本当の沖縄を知らない与那原恵の愚か



「かみつく」を改名「沖縄 民主主義4」
定価1000円(税抜)
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「かみつく」を改名して「沖縄 民主主義」にした。

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反「琉球処分」論は王朝回帰者のたわ言
「県外へ」言葉の裏の痛み 普天間移設と「琉球処分」
2013年12月10日09時23分

与那原恵さん
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設をせまる政府の姿勢が、沖縄で「琉球処分」(1879年)になぞらえて批判されている。明治時代の記憶に重なるものは何なのか。ノンフィクション作家・与那原恵さん(55)に聞いた。

 自民党の石破茂幹事長が沖縄選出の5人の党国会議員を横に座らせて会見する写真を見て、ショックを受けた。冷酷な石破さんの表情と、「県外へ」の公約を破り、うなだれる議員。「強圧的な国と、沈黙させられた沖縄」という構図が、琉球処分を想起させ、私たち沖縄人が抱える傷をえぐったんです。

 琉球処分は、武力を背景にした「琉球併合」。450年の歴史を誇った琉球王国を、明治政府は強引に沖縄県に変えた。処分官松田道之は王国解体を一方的に宣言。王家一族は首里城を追われる。かがり火の下、涙ながらに城を後にする様子は、有名な沖縄芝居「首里城明け渡し」として描かれてきました。

 私のひいひいおじいさんの兄は、最後の琉球王・尚泰に仕えた役人で、明け渡し後、東京へ移住させられた王家に随行した。幼い頃から祖父や父から聞かされてきた話です。先祖がどんな人か。東京では祖父母くらいまでしか知らない人が多いようだが、私は500年ほどさかのぼれる。沖縄では珍しくありません。

 家族の中で語り継がれ、芝居で演じられ、民謡に歌われながら、琉球王国の歴史は身体化され、沖縄人の精神に根付いてきた。ウチナーンチュには、目の前で起きていることを歴史の時間の中で問い直す感覚がある。その精神性、歴史的なつらなりを本土の政治家は全く見ていないように思えます。

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦では本土防衛の捨て石にされた。その後は27年間の米軍統治下。命を脅かされる困難な時代を生きてきた人たちの感性からすれば、「基地を本土に持って行け」とは言えるはずもなかったし、長い間言わなかった。でも、日本に思いは届かず、怒りは積もりに積もってしまった。

「県外へ」。沖縄の人たちがそう言うとき、痛みが伴っていることを本土の人たちは気づいていますか。県内移設の埋め立て承認を迫られている仲井真弘多知事がどうするかはわからない。ただ、今のまま承認させられるなら、琉球処分と同じくらいの深い傷を残すかもしれません。(構成・木村司)

 与那原恵 1958年東京生まれ。沖縄出身の両親を持つ。著作に、琉球文化の貴重な記録を残した人物の足跡をたどる「首里城への坂道」、日本統治下の台湾で暮らした家族の足跡を追った「美麗島まで」など。
             朝日新聞デジタル

「琉球処分」は廃藩置県であり、明治政府は琉球王国だけを崩壊させたのではない。全国の藩を例外なく崩壊させた。「琉球処分」は沖縄だけで起こったと印象を持たすような特別視をするべきではない。「琉球処分」は明治維新の一ペーシでしかない。
琉球王国は明治政府の要求を受け入れたから武力行使をしなかったが、本土では武士たちが武装蜂起して明治政府に鎮圧されたこともあった。

与那原恵さんの祖先は最後の琉球王・尚泰に仕えた役人だったという。王家一族が首里城を追われたことを哀れに思っているが、先祖が琉球王国の役人であり、琉球王国の側から「琉球処分」を見ているから同情するのである。
与那原恵さんは琉球の農民の側から「琉球処分」を見ていても同じことが言えるだろうか。「琉球処分」は独裁支配者の琉球王朝の処分であり、沖縄を四民平等の社会にした。琉球王朝に搾取されていた農民は解放され自由になった。植民地であった宮古・八重山も人頭税という重税から解放された。本土との行き来も自由になり、沖縄の人々は本土に出稼ぎに行くことができた。沖縄の貧しさを救うために日本政府はハワイなどへの移民も積極的にやった。

与那原恵さんは明治政府の「琉球処分」は琉球王朝を処分したのであり、琉球全体を処分したのではなかったことや、沖縄を四民平等の社会にしたことを理解していない。戦後の民主主義社会に育ちながら琉球王朝の処分に反対するのは琉球王朝の独裁支配のひどさや民主主義の素晴らしさを理解していないからである
「琉球王国の歴史は身体化され、沖縄人の精神に根付いてきた」というのは嘘である。私の知り合いにそんな人は一人もいない。大正生まれの父母でさえ琉球王国の歴史が身体化されていることはなかった。

四民平等の社会になったことを沖縄の人々がどんなに喜んだかを与那原恵さんは知らない。明治以後の多くの沖縄県民は古い封建社会のしがらみを捨て、新しい近代社会に突き進む精神があった。戦前の新聞を見ればそれが分かる。多くの沖縄の人達が「琉球処分」を歓迎したのだ。「琉球処分」に反対したのは一部の琉球王朝の高官だけであった。

