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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

もうすぐ9・11

2012-09-06 11:31:25 | 
この間の礼拝で紹介された詩を紹介します。

9.11同時テロの後、アメリカで朗読され、世界中が涙した詩です。



最後だとわかっていたなら
          ノーマ コーネット マレック (著) 佐川睦 (訳)

もしこれが最後だとわかっていたなら
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



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今日のわたしのしたことは・・・・・・

2012-06-04 21:00:59 | 

今日は調子が悪くて予定していたことの半分もできませんでした。
一日中頭がぼんやりして、失敗ばかりしていました。

なくしものを探すのに半日も費やし、
やっとみつかったのに
何のために必要だったのか忘れてしまう始末……。

でも今日、わたしは友のために祈りました。
悩みの中にあって苦しんでいる人のために祈りました。
病の床に伏して涙している人のために祈りました。
今夜は眠れない人のために祈りましょう。

大きなことは何もできないけれど、
祈りが全知全能の神様のみ手を動かすのだから
祈ることは、いちばん大きなことなのかもしれません。



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体が弱いこと

2012-01-07 11:12:08 | 
弱さについてずっと考えています。
わたしは子どものころから体が弱く、そのことで長い間精神的に辛い思いをしてきました。
弱いことはマイナスとしか考えられなかったからです。

イエス様を信じてしばらくしてから、弱いことは実はマイナスではなくプラスだったと気づきました。それは価値観の転換です。今年初めて書いた詩を紹介します。
   

体が弱いこと


体が弱いことは
他の人と同じように活動できないこと
夜遅くまで仕事や勉強ができないこと
たくさん涙を流すこと
自分の無力さをとことん知ることです

だから、何かなし得たとき、自分の力ではないと思うのです

体が弱いことは
ときどきダウンしてしまうこと
計画通りにできないこと
頑張れないこと
努力だけではどうしようもないと気づくことです

でも、弱ければ弱いほど、たくさんの恵みをいただいているのです


聖書の言葉
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント12:9)



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喜びたい

2011-04-22 15:43:45 | 
田中好子さんが乳がんで亡くなったことを知ってショックを受けています。田中好子さんはわたしと同学年です。キャンデーィズ時代も素敵でしたが、女優としての活躍も素晴らしく、好きな女優さんのひとりでした。

彼女が乳がんだったとは知りませんでした。1992年に手術を受けたそうです。『19年間の闘病』とニュースの記事には書かれていましたが、19年間ずっと治療を受けていたわけではないと思います。術後には抗がん剤治療や放射線治療を受け、その後何年かは薬を飲んでいたでしょう。

でも、その後しばらくは定期的な検査と経過観察をされていたのだと思います。術後19年もたったから、もう再発転移の心配はないと思ったことでしょう。ところが、昨年の秋に再発し、多臓器転移もわかったそうです。その半年後、55歳で召されてしまうとは……身につまされます。
    
乳がんは完治ということがなかなかいえない病気らしいです。5年再発転移がなければ完治といえる癌が多いのに、乳がんだけは10年以上たっても再発転移することがあると聞いていました。
わたしはやっと7年半。他の人は「もう7年も経ったんだね」と言いますが、わたしとしては、やっとです。

術後10年まで飲み続けるようにと言われていた薬が今月で終わりになりました。注射も一応終了です。ほっとしますが、不安はぬぐえません。
もし、わたしが再発転移したら、そのときも喜べるのだろうか・・・と考えてしまいました。

自分ではなく、イエス様に視点を移すと見える景色が変わってきます。久々に詩を書きました。(昨日のブログ記事と関連しています。)



喜びたい

何もできなくて無力な自分を悲しむより、

どんなこともできるイエス様を喜びたい

乳がんになった自分を憐れむより

いのちを与えて下さったイエス様を喜びたい

悲しい事ばかりあると嘆くより

悲しみを越えさせてくだるイエス様を喜びたい

将来起こることの不安におびえるより

将来のこと、すべてを導いて下さるイエス様を喜びたい

過去に犯した罪の重さを嘆くより

その罪を消し去って下さったイエス様を喜びたい

わたしが死んだらどうしようと怯えるより

墓の中からよみがえり、死に打ち勝って下さったイエス様を喜びたい



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クリスマスカラー

2010-12-25 17:44:04 | 
23日は息子一家がきて、クリスマスのお祝いをしました。このところずっと教会のクリスマスの行事等で土日が忙しかったので、ヒックンを招くのは久しぶりでした。

写真は、先日購入した我が家のクリスマスツリーです。今までは小さなツリーがひとつあるだけでした。10年ぐらい前から娘が大きなツリーが欲しいと言っていました。小さいので十分と言って買わなかったのですが、今年はなぜか買いたいという気持ちが高まって、主人に内緒で買ってしまいました。

主人は、「こんな大きなツリー買って……片づけるところもないのに」と顔をしかめていたのですが、「ヒックンが喜ぶよ」と娘が言うと、その一言で口元がゆるみました。
娘が飾り付けをしました。しばらくすると、飾りが増えていました。主人が、今まであった小さなツリーについていた飾りを大きなツリーにつけたようです。

