22日の日曜日は3人の方が洗礼を受けました。その中の一人はTEENSのメンバーで中学3年生のSちゃんです。Sちゃんのことは赤ちゃんの時から知っています。中学一年生のころから素直な信仰をもって、受洗に至りました。なんと嬉しいことでしょう。
メッセージはTEENS担当のK先生でした。一部紹介させていただきます。(青字はメッセージ、緑字は聖書の言葉、茶色字はわたしの感想)
詩篇37章5~6節には
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」
と書かれています。
道とはわたしたち自身のことです。
ゆだねるとは、ヘブル語では『ころがす』という意味です。手に持っているものを手放すということです。ゆだねたら、もう何も持っていないということです。
わたしは、祈りの最後によく「主にすべてをおゆだねします」と祈ります。でも、そのあとで色々不安になることが多いです。ということは、ゆだねていない、ゆだねきれてないということです。なんと不信仰なのだろうと落ち込んでいると、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」という聖書の言葉が迫ってきました。
この詩篇を書いたのはダビデです。ダビデはサウルに命をねらわれて10年以上逃亡生活をおくっていました。
アドラムの洞穴に隠れていたとき、サウルはダビデたちがいるとは知らずに用を足しに洞穴に入ってきました。ダビデの部下は、サウルを殺す絶好のチャンスだと言いますが、ダビデはサウルの着物の裾の切れ端を取っただけでした。(Ⅰサムエル24:1-4より)
なぜダビデはサウルを殺さなかったのでしょう。それは、神様が事をなしてくださるので今後のことは、神様にゆだねると祈っていたからでした。神様のみこころが必ずあるので、自分の思いのすべてを神にゆだねたのです。
神様はゆだねられたことを必ず成し遂げてくださいます。
また、神様は誰よりも私たちの心と思いの正しさを知っておられます。神によってのみ光輝くのです。
ダビデはサウル王に対して何も悪いことをしていないのにサウルに追われる身となりました。逃亡生活は理不尽であり、精神的にも辛いものだったでしょう。その中にあってすべてを神にゆだねられたのは、ダビデが神様を信頼していたからなのですね。
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詩篇37章5~6節には
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」
と書かれています。
道とはわたしたち自身のことです。
ゆだねるとは、ヘブル語では『ころがす』という意味です。手に持っているものを手放すということです。ゆだねたら、もう何も持っていないということです。
わたしは、祈りの最後によく「主にすべてをおゆだねします」と祈ります。でも、そのあとで色々不安になることが多いです。ということは、ゆだねていない、ゆだねきれてないということです。なんと不信仰なのだろうと落ち込んでいると、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」という聖書の言葉が迫ってきました。
この詩篇を書いたのはダビデです。ダビデはサウルに命をねらわれて10年以上逃亡生活をおくっていました。
アドラムの洞穴に隠れていたとき、サウルはダビデたちがいるとは知らずに用を足しに洞穴に入ってきました。ダビデの部下は、サウルを殺す絶好のチャンスだと言いますが、ダビデはサウルの着物の裾の切れ端を取っただけでした。(Ⅰサムエル24:1-4より)
なぜダビデはサウルを殺さなかったのでしょう。それは、神様が事をなしてくださるので今後のことは、神様にゆだねると祈っていたからでした。神様のみこころが必ずあるので、自分の思いのすべてを神にゆだねたのです。
神様はゆだねられたことを必ず成し遂げてくださいます。
また、神様は誰よりも私たちの心と思いの正しさを知っておられます。神によってのみ光輝くのです。
ダビデはサウル王に対して何も悪いことをしていないのにサウルに追われる身となりました。逃亡生活は理不尽であり、精神的にも辛いものだったでしょう。その中にあってすべてを神にゆだねられたのは、ダビデが神様を信頼していたからなのですね。
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