Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

帰着~パノラマカーの視点より

2008-12-27 23:04:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
昨夜の事ですが、当地中部の交通の歴史の1ページが、確かに括られた様な感じがします。
ご存じの方も多いかと思いますが、名古屋鉄道パノラマカーが、毎日走る定期運転を全て終え、事実上現役を退きました。

1961=昭和36年夏の初デビューより、47年7か月の現役生活でありました。又、本来の使命である特急列車の任務にあっては、デビューより1999=平成11年半ばまで、こちらも40年に近い長期政権でした。

中距離とも言える名古屋鉄道の路線にあって、フラッグ・シップとも言える特急型車両の開発は本当に難しく、朝晩の通勤通学ラッシュへの対応と、ある程度の長時間乗車にも備える必要があり、その相反する需要にどう対応するか、異なる輸送の性格とどう折り合いをつけるかで、関係各位のご苦労は大変大きかった様です。一時は、列車トイレの設置も真剣に議論されたとか。これは結局、見送られた次第ですが。
その上で「乗って楽しい車両」「何度でも乗りたくなる車両」を目指し、運転台を上部に設け、先頭を展望客席とした前例のない大いなる英断には、改めて心よりの拍手を贈りたく思います。

先日ですが、時折拝見する大型掲示板「2ch」の鉄道交通趣味欄にて、パノラマカーに初めて乗る機会を得た幼児の反応が紹介されていました。
同車の備える音楽警笛、ミュージック・ホーンを聴いたこの子の言葉は「この電車は、唄が歌える」でありました。読んでいて、本当に胸に迫るものがありました。
これは正に、幼少の頃のパノラマカーに対する拙印象とまんま同じだったのです。しかも運転の方の視線で前方を見る事ができる。この新鮮さは、叶うなら一人でも多くの子供達に体感を願いたかった所。勿論全員は無理な話ですが、我が両親の話によると、小学生の甥も幼稚園に通う頃よりパノラマカーの先頭席に好んで座り、前面展望にのめり込んでいた由。まあ良かったと思います。
先週、犬山遊園へと行動を共にした時にも乗車機会がありましたが、多くの愛好者で先頭席は通勤ラッシュ並みの大混雑。さすがに着席は諦めた様です。

私も些か残念でしたので、帰路は同車の実子「パノラマ・スーパー」の先頭席を確保して片道は前面展望を堪能した次第ですが、甥の話だと前面窓の高さはパノラマカーの方が明らかに低く、子供にはこの方が見易い由。やはり運転台を上部設置とした効果ではないでしょうか。
パノラマ・スーパーでは先頭席の床高さが上がって見晴らしが利く様になった反面、運転台が一般車と同じく下部設置の為、前面窓が高くなって子供には見辛い箇所がある様です。

2ch掲示板などを見ていても、中には「ラッシュ時にポロラマカー(経年で古くなったパノラマカーを揶揄する言葉。苦笑)は辛いなあ」などと本音を吐露する向きもありますが、多くはパノラマカーの夢のある思い切った意匠を讃え、数々の思い出に感謝する言葉である様です。
ある写真雑誌にも「我々にとって、パノラマカーは永遠の存在である」との言葉が同車の走行画像と共に綴られていました。その意味が、少しは分かる気がします。

残されたパノラマカーは4両編成が3隊、計12両。内2隊は犬山線、江南市内の、ある駅にて休んでいます。
すっかり有名になった逆台形の行先盤を返上し、あるいは今後一線で走る事はないのかも知れませんが、どうか最後の日まで大過なきを祈りたいもの。
残り1隊、かつての特急車両の象徴だった白帯を掲げた編成は、名古屋本線の、ある車両基地にて保管され、来年初以降の退任挨拶かたがたの臨時運転に備えている様です。
多くの愛好者より既に語られている言葉ですが、私も同車にこの一言を申したく思います。

「有難う パノラマカー・・・」*(ツリー)*

コメント
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