「県外移設は県民総意」は真っ赤な嘘だった

「県外移設は県民総意」は真っ赤な嘘だった


 沖縄タイムスはQABと合同で行った県民世論調査の結果を発表した。
「普天間飛行場の移設先はどこが良いと思うか」の調査では下表になった。



表の通り「県外移設」に賛成しているのは三八・八%である。過半数に全然届かない数字である。「県民総意」とは呼べないことは明らかである。沖縄自民党は「県外移設は県民総意」と主張し続けてきたが、それは真っ赤な嘘であったのだ。

以前は「県外移設」が五〇%を超えていて、今回初めて五〇%を下回ったかというとそうではない。
前回の世論調査の結果を「沖縄 民主主義4」の「沖縄の狂った話2」に載せている。

沖縄タイムスの最近の世論調査である。

国外移設・・・三七・二%
県外移設・・・三三・四%
閉鎖・・・一五・四%
県内移設・・・一二・六%

辺野古移設反対は七〇パーセント以上であるが普天間飛行場の移設先についてはバラバラである。県民が県外移設を望んでいるというのは嘘なのだ。
          「沖縄 民主主義4」

「県外移設」は三三・四%で今回の世論調査より低かった。その理由は前回は「閉鎖」が含まれていたが今回は含まれていないからだろう。閉鎖・・・一五・四%が国外移設と県外移設のほうに移ったから今回の世論調査では「国外移設」「県外移設」が微増したのである。もし、閉鎖も調査対象に加えれば「県外移設」は三八・八%より低かっただろう。
 「県外移設」は三〇%台であり、四〇%にも満たない。それなのに沖縄自民党は「県外移設」は「県民総意」だと嘘をつき続けてきたのだ。沖縄自民党だけではない。沖縄の新聞や知識人も「県外移設」は「県民総意」であると嘘を言い続けてきた。沖縄自民党、新聞、知識人たちは県民の真意を隠ぺいし続けてきたのである。

 前回の世論調査では、

国外移設・・・三七・二%
県外移設・・・三三・四%

であり、国外移設のほうが多い。今回は国外移設と県外移設は同じである。この調査結果から「県民総意」を一つに絞るのなら「国外移設」である。または「閉鎖・国外移設」である。トップでもない「県外移設」を「県民総意」と隠ぺいするのにはあきれてしまう。
 
 自社の県民世論調査さえも隠ぺいするのが沖縄の新聞社である。

県内移設は一二・六%から辺野古+辺野古以外の県内で二二・八%となり、わずか数か月で一〇%以上も増えている。
沖縄自民党がぼんぼん鳩山首相の「県外移設」に惑わされずに「辺野古移設」を主張し続けていたら、「国外移設」「県外移設」と並んでいただろう。どうしようもない「理念」喪失の沖縄自民党である。
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「琉球処分」は「琉球王朝処分」だった



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「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。

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「琉球処分」は「琉球王朝処分」
 「小説琉球処分」の作者大城立裕(八十八)氏が「琉球処分を省みつつ・辺野古移設 構造化する差別」の題名で沖縄タイムスに寄稿した。

「琉球処分以上だ」。芥川賞作家の大城立裕さん(88)は米軍普天間飛行場の辺野古移設にかかる政府・自民党の恫喝とも取れる言動、沖縄軽視に怒り、それに屈し公約を翻した県出身議員、自民党県連を嘆く。今の沖縄が置かれた状況を『琉球処分』と重ね合わせた。
           「辺野古移設 構造化する差別」

 自民党本部の警告で、沖縄の自民党議員が公約を「県外移設」から「辺野古移設」に変えただけで「琉球処分以上だ」だと言う大城氏の被害妄想には苦笑してしまう。

「琉球処分」は琉球王朝支配が崩壊し、四民平等の社会へと沖縄の社会体制が根本的に変革したことである。それに比べて「県外移設」「辺野古移設」の問題は米軍の普天間飛行場をどこに移すかの問題であり、沖縄の社会体制にはなんの影響もない。それなのに「琉球処分」以上だなどと騒ぐのは「琉球処分」を勘違いして理解しているからである。

 沖縄には間違った「琉球処分」論が蔓延している。「琉球処分」の歴史的事実を究明しないで、単純に「琉球処分」を言葉通りに「琉球」が「処分」されたと解釈しているのだ。あまりにも無知な「琉球処分」論である。

