生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

神さまのあやつり人形?

2006-02-28 13:14:16 | 日記
昨日、「神さまの導き」について書きましたが、『クリスチャンは神さまのあやつり人形なのか?』という質問が寄せられました。今日はその質問に答える形で書きます。

 題名は忘れましたが、曾野綾子さんの本に「神さまの木偶(でく)になりたい」という一文がありました。木偶というのは人形です。神さまの意志通りに生きたいという願いが表れています。

 わたしも今はその心境ですが、以前はそうではありませんでした。20歳のころ、とても自我が強かったのです。洗礼を受けてからも、自我が砕かれませんでした。神さまを信じていましたが、導きを求めるなどという祈りはしたことがありませんでした。困ったことや願い事があると必死に祈り、自分の願い通りにしてほしいと訴えていました。

 教会からも離れてしまいました。完治したと思っていた喘息が出てきてしまったときは、「神さま、どうしてですか?」と神さまを恨んでいました。

 キリスト教では、神さまのことを主(しゅ)と言います。主というのはわたしの主人という意味です。主と言うときは、奴隷が主人に服従するように、わたしも主に従いますという意味があります。でも、わたしは自分が主であり、神さまを自分の後ろに従えていたのです。

「神さま、この人と結婚します。幸せにして下さい。神さま子供を与えて下さい。神さま、喘息を癒して下さい……。」いつも自分の願いを訴える祈りしかしていませんでした。教会へ行っていなくても、正しい道を歩いているのだと思っていました。でも、まっすぐだと思っていた道が曲がっていたのでした。気づいたのは、3年のブランクの後、再び教会に行ったときです。

 教会で
『祈りとは、自分の願いを訴えるだけではなく、神さまのみ心を求めるものです』
と聞いて自分の過ちにようやく気づいたのです。
神さまは、従順であることを人間に求めておられます。それなら、なぜ神さまは人間を逆らったり罪を犯したりできないように造らなかったのかという疑問が出てきます。もちろん、人間をロボットのように造ることはできたはずです。でも、神さまはそうはなさらず、人間を自由意志の持った者として造られました。従うか従わないか人間が自分の意志で決めることができます。アダムとエバは、神さまのいいつけに逆らって禁断の実を食べてしまいました。アダムとエバ以降も多くの人間が神さまに不従順でした。そして、このわたしも……。

 神さまは、ご自分のお造りになった人間ひとりひとりをとても愛しておられますから、常に良い方に導いて下さっています。神さまの導かれる方へ進んでいくことが最善なのです。でも、それがわかっていても、なかなか従えないことがありました。何度も罪を犯し、何度も失敗をしました。でも、神さまは忍耐をもってわたしがつまずくたびに助け起こして下さいました。

 イエスさまは、父なる神さまに従順であられたので、十字架にかかってくださったのです。そのことを思うと、従順になりたいと願わずにはいられません。

「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。(ローマ5-19)」


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