亡くなりになりました。この河合さんがその著書『人の心はどこまでわかるか』(※講談社プラスアルファ新書)という本の中で興味深いことを書いておられます。それは、自分は心理療法家として資質がないのではないかとか、自分(に)は不向きな仕事なのではないかとよく考えた、って言うんです。また、こんなふうにも書いているんです。「自分はだめじゃないかという気持ちを持っていないと進歩がありません。自分はだめじゃないかという思いがしなくなったら、それは本当にだめになった証拠です。」と。ま、初心忘るべからずということでしょう。けれどもまたそれだけではなく、一人ひとりの大切な人の心に対面していく時、本当に自分自身が新鮮な思い、謙遜な思いを持っていくことがどんなに大切かっていうことを言われているのだと思います。

 これはまた私たちの生き方や成長のためにもあてはまるのではないでしょうか。ま、自分はできるんだ、やれるんだ、やるんだと頑張り、またそれがプレッシャーになってしまったりすること、多くある訳です。でも、自分はだめじゃないかと自覚すると案外、そうだそれでいいんじゃないか、という納得や自己受容もできるということもあるのではないでしょうか。

 旧約聖書には、へりくだる心、謙遜な人に神様を身近に感ずることができると、こんなふうに言われているんです。イザヤ書の57章の15節です。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」 神様は、へりくだった人と共にいてくださるというのです。

 私たちは自分がだめなんだと心から思えるような時にこそ心から神様を身近に感じる、また神様を求める思いが生まれるのではないでしょうか。人は神様の前ではありのままになれます。謙遜になれます。そこに神の愛と力を実感し、受けていくことができるというのです。あなたもそんな経験をしてみてください。


  (PBA制作「世の光」2007.11.16放送でのお話しより )

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■神を信じることは勇気を要すること

2007年11月15日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日も皆さんと御一緒に聖書を開いてまいりましょう。

 今日は創世記の6章9節です。
ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

 旧約聖書の創世記には、ノアという人物のエピソードが描かれています。ある日、神は、人間がこの世の快楽を追い求め、ますます悪に手を染めていく一方なのを御覧になり、大変残念に思い、洪水で裁きをくだそうと決意しました。ところがそのように腐り切ったこの世界にノアという正しい人物がいたのです。

 神はこのノアを救おうと思い、箱舟を造るように命じられました。ノアは神のことばに従って箱舟を造り始めます。それは長さ約150メートル、幅約25メートル、高さ約15メートルという石油タンカーのような大変大きなものでした。船の中は鉄道の貨車が約500台も入る広さであったと言います。よくこんな物を造ったものですねえ。趣味の世界で出来る物ではありません。まさに真剣に打ち込んで長い時間をかけてこそ出来るものです。また、箱舟造りは極めて奇妙な作業に思われたことでしょう。そういうことを考えれば誰も神を認めようとしない時代にあって、いかにノアが神を恐れ神と共に生きていたかということが分かります。

 聖書はノアが正しい人であったと言いますが、それはただ単に道徳的に立派であったということではありません。事実ノアは、この洪水の出来事の後にお酒に飲まれるという大失態を犯しました。しかし、そういう弱さを持ちながらも、ノアは確かに神を信じ恐れている人でした。そして一生涯を通して神と共に歩み抜いた人だったのです。

 神を信じることは勇気の要ることです。全身全霊ですることです。今日も聖書を読み、聖書から勇気と力をいただいて神を信じる歩みをいたしましょう。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.15放送でのお話しより)

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■福音の四季 : 私の望み、それはあなたです

2007年11月14日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 さあ今日の世の光は、まず皆様からのお便りの御紹介です。愛知県半田市にお住まいの市野さんから頂きました。

 こんにちは。先生がしばらく世の光の放送を休まれた時には、もうこれで聴けないのかと思いました。実はこの所、今まで出来ていた事が急に出来なくなり、家族の中で孤立していました。しかし今日、それが出来るようになり、まずは一安心、今日一日をどのように過ごすべきかと考えさせられました。