 私たちは学校で江戸時代が士農工商の身分制度社会であったことを学んだ。武士は一番偉く、農民は二番目、商人が一番下の身分であった。武士階級の家に産まれた人間は一生武士階級であり、農民の家に生まれたら一生農民の身分である。
 武士が農民を殺しても「無礼講」といって罪にならないが、農民が武士を殺すと死刑にされた。農民は武士に搾取され、武士は働かなくても贅沢な生活ができた。
 武士が支配し身分制度のある社会を封建社会という。琉球王国も身分制度のある封建社会だった。
 琉球王国は封建社会であっただけでなく、もっとひどい社会だった。
一六〇九年に薩摩は琉球に侵攻し琉球王国を支配下に置いた。
薩摩藩の殖民地となった琉球王国は薩摩藩に多くの産物を献納しなければならなかった。

年貢   9000石
芭蕉布  3000反
琉球上布 6000反
琉球下布 10000反
むしろ  3800枚
牛皮   200枚

 沖縄は赤土であり農業には適していない。それに毎年暴風がやってきて農作物に大きな被害をもたらす。生産力が低い沖縄で薩摩藩にこれだけの農産物を献納するのは大きな負担であっただろう。しかし、だからといって首里城に君臨する琉球王とその配下たちが質素な生活をしたわけではない。彼らは働かないで農民を搾取して贅沢な生活を送っていた。
 琉球王国時代の農民は薩摩藩と琉球王国に二重支配されて貧困にあえいでいた。
 特に、琉球王国の植民地であった八重山・宮古は人頭税という過重な搾取を強いられていた。

 琉球処分は明治政府によって琉球王国を琉球藩にし、琉球藩から沖縄県にするという全国的に言えば廃藩置県が琉球処分であった。
  大城氏は、

 一八七九年琉球王国を滅ぼした琉球処分は琉球が「日本の帝国主義に飲み込まれる歴史であるが
              「辺野古移設 構造化する差別」
と述べている。
明治政府は「日本帝国憲法」を制定し富国強兵の政治を推し進めた。大城氏のいう通り琉球処分は琉球が日本の帝国主義に飲み込まれる歴史であった。しかし、だから沖縄の社会は琉球王国時代より悪化したことにはならない。
琉球王国が滅ぼされ琉球王国が沖縄県なったことで沖縄社会がどのように変化したかを「小説琉球処分」の作者でありながら大城氏は理解していない。

琉球王国が崩壊したということは、沖縄の武士階級による支配が崩壊し、身分制度がなくなったことである。武士も農民も身分が平等になったのである。
廃藩置県によって、薩摩藩は鹿児島県になり沖縄県と同じ地位になった。だから、薩摩藩への年貢・9000石、芭蕉布・3000反、琉球上布・6000反、琉球下布・10000反、むしろ・3800枚、牛皮・200枚の献納から沖縄の農民は解放された。宮古・八重山は琉球王国の植民地支配から解放され、沖縄県の一部なった。
沖縄の農民や漁師などが琉球王国の支配から解放されたのが琉球処分であった。琉球処分を正確な言葉で言うと琉球王朝処分であった。日本の封建国家から近代国家へ大きく変革する過程が「琉球処分」であったのである。
ところが「小説琉球処分」の作家である大城氏は歴史全体の流れを見ることができない。

小説では松田と三司官たちとの攻防を精力的に書いたが、松田の孤立無援の危機感は、資料(松田編著『琉球処分』に見られるとおりである。松田は、「負けそう」と危機感を走らせたとき、大久保たち政府首脳の議論の激しさを思い浮かべ、後背に敵を迎える思いをしたに違いない。自民党議員たちを説得する意思は幹事長の語調のはげしさを想像すると、この松田と同然のものではないかと思われる。
           「辺野古移設 構造化する差別」

大城氏は松田と三司官たちとの攻防で松田を追い込んだように思っているが、もし、三司官たちが松田をやり込めれば「琉球処分」はなかったとでも言いたいのだろうか。大城氏は交渉次第では琉球王朝の崩壊は免れたとでも言いたいのだろうか。
「琉球処分」は大城氏が考えているほど甘い問題ではなかった。明治政府の「琉球処分」は交渉次第で琉球王朝が生き残れるようなものではなかったのだ。廃藩置県は日本全体の変革であり琉球王朝の崩壊は避けることができなかった。もし、琉球王朝が徹底して「琉球処分」を拒否すればどうなっていただろうか。
一八七四年(明治七)、(佐賀の乱)一八七六年(明治九)萩の乱(はぎのらん)、同年年十月二十四日に神風連の乱と明治政府に対する士族の反乱が起こったが、すべて明治政府によって武力で鎮圧された。
もし、琉球王朝が「琉球処分」を拒絶すれば明治政府は武力で琉球王朝を崩壊させていただろう。江戸幕府から明治政府に移行する間に多くの戦争を体験した明治政府にとって琉球王朝を武力で滅ぼすのは赤子の手をひねるより簡単であった。しかし、武力を使わず、できるだけ平和的に廃藩置県を実施したい明治政府は「琉球処分」官を派遣して琉球王朝と交渉をしたのである。それは交渉と言うより明治政府による沖縄変革であった。
しかし、大城氏は「琉球処分には清国との関係を断つことと日本へ帰属するための問題しかなかった」と「琉球処分」の内実をほとんど理解していない。
明治政府にとって「琉球処分」の目的は琉球王国を廃して他の藩と同じように県を設置することであった。琉球だけが王国であったために手続きが他の藩と違っただけだ。日本を近代国家にするための廃藩置県であり、大城氏の言うような「清国との関係を断つ」こととは関係がなかった。そもそも、大城氏のいうような琉球王国と清国との深い関係はなかった。

