裸の王様・翁長那覇市長を徹底解剖 そのⅠ



「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
12月県内書店で発売予定
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「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。

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裸の王様翁長那覇市長を徹底解剖 その1

私は具志川にあるコンビニエンスココストアで毎日午前三時過ぎに新聞を読んでいる。午前三時を過ぎた頃に新聞が来るからだ。私は新聞が来る三時までにトイレ掃除を終わらして、二つの新聞で早く届いたのを読んでから帰宅する。帰宅するのが午前三時半を過ぎた頃だ。
昨日は琉球新報が先に届いたので琉球新報を読んだ。すると二面に翁長市長のインタビューが大きく載っていた。

踏ん張りどころは今
捕獲の壁低くなった
辺野古は認めない
日米が失う物大きい

の見出しであった。昨日のブログに翁長市長は裸の王様であることを書いたので、今度の記事について書こうかどうか迷った。
私は午後九時ごろにコンビニエンスに行き、もう一つの新聞を読む。琉球新報は早朝に読んだので今度は沖縄タイムスを読んだ。売れ残りがない時は読むことができないが配達されるタイムスは新報の二倍ほどなので売れ残るということは滅多にない。新報も依然は売れ残っていたが最近は完売する日が多い。その原因はどうやら吉本ばななさんの「サーカスナイト」という連載小説にあるようだ。独特の文章で、時間が止まったように感じる不思議な小説である。父親の吉本隆明は整理整頓されていて、どちらかというとすっきり文章であった。平易な言葉を使うのは親娘とも同じだが、文章から感じる世界は違う。

沖縄タイムスを開くと一面に大きく翁長市長のインタビューが載っていた。老魔人日記でタイムスに大きく載っていると書いてあったが、なるほど、一面にこんなに大きく那覇市長のインタビューを載せるのは異常だなと思いながらページをめくってビックリ仰天した。二面には一面以上に大きく載っているではないか。狼魔人日記でも二面にも大きく載っていると書いてあったが、こんなに大きいとは思わなかった。
翁長市長のインタビュー記事は沖縄を揺るがした大事件よりも大きい記事だ。まるで翁長市長が大奇跡を起こしたような扱い方である。老魔人日記は「そして第二面の大半を使って翁長那覇市長のインタビュー記事を掲載させているが、まるで沖縄を救う救世主のような扱いに『オール沖縄』が崩壊した事実に対する沖縄タイムスの悔しさが透けて見える。沖縄タイムスが翁長氏を前面に押し立てて「オール沖縄」の再構築を目論んでいるのだとしたら、あまりにも県民を愚弄した行いだ」と狼魔人独特の視点で書いているが、確かに「まるで沖縄を救う救世主のような扱い」の記事である。記事の内容は翁長市長の今までの体験や考えていることであり、衝撃的な発言はない。一面と二面に大々的に載せるような内容ではない。
一気に「県外移設」派が激減し、「辺野古移設」派が増えたことへの危機感があるから無意識に唯一残った「県外移設」派の大物政治家翁長市長のインタビュー記事で「県外移設」の回復を狙ったのだろう。
しかし、自民党沖縄県連や国会議員が再び「県外移設」を主張することはないだろう。自民党沖縄県連が「辺野古移設」に変更した影響で県民の辺野古移設賛成派は増えるだろう。
沖縄タイムスや琉球新報が情報操作をして「辺野古移設」に圧力をかけ続けて積み上げてきた「県外移設」が一瞬の内に崩壊したのが自民党沖縄県連の「辺野古移設」への変更である。

