Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

車掌長の桜花

2005-04-10 16:53:00 | インポート
コナサン、ミンニチワ!

昨日と今日の愛知県下は正に夢の様な2日間でした。お陰様で好天が続き、そこへ桜の見頃が重なったのです。この為県下の花見名所はどこも、開催中の「愛・地球博」が霞む程凄い人出だった様です。
恐れながら私も休日、昨日今日の両日、名古屋市内、そして生まれ故郷の豊川市の咲き誇る桜花を存分に愛でる機会を得る事ができました。
今年の花見には1つ、目標がありました。
名古屋城の城郭内に中部伝説の桜守、故・佐藤良二さん植樹の木々があり、その花を是非1度見たく思っていたのです。
今年の名古屋城、幸か不幸か今春より「名古屋城博」が催され、例年以上の人出。
市の、そして県の内外より多数の観覧客が訪れ、中にははるばる欧州より長旅の果て、この城の花を愛でにいらした方々もありました。
名古屋城郭にも多くの桜の木々がありまして、この時期には競って見事な花を咲かせています。その様な中、天守閣の西側の、とある古い倉庫風の建物のそばに、佐藤さんの木々は余りにもさり気なく、ひっそりと花を咲かせていたのでありました。
佐藤良二さん・・・昨春も当日記にて、少しご紹介した記憶がありますが、1929=昭和4年岐阜県のご出身。若くして当時の日本国有鉄道に入社、地元岐阜県郡上地区の自動車部所属、名古屋から石川県金沢を目指す路線バス、名金線の車掌としてご活動の傍ら、名古屋~金沢間の250kmを超える区間を繋ぐ長大な桜街道の造成を構想され、当初は殆んど独力で植樹をお始めになった模様。
その後地元有志の協力の下、この計画は軌道に乗る事となりますが、残念ながら志半ばの1977=昭和52年、重い病に倒れてしまいます。
同氏のご遺志は、地元有志に引き継がれて桜街道は現実のものとなり、街道の木々は今も、亡き同氏のご遺族を中心とする方々によって保全されていると言う話を聞いております。
桜守・・・恥ずかしながら毎年桜が美しい花を咲かせる様、日頃より手入れし健康を管理するこうした仕事がある事を、私は随分後まで知りませんでした。祖国日本の国花として敬愛され、毎春我々の目を和ませてくれる桜花も、プロの園芸家、或いは佐藤さんの様なノンプロの無償の奉仕によって守られている事実を、我々は是非覚えておきたい所です。
以下、佐藤さんの桜への想いを詠まれた詩を昨年に引続き、ご紹介しておきます。

「限りない 夢を託した 桜道」
この地球の上に 天の川の様な
美しい花の星座を造りたい。
花を見る心が 1つになって
人々が仲良く 暮らせる様に・・・。*(桜)*


コメント
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