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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ピース・チャイルド

2014-04-28 20:12:47 | 教会
昨日は聖餐礼拝でした。
神との和解についてのメッセージが語られました。

『神との和解』と聞くと、神に敵対しているわけでもないのになぜ和解が必要なの?と思われる方がいるでしょう。
『キリストを信じるということは、キリストを信頼することです。キリストを敬わないことは、侮辱していることです。創造者を礼拝しないことは不敬にあたります。神から期待されているのに従わないのは不従順です』と聞いてドキッとしました。

信頼するとは、他のものを頼りにしないということです。少しも疑いの心を持たないということです。わたしは心からキリストを信頼しているのでしょうか。礼拝を捧げていても真心を持って捧げているでしょうか。かたちだけになっていないでしょうか。神様に対していつも従順だったでしょうか……そんな自問をすると、足元がくずれていくようです。

『神を神として愛していないことは的外れなことで、それは罪です』と牧師先生が言われるのを聞いて、自分は罪人なのだと改めて思いました。

聖書には「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず……(ローマ3:23)」と書かれています。
それでは、どうしたらいいのでしょう。

神様と和解する必要があります。でも、そのためにわたしたちがしなければならないことは何もありません。
イエスキリストによって、すでに和解が成立しているからです。

1960年代、宣教師のドン・リチャードソンが奥さんと共にパプアニューギニアの地へ行ったときのことが紹介されました。

伝道は難しく、リチャードソンが十字架のことを話すと、現地の人たちは笑ったそうです。身代わりの死は愚かだという価値観があったからです。

部族同士の争いがあって、それが何年も続きました。ようやく部族間での和解が成立するとき、サウィ族にタロップ・ティムという習慣があることに気づき、ドン・リチャードソンは驚きました。

タロップ・ティムとは『和解の子』という意味で、和解のしるしとして、生まれたばかりの子どもを互いの酋長に渡して交換する儀式です。その子どもが生きている間は争いをしないのだそうです。

このことを糸口として、ドンは神が永遠の和解のいけにえとして送ってくださったイエス・キリストを伝えていきました。すると、ようやく人々の目が開かれていったのです。

「ピース・チャイルド」という題名の映画になっているそうです。

赤ちゃんを差し出すとは、その母親は引き裂かれるような思いだったでしょう。お互いに赤子を差し出し、敵だった部族の赤ちゃんを大切に育てることによって平和が保たれるのですから、まさにピース・チャイルドですね。

神さまは、和解のためにひとり子イエスのいのちを差し出してくださいました。こちらからは何も差し出さないのに……。

「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。(Ⅱコリント5:18)」



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