 翁長市長は選挙対策本部長として自民党沖縄県連をけん引してきた。
県知事選では仲井真候補が大差で勝利し、那覇市長選でもぶっちぎりの勝利をした。翁長市長は一気に自民党沖縄県連の頂点に立ち、次の県知事は私だと意気揚々としていた。ところが順風満帆だった翁長市長の出世物語が自民党本部の圧力で一気に地獄に落とされた。沖縄政治界の頂点にあと一歩というところまで辿っていたのに一気にはしごを外された翁長市長である。
そんな翁長市長へのインタビュー記事の大見出しは「県外移設 再結集を」である。しかし、記事を読むと、「県外移設 再結集を」と翁長市長は呼びかけていない。
今の翁長市長に「再結集を」と再出発をする余裕はない。「なぜ、急に逆風が吹いたのだ。こんなはずではなかった」と、沖縄の自民党が四分五裂した実情を把握するのに精いっぱいだろう。
インタビューでの翁長市長の発言は今までの主義主張を繰り返しているだけである。どうやら大見出しの「県外移設 再結集を」は狼魔人日記で指摘しているように沖縄タイムスが翁長市長を利用して「再結集」をしたい気持ちの表れだろう。
 長いインタビュー記事は翁長市長を徹底批判するチャンスでもある。
 なぜ、翁長市長が裸の王様状態であるかをインタビュー記事に沿って詳しく説明しよう。

 
 オール沖縄が崩れたという記者の質問に、

「崩れたにしても僕が残ったように、那覇市議会が決議したように、仲里利信元県議会議長、稲嶺恵一前知事も、県外を求めるべきだと主張している。県外移設を求める枠組みそのものが、全く相反する二つに割れたのではない」
       翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

と、翁長市長は答えている。
理解しにくい説明である。五人の自民党国会議員と自民党沖縄県連の公約が「県外移設」から「辺野古移設容認」に変わった。沖縄自民党は「県外移設」ひとつでまとまっていた枠組みが「県外移設」と「辺野古移設」の二つに割れたのである。「全く相反する二つに割れたのではない」のではなく、相反する二つに割れたのだ。
二つに割れたどころではない。「県連が県民との約束をほごにし、辺野古移設容認に転じると思わなかった」と無念さをにじませた県連顧問で元県議会議長の仲里利信さん(76)は県連顧問の辞表を出した。それだけではない。なんと自民党沖縄県連の敵である稲嶺候補の応援をすると宣言したのだ。稲嶺候補は「辺野古に基地を造らせない」と言っているが「県外移設」を公言はしていない。共産党・社民党が支持する稲嶺候補の本音は「国外移設・閉鎖」である。「県外移設」には反対である。そんな稲嶺候補を仲里前自民党沖縄県連顧問は応援するというのだ。自民党沖縄県連は二つどころか三つに割れているのだ。
 

「県連自体も翁長政利会長がお辞めになり、国場幸之助さんも『本当は県外移設なんだ』と言わなければ生きていけないようなそういう部分をつくり上げたのはまさに四十一市町村長と議長、県民が結束したからだ」
翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

これも理解しにくい説明である。翁長政利会長が辞任したのは公約を「県外移設」から「辺野古移設」に変更した責任からだ。辞めたのは「四十一市町村長と議長、県民」の結束が崩壊したからである。結束しなければ崩壊はなかった。その理屈から言えば崩壊の原因は結束したことにある。しかし、それは詭弁であり、負け惜しみである。崩壊は敗北である。翁長市長が煽動したオール沖縄の「県外移設」は敗北したのである。それを認めたくないから翁長市長は意味不明の弁解をしている。


米軍統治下の一九五六年、米軍が強制収容した土地を一括で地主から買い上げるというプライス勧告に、沖縄の人たちは、みんな一緒になって『駄目だ』と言って売らなかった。まだ、イデオロギーに分かれていない時代。あの貧しい時期、喉から手が出るほどお金がほしかったはずなのに、自分の先祖の土地は売らないということで、結束して巨大な米軍の圧力をはねのけた」
「それが、今日生きている。もし、あの時土地を売っていれば国有地され、今の私たちに政治的な余地は与えられていなかった」
       翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