私は戦後六十五年間沖縄に住んでいるが、それも嘉手納飛行場の近くに住んでいるが、二十七年間の米軍統治下で命を脅かされるような感性を持ったことはない。嘉手納町の屋良に住んでいた姉の家の近くに戦闘機が墜落し数人の犠牲者が出た。それで死の恐怖が湧いたかというとそうではなかった。戦闘機が墜落するということはほとんどないことを知っていたからだ。
それよりも同じ頃に同級生の女の子が下校中にトラックに轢かれて死んだことがきっかけで自動車に恐怖を持ったことはあった。女の子はちゃんと歩道を歩いていたのにトラックに轢かれて死んだ。戦闘機が墜落するのはほとんどないが、自動車は私たちの側をよく通るし、次第に自動車が増えていった時代である。私が戦闘機の墜落より自動車に恐怖を抱いたのは当然であった。

ベトナム戦争時代に嘉手納飛行場の爆音はすさまじく会話さえできないくらいであった。あの時は嘉手納飛行場を爆破したい感情にかられた。しかし、爆音は命を脅かされるものではなかった。

与那原恵さんは「27年間の米軍統治下。命を脅かされる困難な時代を生きてきた人たちの感性」というが、米軍統治下の二十七年間で沖縄県の人口は六十万人から一〇〇万人近くまで増えた。しかも、米軍基地が集中している中南部に人口は集中した。命を脅かされているならこんなに人口が増えるはずがない。人口が増えたのは沖縄が平和で経済も順調に発展したからである。

米軍が県民を弾圧したり搾取したことはない。アメリカ兵は陽気でフレンドリーだった。アメリカ兵が県民を差別したり苛めたりしたこともなかった。彼らは映画で見るような普通のアメリカ人だった。

アメリカ兵による交通事故、酒気帯び、婦女暴行が頻繁に起こっているような印象を持っている人が多いが、それは新聞がアメリカ兵の犯罪を微罪からすべて報道するからだ。統計からみるとアメリカ兵の犯罪発生率(発生数ではない)は県民の発生率より低い。交通事故、酒気帯び、婦女暴行はアメリカ兵とは比べることができないくらい県民のほうが多い。沖縄に駐留している米兵の婦女暴行は五年以上発生していないのが事実である。

与那原恵さんは沖縄県の世論調査を見たうえで「県外移設」に対する意見を述べているだろうか。

数か月前のタイムス世論調査では
国外移設・・・三七・二%
県外移設・・・三三・四%
閉鎖・・・一五・四%
県内移設・・・一二・六%

最近のタイムス世論調査では、
国外移設・・・三八・八%
県外移設・・・三八・四%
名護市辺野古・・・一七・八
辺野古以外県内・・・五%

 新聞が県民総意は「県外移設」と何度も何度も書き続けたにも拘わらず、実際の県民の「県外移設」は四〇%にさえ届いていない。
「『県外へ』。沖縄の人たちがそう言うとき、痛みが伴っていることを本土の人たちは気づいていますか」と県民の心を知っているような口ぶりだが、与那原恵さんのほうが県民の心を理解していない。共産党、社民党、沖教祖、自治労系は「国外移設」である。自民党、民主党系は「県外移設」である。そして、それらの政党の考えとは違い辺野古移設・県内移設を支持する県民は二二・八%居る。県民の世論調査を見れば「県外移設」が県民の総意でないことが分かる。

与那原恵さんは沖縄を理解し沖縄に同情しているように見えるが、本当は沖縄を理解していないし、民主主義社会より琉球王朝独裁支配に賛成し沖縄を不幸にしようとしているひどい考えの人間である。

与那原恵さんは自民党の石破茂幹事長が沖縄選出の5人の自民党国会議員を横に座らせて会見する写真を見て、ショックを受けたというが、あれは沖縄国会議員の政治理念のなさ、だらしなさ、優柔不断さの姿であり、沖縄の人間として恥ずかしい写真であった。

自民党本部は「辺野古移設」を公約にしていたのに沖縄の自民党国会議員は「県外移設」を公約にした。自民党本部と対立する公約を掲げたのなら自民党を脱退するのが筋である。ところが国会議員は脱退しなかった。政治家として恥ずべきことである。
石破幹事長が「辺野古移設」に変更しなかったら除名するというのは自民党幹事長として当然の判断である。みっともないのは除名すると言われて右往左往した沖縄の国会議員である。もっとみっともないのは公約を変更したことである。もっともっとみっともないのは公約を変更したのに国会議員を辞めて、「辺野古移設」を掲げて県民に信を問わなかったことである。

石破幹事長とうなだれている五人の国会議員を見て、「琉球処分」を想起するなんてバカげている。あれは沖縄の国会議員の恥の姿である。

島袋ヨシカズ立候補

「辺野古移設なくして北部の経済発展はなし」





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