 市野さん、私も年々歳をとって、昨日出来たことが今日出来ないという辛さをよく分かります。お便りありがとうございました。では今日の福音の四季のメッセージです。聖書は旧約聖書 詩篇39篇7節です。

主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。

 若い時に贅沢をし海外を放浪していた人が一時帰国し、大阪・堺に住んでいた妹の所に同居しました。よくなついていたその家の幼い姪が急死しした事から心に深く感ずる所があり、大阪の日本橋のフリーメソジスト教会へ行って救われ、洗礼を受けて忠実な教会員となり、晩年、歩ける間は毎朝教会に通って、午前中いっぱい執り成しの祈りを続けた方がありました。開拓始めの教会が急速に成長する陰には、このような忠実な忍耐深い祈りがあったのですね。フリーメソジスト日本橋教会は今大きな教会になりました。この方は86歳8ヶ月の天寿を全うして平安の内に天に召されました。私もいつしかこの方の歳を越えました。そしてどこもかしこも衰えて不自由になりましたが、この方のように最後まで忠実な祈る人とならせていただきたいと思います。

 聖書のことば
主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。
 旧約聖書 詩篇39篇7節のことばです。

 それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2007.11.14放送でのお話しより)

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■ゆだねる

2007年11月13日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきね・ひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 最初に今日は聖書のことばを紹介しましょう。

あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」 詩篇 55篇22節 

 私は三十歳になるまで実はまったく泳げませんでした。金槌だったんですね。しかし三十歳になった時、勇気を振り絞ってスイミングスクールに通いました。初級の前の初心者コースという所から始まったんです。どういう訳か運動は大好きだったんですけど、水泳だけは苦手だったんですねえ。スクールが始まり、まず浮く練習から始めたんです。しかし、なかなか浮かないんですね。なんといつも沈んでしまうんです。何度かそんな事を繰り返していると、コーチが、「関根さん、力を抜かないとダメなんですよ。力を抜いて水に身を任せればいいんですよう。」 ま、そうおっしゃるんですねえ。そうかぁと思い、今度は体のすべての力を抜いて水に身を任せました。すると何と浮くではありませんか。まあ私は委ねるということはこういうことなんだなあと考えさせられたんですねえ。

 聖書の中に「ゆだねる」ということばはよく出てきます。どういうことでしょう。委ねるということは、まず、誰に委ねるのか、これが一番肝心です。あなたを助け導き支えることのできる方にこそ委ねるべきですよねえ。聖書は「あなたの重荷を主にゆだねよ。」と言っています。主とは誰でしょうか。もちろん、天地を創造された神様です。なぜなら、この方以上に力があり優れた偉大な方はいないからです。

 もちろん委ねるということは、なーんにもしないでただ待っているということではありません。委ねるとは、まず自分の気負いや自分のプライド、自分の我というものを手放すことから始めるんです。私たちはつまらない面子やこだわりを持ちますよねえ。そんなものは捨ててしまうんです。そして力を抜くことです。ある人は何でも自分の力・自分の頑張りのみに頼ろうとします。うまくいけば有頂天になり、うまくいかなければ自分を責めるか人を責めるんです。しかし委ねるとは、全能の神様の前に自分の無力さを認め、謙虚に膝まづき、「ゆだねます」と告白していくのです。

 今日、冒頭に紹介した聖書のことばをもう一度お読みします。
 「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」(詩篇 55篇22節)

 この神様の恵みのことばに人生をゆだね、力を抜いて歩んでいきましょう。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.13放送でのお話しより)

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■まっすぐに歩くことが

2007年11月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 えー、誰もが幸せになりたいって、これは人の思う所ですけれども、何をもって幸せとするかって、何を幸せの土台とするかということによるだろうと思うんですけれども。