戦前の沖縄は農業中心の社会であった。戦後も農業以外に食べていく手段のない島民は米軍に土地を接収されたら飢え死にしてしまうと恐怖していた。だから、土地接収に反対したのである。しかし、農民だけの抵抗だったら米軍の圧力に屈して土地を売っていた可能性がある。米軍の圧力に屈しなかったのは農民だけではなく、瀬長亀次郎が代表とする人民党や社会主義運動家や沖教祖、自治労を中心とした団体が土地闘争に参加したからである。人民党の実態は共産党である。沖縄には戦前から共産党は存在し、戦後は土地闘争や米軍基地撤去運動を展開した。土地闘争が激しくなったのはイデオロギー闘争だったからである。農民の自然発生的な土地闘争だったら県民大会を開くほどの運動に発展しなかっただろう。イデオロギー闘争だったから組織的な運動や県民大会が開けたのだ。社会主義運動家が主導した土地闘争は激しくなり米政府への圧力となった。
米政府に圧力を掛けたのは社会主義運動家たちの土地闘争だけではなかった。立法院議長の安里積千代氏を団長とした五名の代表者が日本政府に協力を陳情し、米政府と直接交渉をしている。
安里氏は「米側が何の理解も示さなければ、米側と協力して問題解決を図ろうとするわれわれの信用を失墜させ、反米的な勢力が沖縄で勢いづいてくる」と米政府を説得したのである。「反米的な戦力とは瀬長亀次郎率いる人民党や社会主義勢力のことである。
日本の外務省も米政府に圧力をかけた。総理大臣の岸信介はマッカーサー駐日大使に「沖縄でのドル通貨切り替えを認める条件として、米国が沖縄の土地保障政策を好意的に決定するように」と要請した。
農民と社会主義勢力による土地闘争、琉球政府代表団、日本政府の外務省、首相等々による総合力が米国の「一括買い上げ」を阻止したのである。
翁長市長が思っているような、「沖縄の人たちは、みんな一緒になって『駄目だ』と言って売らなかった」から一括売りを阻止したというような単純なものではなかった。
巨大な米軍の圧力を撥ね退けたのは、農民、反米イデオロギー、琉球政府の結束、日本政府の応援の四つの力があったからである。

翁長市長は土地闘争時代はイデオロギーがない時期だと思っているが、それは間違いである。戦後の沖縄にはすでに社会主義のイデオロギーは蔓延していた。米民政府は一九五三年に地方選挙を実施し、沖縄を議会制民主主義社会にしようとしたが、当選した多くの人間が社会主義者だったので、選挙を無効にしたという事実がある。
日本共産党を設立したメンバーの一人は名護市出身の徳田久一である。彼は暴力革命主義者だったのでマッカーサーによって公職から追放された。中国に亡命した徳田久一は暴力革命を目指していたが中国で客氏した。

徳田 球一(とくだ きゅういち、一八九四年(明治二七年)九月一二日 – 一九五三年(昭和二八年)一〇月一四日)は、日本の政治運動家、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(三期)、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。
 沖縄県名護市出身。「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。旧制沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)卒後、旧制第七高等学校に入学するも、教官の琉球出身者に対する差別に反発して退学、苦学して日本大学の夜間部を卒業、弁護士になった。

徳田久一の影響を受けた沖縄人は多数居ただろう。戦後の沖縄にはすでに共産主義は浸透していたのだ。私の竹馬の友の父親は人民党員であったし、私が育ったには代々共産党員の家もあった。戦後の沖縄に「イデオロギーに分かれていない時代」はなかった。イデオロギーがあったから強力な土地闘争を展開したのである。

「それが、今日生きている。もし、あの土地を売っていれば国有地にされ、今の私たちに政治的な余地は与えられなかった」
         翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

