世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
えー、誰もが幸せになりたいって、これは人の思う所ですけれども、何をもって幸せとするかって、何を幸せの土台とするかということによるだろうと思うんですけれども。
まあ誰もがですね、例えば神社なんかにお願いをするというふうな時にでも、「無病息災」とか「交通安全」、「商売繁盛」、「良縁に恵まれますように」とか、「受験に合格しますように」とか、ある所には「満願成就」なんて書いてありましたね。自分の願っていることが全部成就したらそれが幸せというふうにまあ考えられなくはないというふうに思う訳ですけれども。
しかし聖書が教えているその幸いというのはですね、必ずしも自分の思った通りのことが何でもかんでもうまくいくということのことを言っているのではないみたいで、聖書の中で一番たくさんのスペースが割かれているのは旧約聖書の中の詩篇という所ですけれども、その詩篇は150篇あるんですが、その一番最初のことばは「幸いなことよ」(詩篇 1篇1節)ということばで始まるんですね、「幸いなことよ」って。
誰もがやっぱり、幸いでありたいって、こう願う訳で、じゃあその「幸いなこと」は何なのかということで、「幸いなことよ」っていうことばで始まっていてですね、それがこう書かれている訳なんですね。で、この「幸い」ということばは、ヘブル語の(旧約聖書が書かれた)もともとのことばでは「真直ぐに歩く」という意味のことばから来ているんですね。そういう動詞から名詞に変わってきていると言いましょうかね、そういうような意味なんですね。ですからその幸せって、幸いっていうのは、その人の生き方による、その人の歩み方によるのだということをそこでは言っていると思うんです。で、神様の道にかなった、神様の喜んでくださるその道を真直ぐに歩く。えー、自分の願っていることを早く自分の手にしたいということのために、いわゆるショートカット・近道をするというふうな時に、とんでもないことに繋がっていったりする訳ですね。
で、詩篇の1篇を見るならば、何が横道にそれることなのか、何が正しい道なのか、ということをはっきりと教えている訳で、それはやっぱり神様のみことばに、神のことばに基づいて神の御心に沿った生き方を真直ぐに歩く、それが幸せの土台だということ。これを私は覚えたいと思いますね。
( PBA制作「世の光」2007.11.12放送でのお話しより)
詩篇 1 篇
1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
罪人は、正しい者のつどいに立てない。
6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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