国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
中国よ、日本の国民をなめたらあかんぜよ
中国よ、日本の住民パワーを見たか。
民主主義は短期戦には弱いが、長期戦には強いんだ。
尖閣問題で立て続けに日本にえげつない攻撃をしたが、これに対して日本は決して泣き寝入りはしない。じわりじわり反撃していくのだ。
日本には国民の意思というのがあるんだ。日本は中国のように国民の情報操作はできない。国民の意思は国をも左右させるのだ。
それにしても知識人は駄目だね。中国にひどい仕打ちをされても怒りがない。市民は感情的にならず、冷静に考えてほしいだと。
冷静に、まともな判断をしているから怒っているのだ。
中国よ、日本の国民をなめたらあかんぜよ。
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コザ騒動民の憤り
深夜に始まったコザ騒動がこんなにすざましく、多くのドラマがあったとは知らなかった。
しかし、やはりコザ騒動は規模は大きくても暴動ではなく騒動であったと思う。それは警察もMPも手が出せないくらいに激しい騒動が夜明けとともに潮が引くようにあっけなく終息したことに現れている。
騒動に参加したほとんどの人間は仕事をしていて生活に困っていたわけではない。アメリカ軍の圧政によってどん底の生活を強いられているという人間もいなかった。そもそもアメリカ軍が圧政だったとは言えない。
生活は安定していて、騒動に参加した人の多くは忘年会などで仲ノ町で飲んでいる人たちであった。夜の暗さの中なら素性がばれないから暴れることができたが、明るくなれば自分の素性がばれる。それを恐れる人たちだったから明け方になると騒動をやめて家に帰ったのだ。
車に最初に火をつけた少年は、家庭、学校、大人たちに対する不満や怒りが車に火をつけた原因だと述べたようにさまざなうっぷんが、少年が火をつけたのをきっかけに爆発して、連鎖していったのだろう。
私は、アメリカ兵と遊び、彼らのことをよく知っている少年やAサインバーに働いているボーイたちがコザ騒動に積極的に参加したことにショックを受けた。アメリカ兵のほとんどは気さくで陽気な人間が多い。沖縄人を差別したり沖縄人を馬鹿にする人間は少ない。そのことを彼らは知っていたはずなのにコザ騒動に参加してアメリカ人の車を焼いたのだ。
なぜ彼らは騒動を止めるのではなく騒動をかきたてたのか。彼らの行動には単純な反米意識ではなく、あの頃の沖縄のもっと根深い問題が潜んでいると思う。
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