土地を売らなかったので、復帰後の軍用地料が高騰して沖縄経済に大きく貢献した。土地を売らなかった効果は沖縄の経済発展に大きく影響したが翁長市長のいう政治的な影響はなかった。
米軍基地反対運動の原因は、日米安保、日米地位協定への反対、騒音、飛行機墜落、米兵の犯罪、婦女暴行への怒りが原因である。米軍基地が沖縄に存在していることが米軍基地反対運動を生み出しているのであって、土地を国が所有しているかいないかは全然関係がない。米軍基地の土地を国が所有していようがいまいが反米軍基地運動は起こっていた。
翁長市長はオスプレイ配備に反対し、オール沖縄を結成して県民大会を開き、東京行動をやった。オスプレイ配備反対運動は国が普天間飛行場の土地を所有していても起こっていた。翁長市長自身が土地の国有とは全然関係のないオスプレイ配備反対の運動をしたのに「土地を売っていれば国有地にされ、今の私たちに政治的な余地は与えられなかった」と発言するのは間違っている。

「その後、沖縄はがっちりと冷戦構造に組み込まれてしまった。東西冷戦で『理不尽なもの(基地)は沖縄にあるけれど、共産主義になったら大変でしょう』と。保守は自由主義をかばうためにやってきた。革新は県民の誇りや人権を守ってきた。県民同士も血みどろの戦いをしながら、沖縄県民だけが、ずっと基地のあるせいで、保革に分かれてきた」
翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

だから保革を超えた「オール沖縄」を結集しようというのか。しかし、「保守は自由主義をかばうためにやってきた」の意味がよく分からない。保守はどこからやってきたのか。保守とは自民党のことか、それとも民主党も含めた保守なのかはっきりしない。
翁長市長にとって保守=自由主義ということなのか。しかし、普通、保守=自由主義ではない。保守とは古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対する主義であり、古い考えを否定する自由主義を敬遠するほうだ。翁長市長のいう自由主義とは一体どんなものなのか。沖縄の自由主義とはどんなものなのか。「自由主義をかばう」とはどういうことなのか。なぜ翁長市長は自由主義を保守というのか、さっぱりわからない。

「革新は県民の誇りや人権を守ってきた」も理解できない。革新とは共産党、社民党、社大党のことである。いわゆる社会主義政党である。彼らは県民の誇りや人権を守ってきたのではない。彼らは反米主義であり、彼らの目的は沖縄から米軍を撤去することである。だから米軍を非難し、罵倒し、米軍を人でなし呼ばわりしてきた。米軍非難が県民の誇りや人権を守ってきたように翁長市長は錯覚している。

翁長市長は保守を自由主義だと曲解している。革新をイデオロギーのない県民の誇りや人権を守る存在だと勘違いしている。曲解と勘違いを根拠にして翁長市長はオール沖縄を結成したのである。保守と革新が一つになることは不可能であることを知らないで。

「自民党の時にも、民主党に変わっても、結果的に沖縄に基地を置いておけということになった。オールジャパンで、沖縄に基地を置いておけということになっちゃった。それまでは自民党が安保政策に責任を持っていたわけだが、残りの国民は沖縄に理解があると思っていたら、なんのことはない、理解がなかったということに、民主党政権が終わって気が付いた」
          翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

日本の政党は自民党と民主党だけではない。共産党、社民党、維新の会、みんなの党もある。自民党と民主党は衆議院議員を過半数獲得したから政権を握ることができた。翁長市長は自民党政権と民主党政権を合わせてオールジャパンと決めつけている。少数政党の共産党と社民党を無視している。だから、「自民党の時にも、民主党に変わっても、結果的に沖縄に基地を置いておけということになった。オールジャパンで、沖縄に基地を置いておけということになっちゃった」と判断するのだ。翁長市長は少数政党を無視している。もし、共産党が衆議院議員の過半数を獲得し政権を握っていたら米軍基地撤去をしていたかもしれない。ただ、日本の国民は共産党を選ばなかった。

