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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

獄中で生んだわが子

2013-09-02 11:21:03 | 教会
「オネシモ物語(パトリシア・M・セントジョン著)」を読んだのは30年以上前のことです。中高生向けの本でしたが、夢中で一気に読み、涙が止まらなくなりました。読んだ後、それが聖書に基づく小説だとわかって、新約聖書「ピレモンへの手紙」初めて読むような気持で読みました。

それ以来、「ピレモンの手紙」はわたしにとって特別なものになりました。章がなく、2ページほどの長さの手紙文ですが、筆者パウロのオネシモを愛する思いが伝わってきます。

昨日の礼拝ではN教会のS先生が「ピレモンへの手紙」からメッセージしてくださいました。
オネシモとは、ピレモンの奴隷の名です。オネシモは盗みを働いてピレモンの家から逃亡し、ローマに隠れました。

オシモは行き詰って、当時ローマで獄中にいたパウロを訪ねました。オネシモはピレモンの家で働いていたとき、パウロの説教を聞いていたのでしょう。ご主人のピレモンはパウロの説教を聞いてクリスチャンになっていました。
オネシモはパウロのことを思い出して、獄を訪れました。オネシモはパウロにより、キリスト・イエスを信じました。パウロはオネシモのことを「獄中で生んだわが子」と書いています。

パウロはピレモンに、オネシモをピレモンのところに送り返すから、兄弟として迎え入れてくださいと頼んでいます。
当時、逃亡した奴隷がみつかったら死刑になるのが当たり前の時代でした。
そういう中にあって、奴隷としてではなく、愛する兄弟として自発的に受け入れてほしいというのです。そして、オネシモから損害を受けたなら、その請求はわたしにしてくださいとまで書いています。

パウロは手紙を書くとき、ほとんど口述でほかの人が書いていたそうですが、この手紙は自筆です。それだけ思いが深いということでしょう。

ピレモンはどう思ったでしょう。受け入れるのに葛藤はなかったのでしょうか……。
「ピレモンへの手紙」には書かれていませんが、その後、オネシモは教会の有力な人となったという記録が残っているそうなので、受け入れられたことがわかります。オネシモとは「有益」という意味なのだそうです。

人を無条件で愛することは難しいです。愛し難い人はたくさんいます。簡単に人を赦すことはできません。愛することもできません。


かつてわたしは神様から逃げて教会から離れていたことがありました。まるで逃亡するオネシモのようでした。もう赦されることはないと思って教会へ行ったら、すでに赦されていることを知ったのでした。

愛を受けたのだから、愛する者へ。赦されたのだから、赦す者へなれるのです。不可能を可能にするのは神様の愛です。



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