生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ほんとうに人間はいいものかしら

2017-01-10 17:06:53 | 教会
新美南吉の童話、「てぶくろを買いに」の最後で母狐が「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」と、つぶやきます。かつて人間からひどい目に合った母狐は、トラウマがあって人間の町へ行くことができません。手が冷たいと言う子狐に手袋を買いに町へ行かせるのですが、片方だけ人間の手にして、手袋を買うときは、人間の手のほうを出すんだよと言います。子狐は間違えて狐の手を出してしまいますが、お店の人はちゃんと手袋を売ってくれました。
それで母さん狐は、人間はいいものなのか悪いものなのか首をかしげるのです。

さて、人間はいいものなのでしょうか?
8日の礼拝メッセージを聞いて思ったことを書いていきます。

聖書には「曲がった邪悪な世代の中にあって……(ピリピ2:15)」
「善を行う人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:12)
と書かれています。

現実に起きている問題をみると、テロの横行、残酷な事件、無差別殺人など、この世(コスモス)は罪と堕落の世界のように思えます。
でも、一方では、難病の子を救うために募金をお願いすると、快く募金に協力してくれる人たちがいます。暗闇の中に光を見るようです。

人間は、神により創造されたので、尊厳があります。
人間は、神のかたちに造られたので、言葉で知識をたくわえることができ、美を創造することができます。そして倫理性をもち、見えない方に祈ることができます。これらは、動物にはなく、人間だけに与えられたものです。

ところが、人間の知性はゆがみ、不正を行います。倫理性がなく、神でないものを神としてしまいます。
堕落してしまった人類を、神様はただちに滅ぼすこともできるのに滅ぼさず、救いの可能性を残してくださっています。

人類の究極的課題は、3つあります。
①良心の呵責
②自分のうちにある悪に傾く傾向(堕落)
③死の恐怖と死後の不安

確かにそうだなと思いました。父も母も死が近づいたとき、そのことを感じたようでした。
でも、これには解決があるのです。


①主イエスの贖いによって罪が赦されること。
②主イエスの復活の命による新しいいのちに与ること。
③主イエスの復活にあかしされた永遠のいのちをいただけること。
このことを信じるなら、究極的課題はクリアできます。

世界がどんなに邪悪で暗くても、キリストを信じている者は、神に遣わされた者として生きるのです。
腐ったものには塩を、冷酷無慈悲にはやさしさとぬくもりを。
邪悪で暗い世界には輝きを。


今の世にあって、悪と戦うのではなく、輝く光として生きられたらいいのにと強く願いました。

写真はフランスロワール地方

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