翁長市長のいう沖縄の革新とは共産党、社民党、社大党のことである。翁長市長はオールジャパンに入れていないが共産党、社民党は本土にもあり、国会議員もいる。もし、本土の政党全てを含めてオールジャパンというなら、共産党、社民党もオールジャパンのメンバーに入る。
もし、共産党、社民党が衆議院議員の過半数を握ったら沖縄の米軍をすべて撤去しただろう。そう考えるならオールジャパンが沖縄に基地を置くことをしたのではないということになる。自民党と民主党が政権を握ったから普天間飛行場の辺野古移設を認めたのである。

「オールジャパンに対しては、オール沖縄で結束しないと駄目だ。基地問題で沖縄が主張する場合でもイデオロギーではなくアイデンティティーを持って、県民の心を一つにして頑張らないと本土全体の無関心、無理解にはとても立ち向かえない。最大公約数で頑張ろう、というのが私の言葉の意味だ」
翁長市長インタビュー(沖縄タイムス)

翁長市長は大きな誤解をしている。オール沖縄の革新である共産党と社民党は沖縄だけの政党ではない。本土に本部がある政党であり、沖縄の共産党や社民党の公約は本部と同じである。翁長市長はオールジャパンと対抗する団体としてオール沖縄を結成したが、共産党と社民党は本部の指示通りに動く政党であるから、二つの政党はオールジャパン対オール沖縄の図式にはならない。

本土は
辺野古移設賛成=自民党、民主党
米軍基地撤去・閉鎖=共産党、社民党

と、自民党、民主党対共産党、社民党の対立がはっきりしているが

沖縄は
県外移設=自民党・民主党
米軍基地撤去・閉鎖=共産党・社民党・社大党

である。保守も革新も普天間基地を県以外の場所に移すことで一致している。

翁長市長は沖縄の自民党と民主党が本土と違う「県外移設」を掲げていることを利用して、オール沖縄を結成したのである。
 自民党と民主党はオールジャパン対オール沖縄の図式になるが、共産党、社民党はオールジャパン=オール沖縄の図式になってしまう。沖縄の共産党、社民党は本土の共産党、社民党とは手を握り自民党、民主党とは対立する図式になるのだ。翁長市長が主張するオールジャパン対オール沖縄は最初から成立していない。

       沖縄

 辺野古移設    県外移設・国外移設・閉鎖

  0       沖縄自民党・民主党・公明党
          共産党・社民党・社大党

       本土

辺野古移設    県外移設・国外移設・閉鎖

 自民党本部   沖縄自民党・民主党・公明党
民主党本部   共産党・社民党・社大党
        共産党本部・社民党本部

オール沖縄の東京行動に参加した団体は日教組、自治労などの共産党、社民党配下の人間たちであった。自民党、民主党配下の人間は参加していなかった。翁長市長が代表者になったオール沖縄は、沖縄の自民党、民主党、公明党が共産党、社民党、社大党の革新政党に吸い寄せられた団体ということになる。
共産党は上関係が厳しく、沖縄支部が本部と違う公約を掲げることはあり得ない。社民党もそうだろう。
 イデオロギーの塊である共産党や社民党を「県民の誇りや人権を守ってきた」と錯覚している翁長市長は幼稚園生並みの政治家である。保守政治家としての自覚が足りなさすぎる。

保守政治家としてオスプレイ反対運動の先頭に立つことに葛藤や迷いはなかったのか、という質問に、
「政治家としては大変恐ろしかった。自民党県連の幹事長もしたし知事、国会議員の選対本部長もした。それをやる人間が、普天間飛行場のゲート前でシュプレイコールをする苦しさ、悲しさ。『僕はどういう風に政治からはじき飛ばされるのかな』という恐怖感はあった」
「保守の側から『おまえはいつから革新になったんだ』と非難の手紙や電話も来た。だが、保守でなければウィングを広げることはできない。革新の皆さんには純粋性と潔癖性と本当にすごい誇りがあるんだけど、包容力という意味では弱い。誰かがやらなければではない。僕が真ん中へ行った」

