生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

試練の中にある人へ

2008-07-30 16:45:02 | 教会

昨日から夏期学校の疲れが出てきています。何日もたってから疲れが出るというのは、年のせいでしょうか。今日は風が涼しいので助かります。


先日の礼拝では私の好きな聖句について語られたので、どうしても書かなければという気持ちになりました。

以前エッセイにも書きましたが、17年前喘息のひどい発作が起きたときのことです。深夜、救急センターに行き、注射を打ってもらいました。発作はいったんおさまったのですが、帰宅した後にまた起きてしまったとき、打ちのめされました。体を横たえることもできず、ひと呼吸するのに全身の力をふりしぼるほどの呼吸困難です。この苦しさが一晩中続くのなら耐えられません。早く天国へ連れて行ってくださいと神様に訴えたのでした。

そのとき頭に浮かんだ聖書の言葉が

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように試練と共に脱出の道を備えてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」
でした。
耐えられないはずはないんだと思ったとき、ほっと平安が与えられました。そうしたら発作は続いていたのに眠れたのです。

喘息ではずいぶん苦しい目にあっているので、どうしてわたしだけがこんなにひどい試練にあうのだろうと思っていました。

でも、聖書には、「あなたがたの会った試練は人の知らないようなものではありません。」と書かれています。柳生直行訳の聖書では
「あなたたちが今まで出会った試練は、人間ならだれでも出会うようなごくありふれたものにすぎない」
と書かれています。


困難に直面すると圧倒されて、その困難は自分だけの特殊なものだと思いがちになる
と聞いてわたしの場合もそうであったと思いました。

苦しみの最中にある人に、『あなたよりもっと大変な目に遭っている人がいるのだからがんばって耐えるように』と励ます人がいます。また、『つらいけれど、あの人よりましだから耐えなければ』と思う人がいます。
でも、比較によって悲しみ、苦しみが慰められるわけではありません。

わたしは、乳がんの手術を受けたとき、「もっと大変な手術を受けた人を知っているけど、その人は1週間で退院して今はとても元気よ。だからあなたも大丈夫」と言われました。その方はわたしを励まそうとして言って下さったのですが、1週間では回復しなかったわたしはかえって不安になりました。体質や体力に個人差があるのだから回復にも個人差があるのです。同じ病気でも人によって症状が異なるのです。
人との比較よって慰められても、それはいっときに過ぎず、かえって傷つくことがあります。


「コリント人への手紙を書いたパウロは、比較によって慰めを得なさいとはいいません。神は真実な方ですからと書いています。神の真実を見て困難に直面してください。
学校でテストをするとき、生徒の能力以上のことをテストしたりはしません。不可能なことは試練にはならないのです。
試練にあうとき、どんな試練であってもそれは耐えられるものであり、コントロール可能なものです。その根拠は、神が真実な方だからです。神様は、嘘偽りを言わず、祝福し、よきものを与え、必要を満たし、約束を守るお方なので真実な方といえます。
神様は脱出の道、のがれの道、打ち勝つ方法を与えてくださいます。」

と牧師先生が言われました。


試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(ヤコブ1:12)

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