復帰前にはアメリカ的自由があった

澤地久枝さんは嫌な人間だな。
「アメリカにとって沖縄は第2次大戦の戦利品」であると決めつけている。
じゃあ、私はアメリカの戦利品のひとつなのかと言い返したくもなる。
でもね、あなたは全然想像できないと思うが、
アメリカの戦利品であった沖縄は自由だったよ。
活気にあふれていた。
嘘だと思うだろうが、本当だよ。

戦後の沖縄でよく言われていた「センカをあげる」
という意味を澤地さんは知っているか。
私の子供の頃は大人の口から
「センカをあげる」と言う言葉が飛び交ったものだ。
漢字で書くと「戦果をあげる」だ。
辞典では「戦闘・戦争において上げた成果戦果」と説明している。
戦争に勝ったほうが負けたほうから戦利品を取るということだ。
子供の頃、
大人たちはよく「センカを上げた」という話をしていたが、
戦争をしていないのに「戦果をあげる」とはどういうことなのか
子供の私は意味がわからなかった。

実は「戦果をあげる」とは米軍事基地から盗むということである。
盗みは万引き程度のスケールの小さいものではなかった。
私の家は「戦果」であげた材木でつくったと聞いたことがある。
木材から台所用品、
タバコ、
かんづめなど
米軍基地にあるあらゆるものを「戦果」といって沖縄の人間たちは盗みまくった。
「戦果アギヤー」と呼ばれた
暴力員はひと財産を築いたそうだ。
多くの人間が「戦果」で大もうけした。
なぜそんな大それたことができたかは、
沖縄警察の手抜きがあったからだろう。

沖縄のマスコミは
米軍人の沖縄人への犯罪を米軍が裁いて無罪にするのを大きく取り上げて、
米軍の植民地支配だと非難するが、
沖縄人が加害者だったら相手がアメリカ人であろうと沖縄の警察が取り調べ、
アメリカ人が加害者だった場合はアメリカ軍が取り調べるという事実をほとんど報道しない。
例えば沖縄男性がアメリカ女性を暴行した時は
沖縄の警察が逮捕して取り調べ沖縄の裁判所に起訴する。
70台以上の車を燃やしたコザ騒動も沖縄警察が捜査し逮捕した、。
車を燃やされたアメリカ兵の暴動を鎮めるために
米民政府が焼かれた車を保障したという報道も
沖縄のマスコミほとんどやらない。

軍事基地内で沖縄人が盗みを働いた場合も
逮捕し起訴するのは沖縄の警察や検察であり、
判決を下すのは沖縄の裁判所であった。
沖縄の警察は「戦果」の分け前をもらって
「戦果」犯罪者には容赦をしていた。
戦果」専門の暴力団は沖縄の警察官を買収したことを告白している。
とにかく、
軍作業員の誰もかれもが「戦果」をあげた時代だった。
澤地さんがいう
「アメリカの戦利品」の沖縄人たちはアメリカから戦利品を奪っていた。
日常生活では逆のことが起こっていた。
というより、
沖縄はアメリカの戦利品ではなかった。
そもそも戦利品という発想は軍国主義社会を生きた人間の発想だ。
人間を物扱いする思考回路の澤地さんだから「戦利品」などというのだ。
アメリカのほうが沖縄人を人間扱いしたね。

アメリカが沖縄を軍事基地化したのは社会主義圏との対立が原因であり、
300万人もの死者を出した朝鮮戦争があったからだ。
だから、アメリカが軍事優先であったことは否めない。
しかし、アメリカ軍が沖縄人を差別弾圧したというのは嘘だ。
土地の強制収容は社会主義国家との対立というのっぴきならない理由があった。
緊迫したアジア情勢に鈍感な人間や
共産党、社会党などの中国や北朝鮮と親しい関係にある団体が
対米追従とか軍事植民地と騒いだだけだ。
(社会主義者や共産主義者は沖縄にたくさんいる)


アメリカ軍からの払い下げで小さな電力会社をつくったり、
広場でブロック工場をつくったり、
セメントで水瓶をつくったり、
戦後の沖縄はアメリカの指導で、
今でいうベンチャー企業がどんどん増えていった。
ゴヤのゲート通りはインド人や中近東からやってきた人間たちが洋服店などをやっていた。
フィリピンバーはいたるところにあった。

米民政府は
本土からの輸入品には高い関税をかけて沖縄の製造業を保護したから
沖縄の産業が活発になった。
私の同級生の父親はラーメン製造業をはじめた。
国場組は中近東に進出するほどに成長した。

しかし、
本土復帰すると本土の企業に太刀打ちできないで
多くの地元企業は倒産していった。
その代わりに麻薬のような公共事業がどんどん増えていった。
国場組は楽な公共工事に目移りして、
厳しい自由競争の中近東の市場から楽な県内の公共工事に移ったのだろう。
国場組は中近東から引き揚げた。
沖縄のアメリカ的自由は失われ、
日本流の息の詰まる秩序が蔓延し、
自民党の派閥政治による献金と利権争いの沖縄社会になった。
復帰前は酒やタバコはどの商店でも自由に売ることができたが、
復帰すると酒免許が必要になった。
酒組合は酒の利権を維持するために自民党に献金した。
酒の免許は最初の頃は300万円以上もした。
コンビニをやっている時に、
100メートル離れている商店から酒の権利を
私は150万円で買ったことがある。

オスプレイなどの基地問題がマスコミを賑わしている。
基地問題のほとんどは事件や事故である。
事件や事故は事件・事故であって私たちの生活に直接は関係していない。
ところが連日マスコミが騒ぐものだから
私たちの生活を事件・事故が直接脅かしているように錯覚させている。
事件・事故は直接私たちの生活を脅かしていないし、
事件・事故が解決しようがしまいが
私たちの生活が向上するわけではない。

基地の事件・事故問題に積極的に関わっているのは
公務員や教職員組織であるが、
彼らは復帰前は復帰運動に積極的だった。
米民政府施政権下では教師や公務員は給料がやすかった。
復帰すれば給料が本土並みの高給になることは100%確実だった。
だから、彼らは復帰運動に情熱を注いだのだ。
復帰後は、
予定通りに給料は本土並みになり
悠々自適な生活を送るようになった。
これ以上の生活向上を望む必要はないから、
彼らは生活向上の闘いとはかけ離れた
基地の騒音・事件・事故に
反戦平和のキャッチフレーズを掲げて反基地運動を盛り上げているのである。
彼らは生徒の学力向上に興味がないし、
沖縄の生活向上や経済発展にも興味がない。

辺野古移設をやめて県外移設をするなら、
最低20年は普天間基地は現状のままである。
彼らは20年以上も現状維持で平気なのだ。
彼らは県外移設するとあと何年かかるかを絶対に口にしない。
誰かが口にすると彼らは怒って、
年数の問題ではないなどと言うだろう。
辺野古移設5年、
県外移設20年以上は揺るがない事実である。
事実を踏まえて
どうするかを真剣に考えるべきであるのに、
彼らは考えない。
中流生活を送りながら、
彼らは反基地運動を楽しんでいるのである。
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沖縄教販直営店で販売

夕方、沖縄教販から電話があり、沖縄教販の7直営店で販売すると連絡してきた。
新参者の本だから、売れるか売れないか試験をしてみるつもりのようだ。
それはその通りだ。
内容がかたいから売れないだろうと考えているかもしれない。
そう思われても仕方のないこと。

金曜日に本を持っていくことになった。
来週には沖縄教販の店に並ぶと思う。
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