と答えている。国会議員や自民党沖縄県連が「辺野古移設」を認めた今はそう話すしかない。
しかし、普天間飛行場のゲート前でシュプレヒコールをやっていた翁長市長は自信に満ち溢れ堂々としていた。「政治家としては大変恐ろしかった」という表情は微塵もなかった。あの時は怖ろしいと思っていなかったはずである。
翁長市長はなぜ、オスプレイ配備反対運動をやったか。理由はひとつである。那覇市長選に確実に勝利するためであった。

県知事選の時、翁長市長は選対本部長であった。知事選が迫ってきた時、公約を「辺野古移設」から「県外移設」に変更したのは翁長市長であった。
仲井真知事は議会で激しい野党の追及に対して辺野古移設を公言し続けた。それなのに急に一八〇度転換の「県外移設」にしろという翁長選対本部長の要求を仲井間知事は渋った。しかし、翁長市長は「県外移設」にしないと選挙に勝てないと断言し、強引に公約を「県外移設」にした。知事選は仲井間氏が大差で当選した。翁長市長は自分の選挙戦術に自信を持ったことだろう。
翁長市長の選挙戦術というのは革新候補との争点をぼかすことにある。辺野古移設対県外・国外移設となると争点がはっきりする。しかし、県外移設対県外・国外移設となると争点がぼやけてしまう。そうなると経済・生活に強い自民党候補が有利になる。
公約を「県外移設」にしたのは革新候補との争点をぼかして仲井真候補を有利にする選挙戦術であった。

那覇市長選の時は革新候補との争点をぼかすどころかオスプレイ配備反対の手を挙げ、革新側がいつも仕掛ける「オール沖縄」を逆に翁長市長が仕掛けた。翁長市長はオスプレイ配備反対県民大会の代表になった。東京行動もやった。
翁長市長の狙いはズバリ当たった。先頭に立って運動するはずのオスプレイ反対運動を翁長市長に奪われた革新は対立候補さえ出せない状態になった。翁長市長の作戦は大成功だったのだ。新聞には圧勝した翁長市長の得意満面の写真が載った。

「革新の皆さんには純粋性と潔癖性と本当にすごい誇りがあるんだけど、包容力という意味では弱い。誰かがやらなければではない。僕が真ん中へ行った」にはあきれる。
革新の包容力は翁長市長よりもはるかに強い。辺野古移設反対の理由にジュゴンが可哀そう、ウミガメが可哀そう、素晴らしい辺野古の珊瑚を守ろうなどと革新政党は言っている。また、人殺しの基地は造らせない、騒音や墜落で辺野古周辺の人々が被害を受ける飛行場を造らせないと訴えている。自然を守ろう、人権を守ろうと革新政党は訴えている。
革新が自然を守ろう、人権を守ろうと主張するのは辺野古に米軍の飛行場を造らせないための口実である。彼らに本気の自然保護、人権の思想があるわけではない。彼らにあるのは反米主義である。
もし、革新に本当の自然保護思想があるなら辺野古以南の赤土汚染地域を問題にするはずだ。豊見城市から糸満市にかけての広大な埋め立て地への反対運動をしていたはずだ。辺野古と同じ規模の埋め立てをやろうとしている那覇飛行場第二滑走路にも反対しているはずだ。しかし、彼らは辺野古の埋め立てだけを反対している。なぜか。彼らは沖縄から米軍基地撤去するのが目的であり、辺野古に米軍基地を造らせないのを目的にしているからだ。
革新は自然保護を米軍基地撤去の政治目的に利用しているだけだ。これほどの詐術的な包容力が革新にはある。翁長市長は革新の包容力にくるまれてしまった政治家の一人だ。

島袋ヨシカズ立候補

「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」





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