 まあ誰もがですね、例えば神社なんかにお願いをするというふうな時にでも、「無病息災」とか「交通安全」、「商売繁盛」、「良縁に恵まれますように」とか、「受験に合格しますように」とか、ある所には「満願成就」なんて書いてありましたね。自分の願っていることが全部成就したらそれが幸せというふうにまあ考えられなくはないというふうに思う訳ですけれども。

 しかし聖書が教えているその幸いというのはですね、必ずしも自分の思った通りのことが何でもかんでもうまくいくということのことを言っているのではないみたいで、聖書の中で一番たくさんのスペースが割かれているのは旧約聖書の中の詩篇という所ですけれども、その詩篇は150篇あるんですが、その一番最初のことばは「幸いなことよ」(詩篇 1篇1節)ということばで始まるんですね、「幸いなことよ」って。

 誰もがやっぱり、幸いでありたいって、こう願う訳で、じゃあその「幸いなこと」は何なのかということで、「幸いなことよ」っていうことばで始まっていてですね、それがこう書かれている訳なんですね。で、この「幸い」ということばは、ヘブル語の(旧約聖書が書かれた)もともとのことばでは「真直ぐに歩く」という意味のことばから来ているんですね。そういう動詞から名詞に変わってきていると言いましょうかね、そういうような意味なんですね。ですからその幸せって、幸いっていうのは、その人の生き方による、その人の歩み方によるのだということをそこでは言っていると思うんです。で、神様の道にかなった、神様の喜んでくださるその道を真直ぐに歩く。えー、自分の願っていることを早く自分の手にしたいということのために、いわゆるショートカット・近道をするというふうな時に、とんでもないことに繋がっていったりする訳ですね。

 で、詩篇の1篇を見るならば、何が横道にそれることなのか、何が正しい道なのか、ということをはっきりと教えている訳で、それはやっぱり神様のみことばに、神のことばに基づいて神の御心に沿った生き方を真直ぐに歩く、それが幸せの土台だということ。これを私は覚えたいと思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.12放送でのお話しより)

 詩篇  1 篇

 1  幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
          罪人の道に立たず、
          あざける者の座に着かなかった、その人。

 2  まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
        昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

 3  その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
        時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
   その人は、何をしても栄える。

 4  悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。

 5  それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
        罪人は、正しい者のつどいに立てない。

 6  まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
   しかし、悪者の道は滅びうせる。
 


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■神のなさることは、すべて時にかなって美しい

2007年11月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。

 今日の世の光は、皆様からお寄せいただく心に残る聖書のことばの御紹介です。千葉県にお住まいで、東京・○○市にある○○○○○教会員の網野さんからいただきました。

 旧約聖書伝道者の書3章11節のことばです。お読みしましょう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。

 私は牧師の妹でありながら長い間、教会の門をくぐることなく生活してまいりました。1987年12月20日にバプテスマを受けさせていただき、○○○○○教会の群れに加えてくださいました。私がバプテスマを受けて1年ぐらいした頃でした、結婚していない娘から妊娠を打ち明けられました。私の夫の反対の中、いのちを絶つことは絶対できないと頑張って、何とか相手の両親の同意を得て、婚姻届けの提出・出産とこぎつけましたが、19歳の父親は親としての自覚に乏しく、仕事は長続きせず、家族を養っていくどころではなく、そして6年後、第二子が生まれた頃、事態は最悪となり、とうとう離婚。それから5年、娘と孫たちの平安を祈り、私にできる限りのことをしながらまいりました。しかし神様は何と憐れみ深い方でしょう。この記念すべき年に娘に素晴らしい伴侶が与えられ、新しい生活に出発することができました。私はこのことを何にも優る神様の大きな恵みと受け留め、皆様にお知らせしたいと思いました。そして私はこれから教会の一員としてお役に立ちたいと心に思い、神様に祈っております。

 網野さんの心に残る聖書のことば
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
 旧約聖書伝道者の書3章11節のことばです。

 それではまたお聞きください。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.10放送でのお話しより
    伏せ字は当方の判断によるものでPBAによるものではありません)

