生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

宮嶋裕子さん再び

2019-09-10 18:26:06 | 教会
8日の午後、ナオミ会(教会の婦人会の一つ)で宮嶋裕子さんの講演会がありました。宮嶋裕子さんは、三浦綾子さんの初代秘書です。6月に婦人集会で宮嶋さんのお話を聞いて大変励まされたので、今回もぜひお聞きしたいと思いました。

でも、参加できるかどうかはぎりぎりまでわかりませんでした。
土日は孫たちがくる可能性が高いので、もし来たら講演会には行けません。

また、台風が近づいているので、午後までいたら自転車で帰れなくなってしまうかもしれません。
それでも希望を持って祈りつつ、当日は朝8時に家を出て第一と第三礼拝に出ました。

午後になって講演会が始まるとき、空は晴れていました。『きっと大丈夫』と、思い切って参加しました。大丈夫でした。

ふだん、ナオミ会に出ていない者ですが、皆さんが温かく迎えてくださいました。
講演が始まるころには疲れでふらふらしていました。手元にあるメモ書きを見ながら一部を紹介させていただきます。

綾子さんは、自分が罪赦されたことを本当に感謝していました。

自分の罪に気づいて自殺しようとオホーツク海に足を入れたとき、前川正さんに助けられました。
その後、綾子さんはキリストに導かれ、病床洗礼を受けました。

西村久蔵さんは、「クリスチャンは神さまの愛を伝える者なのだ」と言いました。それで綾子さんは受洗の翌日から祈り、キリストを伝えたそうです。

脊椎カリエスになって体が固定されるとき、牧師先生は「必ず治ります」と言いました。綾子さんはその言葉に助けられたそうです。

「人を励まし、慰める言葉を心に蓄えておかなければならない」と綾子さんは言っていました。

綾子さんは、自分がサマリアの女のようだとも言いました。

サマリアの女とは、ヨハネの福音書4章(新約聖書)に書かれていますが、イエス様と弟子たちがサマリアの町を通った時、井戸があったので、その傍らで休まれました。

お昼ごろひとりのサマリアの女が、井戸に水くみにやってきました。女は、後ろ指をさされるようなことをしていたので、町の人が水を汲みに来ない時間にやってきたのです。

イエス様は「水を飲ませてください」と女に声をかけられました。

当時、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く、顔を合わせても言葉を交わすことがなかったそうです。

彼女は驚きましたが、イエス様と話をするうちにイエス様が預言者だと信じるようになります。
イエス様は、女の過去を言い当てました。

彼女は町へ行って、イエス様のことを伝えました。サマリアの人たちはイエス様に滞在してくれるように頼み、イエス様は2日間留まり、福音を伝えます。それでサマリアの人々はイエス様が救い主だと信じました。

綾子さんがこの女の人と自分を重ね合わせたのでしょう。相手が何と言おうと、イエス様のことを伝えずにはいられないという気持ちで、書いて伝えたのだと思います。
最後に綾子さんの聖書に赤線が引かれていた箇所を紹介します。


「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。(ピリピ2;13、14)」



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