Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅶ

2009-08-27 23:44:41 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!朝晩は涼しく、天候は曇りがちになり、夏と秋の空気がそろそろ入れ替わる時期になった。平地にても、ポツポツと赤トンボが見られる様になった。振り返れば名古屋鉄道パノラマカーの全面退役まで後3日・・・。前号よりの続きだが、21世紀に入っては、パノラマカーの退潮が次第に顕著になって来る。大きな転機は、やはり2000=平成12年9月に当地を襲った、東海豪雨による水害ではないだろうか。

あの時、名鉄車両の一大拠点、新川工場が付近の川の氾濫により冠水被害を受け、それ以外の水害をも含め、パノラマカーの先輩車5500型の多くが被災、やがて引退廃車への道を辿った。パノラマカーも、判っているだけで2編成が被災、内1隊は事実上このまま、他の1隊も一度は再起したものの、結局翌年廃車となった様だ。前者は第14編成、記号7027Fである様で、この時の引退が幸いし、現在は名古屋南郊のJRA中京競馬場に計3車が保存されている(保存場所事情により、中間1車のみ廃車解体)。

とに角、この水害が引金となって、パノラマ一族の退潮は加速して行った様だ。2004=平成16年に入ると、兄弟車7500型の引退が本格化し、翌年消滅する。高速化を目指した同車だったが、低重心低床構造が、福祉目的のバリアフリー化の方向(プラット・フォームかさ上げなど)と合わず、早めの引退と相成った次第。この構造の為、引退年に開通した中部空港線へも、乗り入れが叶わなかった様だ。

そして2007=平成19年よりは、いよいよパノラマカー最後の退潮局面が訪れる。この年の初夏、1974=昭和49年デビューのパノラマカー最終第24編成、記号7047Fが用途廃止され、完全引退が近づいた事を思い知らされたものである。それと前後して3隊計約20車が退き、同年後半は、通勤車への仕様変更が決まった実子「パノラマ・スーパー」全車特別編成の改造の為(書類上一旦廃車)動きがなかったものの、昨2008=平成20年春よりは、やはり最終増備の第23編成、記号7045Fの用途廃止を皮切りに、秋口までに3隊12車を残すまでに後退、急行などの優等列車の運用も退いて、遂に昨年暮れ12/26(金)をもって、通常運転の舞台より永遠に降板した次第。

パノラマカー全盛期より退潮までを眺めてみると、やはり鉄道の利用実態の変化を認めざるを得ない。以前の様なサービス優先の前向き座席、所謂クロス・シートよりは、短時間ならまあ快適だし、乗車効率も良い地下鉄流のロング・シート、あるいは両者の折衷型、セミ・クロスシートの片側3ドア車が好まれる様になったと言う事だろう。又、それは効率経営を志向する名古屋鉄道上層部の思惑とも一致したと言う事だろうか。座席指定料金を必要としない特急一般席車は、パノラマカーの実子「パノラマ・スーパー」よりはクロス・シートは維持されたものの乗降扉は片側3箇所化、今世紀に入り登場の空港特急車「ミュー・スカイ」の同僚のそれは、座席もセミ・クロス化されている。愛好者の目よりは明らかにレベル・ダウンの印象を免れないのだが、一般乗客からすれば、それ程でもないのだろう。

余り記したくはないのだが、昨秋は、名古屋港の近所にて勇退したパノラマカーの廃車作業を拝見する機会をも得た。平日にも関わらず、20名を超える愛好者達が最後の挨拶に赴いていたのを覚えている。誇りと栄光の特急車は、その最期まで潔く、輝いて見えた。

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