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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■幸いな「あわれみ」

2007年06月15日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。
 
 今日は、イエス・キリストが山の上で教えた「どういう人が幸いか」の5番目のことばからお話します。

 マタイによる福音書5章7節です。
 「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

 「あわれみ」っていう日本語は少し否定的・消極的なイメージを感じますね。でも、聖書の言う「あわれみ」とは、もっと積極的な意味があります。英語ではマーシイ mercy とかコンパッション compassion となっていますが、このコンパッションということばは、「同じ思い」っていう意味です。ですから「あわれみ」っていうのは自分から進んで相手の必要のために同じ思いになって応じていく、助ける、ま、そんな意味になる訳です。同情しただけでなく、相手のために犠牲まで払っていくというような意味です。

 旧約聖書には、有名な信仰の父アブラハム、その一人息子のイサクのために奥さんを探しにやったと(いう)、ま、そんな(箇)所で、この「あわれみ」っていうことについての例があるんです。例えば、その奥さんとなる人はこんな人だっていう条件(があるん)ですね。ま、井戸に着いて水瓶から水を飲ださいと頼んだら喜んで飲ませてくれただけではなくて、連れていたラクダにまで水を汲んであげましょうと言ってくれる、そんな女性だって言うんです。ま、こんな行き届いた配慮、積極的な助け、これを「あわれみ」って言う訳です。

 新約聖書でも、ま、例えば荒野で強盗に襲われて大怪我をして倒れてる人がいる。そういう人をあわれんで助け起こし、手当をし、宿まで連れていく。そしてその手当の費用まで負担する。ま、そんな行為を「あわれみ」だって言っています。

 でも、どうしたらそんな「あわれみ」を持てるんでしょうか。実は聖書では、神様が私たちをあわれんでくださる、そのあわれみの中に生きることが幸いだとこんなふうに言っています。

 ペテロの第一の手紙の1章3節です。
神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

 ま、こんな神様からのあわれみ、新しく生きる力、生きる希望を持っていく。ま、そんな中に神と共に生きる幸い、ま、そういう幸いの中に生きる時にまたあわれみを持って人に奉仕もできるっていうことではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2007.06.15放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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