17日(火)、今朝も早く目覚めた。28年前にも起きていた。最初の揺れが終わったあと、外に出てみると、南東の方角から何度も衝撃波のような振動が地鳴りとともに地上の電信柱と電線をぶるんと振るわせ、私の体を一瞬に突き抜けていった。その感覚は異様なものであり、何か恐ろしいことが起きていることを暗示しているようだった。
今朝も登校見守りに立ってから県庁へ。県庁から「ひょうご安全の日 1.17のつどい」の会場である「人と防災未来センター」に向かった。
11時50分開会。つどいには、ひょうご安全の日推進県民会議の会長である齋藤知事、副会長の小西県議会議長、来賓の谷内閣府特命担当大臣、久元神戸市長はじめ衆参国会議員、県議会議員、市町長、市議会議長会、自衛隊、消防庁、井戸前知事、金澤前副知事ら多くの関係者が出席した。
つどいは、県立西宮高校音楽科の生徒による献奏曲の演奏に始まり、小西議長が開会のことばを述べた。6400人余の犠牲者に対して黙祷したあと、齋藤知事が主催者挨拶を行った。続いて来賓を代表して谷大臣が挨拶し、次に小、中、高の3人の子どもがメッセージを読み上げた。県立舞子高校の女子生徒は、震災の体験はないが、体験者の言葉を自分の言葉に換えて語り継いでいくことが大事なことだと訴えた。体験していない世代が出てきていることを懸念する声もあったが、そんな心配を吹き飛ばしてくれるしっかりした考えだった。
小学生らの捧唱曲「しあわせ運べるように」の歌声が響いた。続いて、河田県民会議企画委員長(人と防災未来センター長)が「1.17ひょうご安全の日宣言」を読み上げた。「忘れない、伝える、活かす、備える」を合言葉に震災の教訓を防災につなげていくことを宣言した。
最後に出席者全員が献花を行った。今日は会場に透明テントが張られ、温室のような感じだった。帰りは、県庁まで歩いた。三宮まで約30分だった。
県庁の議運委員長室で執務し、午後4時30分頃退庁した。加東事務所でスタッフと打ち合わせをし、あとは明日の自民党加東市支部幹事会の準備を行った。
今日の県下の新規感染者数は4240人。数字上は減少傾向といえるが、実態はよくわからない。身近なところでの感染が続いている。