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■何をしても栄える

2007年11月09日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 秋に実りあるは楽し、と詠われた季節がやってきました。秋の実り、たくさんの果物、私たち何げなく食べていますけど、これが作られるためにはいろいろな条件が必要なんですね。私の知人にぶどう園を持って栽培している人がいますが、今年はいい! おいしい!、ってめったに聞けないんですね。

 ま、今年は春先花の時期に雨が多くて実が小さいとか、今年は夏ひでり時間が少なくて甘味がもう一つだとか、ま、いろいろ難しいいろんな条件があるんですねえ。ま、果物は農家の人が作るって言いますけど、実際には自然の産物なんだっていうことを実感します。ま、果物一つも本当においしいものが作られるためには豊かな環境、十分な日光とか風とか雨とか、そういうものが必要な訳です。

 私たちの人生にも、実り豊かになるためには、いろんなものが必要だと思います。ま、いろんな情報だとか友人だとか。ま、この学識、環境なんていうのも大切だと思います。でも実りある生き方には、それだけではない、むしろどうしたら良い友を作るかとか、良い情報を役立てる力とか、苦しい時にもどのようにそれを乗り越えていくかというような、いわゆる知恵が必要ではないかと思うのです。いわゆる生きる叡智と言ったらよいでしょうか。

 聖書では、そんな知恵、いや叡智は、神が与えてくださると言っています。そしてそれは聖書のことば、神のことばによって与えられるというのです。ですからそのような神のことば・教えを心に留めていく時、人生の豊かな実を結ぶというのです。

 旧約聖書の詩篇の第一篇に、そんな実りある生き方をする人の姿がこんなふうに歌われています。「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇 1篇 2、3節 )

 あなたも聖書のことばを心に留め、また口ずさみ、「何をしても栄える。」っていうような経験また人生を味わってみてください。

  (PBA制作「世の光」2007.11.09放送でのお話しより )

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■長生きするだけではなく

2007年11月08日 | Weblog

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井 誠です。今日も皆さんと御一緒に聖書を開いてまいりましょう。

 今日は創世記の5章24節です。
エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

 創世記5章には、人類最初の人アダムから生まれた子孫の系図が記されています。たくさんの子孫の名前が出て来ますが、その書き方には一つの特徴があります。例えば5節。「アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。」とあります。また8節。アダムの子セツは九百十二年生きてそして彼は死んだ、とあります。こんな調子で、誰それは何百年生きてそして死んだと繰り返されるのです。九百三十年、九百十二年。考えられない長生きと思われますが、大事な点は、どんなに長生きをしても、みんな「死んだ」と語られている点です。

 聖書の中の伝道者の書にはこんなことばがあります。「人間も動物も、同じ空気を吸い、死んでいきます。ですから、人間が獣より優れている点などないのです。なんとばかげたことでしょう。どちらも同じ所へ行くのです。土から出て土に帰るのです。」(リビング・バイブル訳 ソロモンの人生論/伝道者の書 3章19、20節) 人間はどんなに健康食を食べ適度な運動をして健康に気をつかっても決められた寿命以上にいのちを伸ばすことはできず、やがて同じように死んでいきます。人生ははかないというべきでしょうか。

 しかし聖書はエノクについてはこう語るのです。
 「エノクは三百六十五年生きた。」(創世記 5章23節 新共同訳) 「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」(創世記 5章24節 新改訳)  エノクの一生は三百六十五年。他の人に比べて約三分の一の短さです。しかしエノクに死はありませんでした。エノクは神と共に歩んだので、そのまま神のもとに帰ったからです。
 
 クリスチャンである私の祖母の墓には『死は永遠に至る門である』という文字が刻まれています。神と共に歩んだ祖母にとって死は終わりではありませんでした。それは通過点であり、神のもとに帰る入り口にすぎなかったのです。

 聖書を読み、教会に通い、神と共に歩む人生を歩むことによって本当の永遠のいのちを見い出していただきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2007.11.08放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10
         自由ケ丘キリスト教会内
 電話052-762-2196 へ

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