廃藩置県で薩摩藩の植民地支配から解放されたことは沖縄にとって素晴らしいことなのに大城氏はそのことを無視している。宮古・八重山が琉球王国の植民地支配から解放されたことも素晴らしいことなのに大城氏は無視している。大城氏はまるで琉球王国の代表者のようだ。

安倍首相や石破氏は怠慢であり、ずるい。他県の主張へ根回しを試みたことがあるかどうか、知らないが、そこに言い訳すらしないところは、差別というか、軽視、侮蔑の館があり、琉球処分以上のものではないか。
            「辺野古移設 構造化する差別」

大城氏は新聞をほとんど読んでいないのだろうか。安倍首相は沖縄に来た。仲井真知事とは何度も話し合っている。石破幹事長も沖縄県連とは何度も話し合っている。参議院選の時も公約を辺野古移設にするように要求したが沖縄県連は聞き入れなかった。それでも石破幹事長は参議院選候補の応援演説を街頭でやっている。
 何度も自民党本部は根回しをし、説得をしたが聞き入れなかったのは沖縄の方である。沖縄の政治家の怠慢はひどい。そのことを大城氏は知らないようだ。だからとんちんかんな対話を想像するのである。

 石破氏と県出身議員たちとの間に、以下のやり取りがあっても不思議ではあるまい。
「沖縄県民は日本人だろうが」
「ヤマトにはもっとたくさんの日本人がいるではありませんか」
 そのたくさんの日本人が、本土メディアに観られるとおり、頬かむりを決め込んでいるのは、これこそ構造差別というものか。本土国民あげてのこの新たな琉球処分にどう対応すべきか。
              辺野古移設 構造化する差別

 石破氏と県出身議員との問題は自民党に属する政治家の公約の問題だ。石破氏は、「県外移設」の公約を「辺野古移設」に変更するように国会議員に要求した。そして、公約を変更しないのなら除名をすると言った。この問題は自民党内の問題であって日本人うんぬんは関係がない。
 公約を「辺野古移設」から「県外移設」に変更したのは沖縄県連のほうである。自民党本部は一貫して「辺野古移設」である。「県外移設」に公約を変更した時に自民党を離脱するのが筋を通すことであった。ところが沖縄の自民党は離脱しないで自民党にとどまった。もし、「県外移設」の公約を守りたいのなら自民党を離脱すればいいだけのことだ。政党政治の世界では当たり前のことだ。石破氏が「県外移設」に固執するなら除名すると言ったのは当然ことであり、脅しでもなんでもない。石破氏の要求に右往左往した沖縄の国会議員のほうがおかしい。

 大城氏もおかしい。琉球処分は廃藩置県という日本の近代国家への変革の問題であったが、公約を「辺野古移設」に転換しなければ除名もありうるという石破氏の警告は自民党内の問題であって国の問題ではない。問われたのは沖縄自民党国会議員の政治家としての覚悟である。
 もし、沖縄の自民党国会議員が「県外移設」の公約にこだわれば自民党を除名されるだけであり、国会議員を辞める必要もなかった。沖縄の社会に大した影響はない問題である。
 しかし、「琉球処分」を断われば明治政府は武力で琉球王朝を倒していた。自民党内のごたごたと「琉球処分」はスケールも内容も全然違っている。

 「かつての琉球処分の合戦に敗れた沖縄は」と考えている大城氏には苦笑せざるをえない。琉球王朝は一六〇九年以来薩摩藩の植民地だった。二五〇年以上も薩摩藩に植民地支配されていた琉球王国に明治政府と合戦する実力は全然なかった。むしろ、「琉球処分」によって薩摩の植民地支配から解放されたのだ。沖縄の人々は「琉球処分」に感謝するのが当然である。
 琉球処分は琉球王朝処分であり、沖縄の近代化への第一歩であった。

島袋ヨシカズ立候補

「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」





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