21日(火)朝、南あわじ市の「若人の広場」で行われる第14回全国戦没学徒追悼祭に参列するために淡路島に渡った。空はどこまでも高く澄みわたり、海は白く光っている。明石海峡大橋を渡り、高速道路を一路南へと走り続け、西淡三原インターで一般道へ。カーナビで調べがつかず駐在所に駆け込む。奥さんに教えてもらった通りに走ると、眼前の山上に天に鋭い切っ先を向けて立つ構造物が見えてきた。南あわじ市阿万大見山である。曲がりくねった山道を車で登っていくと駐車場への入口に着いた。神戸湊川から出た貸し切りバスがすでに到着していた。
階段を上りきると、まるで沖縄の山城のような石組の構造物、施設があり、その向こうにはどこまでも高い空と海が広がっているだけだった。山の下から見えた鋭角の構造物と施設は丹下健三氏の設計による「追悼の碑」で、戦没学徒を象徴するペン先を表したものであった。
戦没学徒を追悼する会の会長、永田秀一先生(県会議員)から「若人の広場」建設の経緯、その後の運営、追悼祭復活の経緯と思いを聞かせていただいた。30余年以前、私は東京で学生生活を送っていたが、10月21日は学徒出陣の日であり、毎年特別な思いを持って迎えていたことを思い出す。一方、10.21は国際反戦デーでもあった。大学のキャンパスには立看やビラに「反戦」の文字が氾濫し、アジ演説と反戦歌が響いていた。そんなことを思い出しながら追悼祭に参列した。
神道形式による追悼祭では、海上自衛隊徳島航空基地の喇叭隊の吹奏、神楽のほか、仏教者、キリスト者の読経や賛美歌奉唱も行われた。青い空と山の緑、そして海を背景に翻る日章旗がまぶしく、追悼の碑の上空を見上げると一羽の鳥が悠々と旋回していた。
附属の施設は今廃墟のようになっていた。鹿児島の知覧、沖縄のひめゆりの塔、東京の靖国神社と同じように、ここ「若人の広場」に来れば、大東亜戦争、そして祖国のために尊い命を捧げられた戦没学徒の御霊のことを学ぶことができる。兵庫県の青少年はこの「若人の広場」で学べるようにしたいと思った。
私たちは戦没学徒の未来という時間をいただいて今を生きている。このことを忘れまいと心に誓った。