パソコンの不具合について教えてもらい、システムの復元というのを恐る恐る試みたのですが、失敗に終わりました。
HP更新のために必要なFFFTPは、もう一台のPCで使えるようになったので、このまま少しようすをみることにします。(FFFTPは、ダウンロードできたものの設定の仕方がわからなくて使えるようにするまで4時間もかかってしまいましたが……)
PCトラブルが起きたとき、家に若い人がいないので困っています。
一昨日は、かつて教会でご一緒したことのあるAさんが礼拝に来られて、証しをしてくださいました。Aさんはノルウェーの方ですが、流暢な日本語を話します。日本人の奥様とふたりのお子さんがいました。明るくてバイタリテイーのある奥様でしたが、2004年に事故で突然召されてしまいました。
Aさんは、その5年後再婚したそうです。ところが、2度目の奥様は癌で召されてしまったそうです。
「いつくしみ深き」を作詞したジョゼフ・スクラィヴェンを思い出しました。
彼は結婚を前にして婚約者が事故で召され、その数年後やっと立ち直って結婚しようとしていたら、その人が病で召されてしまったのです。
悲しみの中にあって、お母さんを慰めようとして書いた詩が、数えきれないほど多くの人を慰め続けています。(ジョゼフ・スクラィヴェンについては、2016-4-4のブログに書いています)
Aさんは、いちばん悲しい時は、神様が遠くに感じられた。けれどもそんなとき、友達が来てくれ、慰められたと言われました。
「悲しみの中にいる友を慰めるのは難しいことではありません。そばにいるだけでいい。耳を貸して、友だちの話を聞くだけでいいのです」という言葉に、深く頷きました。
礼拝では
Ⅰヨハネ5:20から、メッセージが語られました。
聖書には「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています」と書かれています。
「真実な方を知る」の『知る』は「知っています」の『知る』とは別のギリシア語が使われています。『知る』は体験的に知るという意味で、『真実な方を体験的に知る』ということです。真実な方とはイエス・キリストのことです。
イエス・キリストを体験的に知るとはどういうことでしょう。
Aさんは、奥様を亡くして絶望的になっていたとき、友を通してイエス様の慰めを体験的に知ったのですね。
わたしは、つらくて祈ることさえできなかったとき、夢で多くの人の祈る手をみました。
そして、イエス様の祈る手もみえたのです。こんなに多くの人が、そしてイエス様が、わたしのために祈ってくださっている。そう思って慰められたのでした。
特別賛美としてAさんはヴァイオリニストのOさんと共にピアノ演奏をしてくださいました。その悲しくも希望の感じられるメロディに涙があふれました。
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(Ⅱコリント1:4)」
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Aさんは、その5年後再婚したそうです。ところが、2度目の奥様は癌で召されてしまったそうです。
「いつくしみ深き」を作詞したジョゼフ・スクラィヴェンを思い出しました。
彼は結婚を前にして婚約者が事故で召され、その数年後やっと立ち直って結婚しようとしていたら、その人が病で召されてしまったのです。
悲しみの中にあって、お母さんを慰めようとして書いた詩が、数えきれないほど多くの人を慰め続けています。(ジョゼフ・スクラィヴェンについては、2016-4-4のブログに書いています)
Aさんは、いちばん悲しい時は、神様が遠くに感じられた。けれどもそんなとき、友達が来てくれ、慰められたと言われました。
「悲しみの中にいる友を慰めるのは難しいことではありません。そばにいるだけでいい。耳を貸して、友だちの話を聞くだけでいいのです」という言葉に、深く頷きました。
礼拝では
Ⅰヨハネ5:20から、メッセージが語られました。
聖書には「しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています」と書かれています。
「真実な方を知る」の『知る』は「知っています」の『知る』とは別のギリシア語が使われています。『知る』は体験的に知るという意味で、『真実な方を体験的に知る』ということです。真実な方とはイエス・キリストのことです。
イエス・キリストを体験的に知るとはどういうことでしょう。
Aさんは、奥様を亡くして絶望的になっていたとき、友を通してイエス様の慰めを体験的に知ったのですね。
わたしは、つらくて祈ることさえできなかったとき、夢で多くの人の祈る手をみました。
そして、イエス様の祈る手もみえたのです。こんなに多くの人が、そしてイエス様が、わたしのために祈ってくださっている。そう思って慰められたのでした。
特別賛美としてAさんはヴァイオリニストのOさんと共にピアノ演奏をしてくださいました。その悲しくも希望の感じられるメロディに涙があふれました。
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(Ⅱコリント1:4)」
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