コザ騒動民の憤り




深夜に始まったコザ騒動がこんなにすざましく、多くのドラマがあったとは知らなかった。

しかし、やはりコザ騒動は規模は大きくても暴動ではなく騒動であったと思う。それは警察もMPも手が出せないくらいに激しい騒動が夜明けとともに潮が引くようにあっけなく終息したことに現れている。
騒動に参加したほとんどの人間は仕事をしていて生活に困っていたわけではない。アメリカ軍の圧政によってどん底の生活を強いられているという人間もいなかった。そもそもアメリカ軍が圧政だったとは言えない。
生活は安定していて、騒動に参加した人の多くは忘年会などで仲ノ町で飲んでいる人たちであった。夜の暗さの中なら素性がばれないから暴れることができたが、明るくなれば自分の素性がばれる。それを恐れる人たちだったから明け方になると騒動をやめて家に帰ったのだ。

車に最初に火をつけた少年は、家庭、学校、大人たちに対する不満や怒りが車に火をつけた原因だと述べたようにさまざなうっぷんが、少年が火をつけたのをきっかけに爆発して、連鎖していったのだろう。

私は、アメリカ兵と遊び、彼らのことをよく知っている少年やAサインバーに働いているボーイたちがコザ騒動に積極的に参加したことにショックを受けた。アメリカ兵のほとんどは気さくで陽気な人間が多い。沖縄人を差別したり沖縄人を馬鹿にする人間は少ない。そのことを彼らは知っていたはずなのにコザ騒動に参加してアメリカ人の車を焼いたのだ。

なぜ彼らは騒動を止めるのではなく騒動をかきたてたのか。彼らの行動には単純な反米意識ではなく、あの頃の沖縄のもっと根深い問題が潜んでいると思う。
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