ヒックンはもちろん大喜び、ツリーのまわりで「ジングルベル、ジングルベル、しゅじゅあたるー(すずがなる)♪」と歌ってスキップしていました。

我が家からのクリスマスプレゼントは43ピースのパズルとミニカーです。
サンタさんは何を持ってきてくれたのでしょうか……。

翌日のクリスマスイブは、わたしは病院に行っていました。先週の金曜が外科の受診日でしたが、主治医の先生が緊急オペでいらっしゃらず、今日に日延べされたからです。風邪をひいて調子も悪かったので、ついでに風邪薬をもらってきました。

長い間飲んでいたアロマシンをあと3か月でやめていいと言われて嬉しくなりました。注射もこれで最後になりそうです。
教会ではキャンドルサービスが行われましたが、風邪がひどくなるといけないので、家で静かに過ごしました。


さて、クリスマスカラーといえば、緑、赤、金銀、白ですが、その意味を初めて知った時、感動したときのことを思い出しました。
緑は(常緑樹の葉が緑であることから)永遠の命を現します。生きているものすべては必ず死んでしまうという事実にむなしさを感じていたわたしでしたが、永遠の命があることを知って嬉しくなりました。

赤はキリスト十字架で流された血の色を現します。よく真っ赤なポインセチアが飾られますが、その赤が血の色だったとは……。
キリストが血を流して死んでくださったおかげで、わたしたちは罪赦され、永遠の命をいただけるようになったのです。

金銀はキリストの王としての高貴さを現します。キリストはダビデ王の家系に生まれまし
た。ダビデ王の血統を継ぐ王です。わたしたちの心に王としてお入りになるイエス様は、仕える者としてこられました。

白はキリストの聖(きよ)さを現します。聖いというのは、神の子であるキリストには罪がないということです。キリストは人としてお生まれになりましたが、罪を犯すことがなかったので、聖いお方です。罪なきお方だからこそ、罪ある者の身代わりになって罰を受けることができたのです。

クリスマスカラー

真っ白な罪なきお方が
罪あるわたしのために
真っ赤な血を流してくださった
いつまでも変わらない緑の葉のような
永遠の命をくださるために

金銀にまさる高貴なお方が
臭くてきたない厩に
赤ん坊となってきてくださった
このような罪で汚れたわたしを愛し
生かし、用いてくださるために


メリー・クリスマス!!



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シャローム(平安)

2010-12-11 11:39:58 | 
今日は午後から教会学校小学科のクリスマス会のリハーサルです。本番は一週間後。緊張が高まると同時にクリスマスの喜びが湧き上がってきます。

詳しくは書けませんが、このところ身辺では次々と色々なことが起こり、心騒ぐこともありました。
それでも、どんな状況の中にあっても、心からほっとでき、細胞のひとつひとつに神さまからの平安が流れ込んでくる経験をしました。そのことを何とか言葉で表現したいと思って詩を書きました。
語彙の不足から、思いのすべてを書き表すことができなくて……もどかしいです。

シャローム

これから先 どうなるの
不安で眠れない夜
乾いた土をおおいつくす 夜露のように
静かに 静かに 降りてくる
シャローム それは平安
シャローム それは平安
わたしの心に

心の傷が痛んで
胸 ひきさかれるとき
痛んだ傷に巻きつける 包帯のように
そっと そっと 包みこむ
シャローム それは平安
シャローム それは平安
わたしの心に

いろんなことが起こって
心騒がせるとき
イエスさまがくださる 泉のように
絶えることなく 湧き上がる
シャローム それは平安
シャローム それは平安
あなたの心に


クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。


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花のリース(その2)

2010-11-15 17:01:31 | 
絵本「ちいさなリース」を読んで色々なことを考えさせられました。
ほんとうのことはわかりませんが、女の子の気持ちを想像して「花のリース」という詩を書きました。曲がついて歌になりました。昨日、この歌を子どもたちとうたいました。


花のリース

こんなこと できないんだと 思ったの
あなたの敵を 愛しなさい
それだけど 父さん母さん 言っていた 
あなたの敵を 愛しなさい
*リース、リース、花のリース、あなたの心にとどけたい

イエスさまは 十字架の上で祈ってた
いたみをこらえ 祈ってた
お父さま かれらをおゆるし くださいと
十字架につけた 人のために  (*くり返し)

祈ったの イエスさま見つめて 心から
敵を愛せるようにしてと
そうしたら わたしの心 変えられて
愛せるように なったのよ (*くり返し)



女の子の両親はクリスチャンだったのでしょう。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」という聖書の言葉から「あなたの敵を愛しなさい」と女の子に教えていました。

それでも、敵を愛することは簡単にできることではありません。
愛する家族を殺されて、その殺した人を愛することができるのでしょうか……。

両親を殺されたとき、女の子はひどく悲しんだでしょう。腹も立てたでしょう。殺したカロル将軍を憎んだでしょう。カロル将軍を赦し愛するなんて、とてもできないと思ったでしょう。

女の子はイエス様のことを考えました。
イエス様は十字架につけられたとき「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と十字架につけた人のために祈っています。

女の子は自分もイエス様のようにカロル将軍を赦せるように、カロル将軍を愛せるように、カロル将軍のために祈れるようになりたいと思いました。
でも、なかなかできません。女の子は祈りました。

愛せるようにしてくださいと祈った時、カロル将軍を嫌い、うらんでいた心が変えられていきました。憎しみがとかされて愛せるようになりました。
自分の力ではなく神さまが愛の心を下さったのです。

つづく


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マザーテレサの祈り

2010-10-23 08:38:39 | 
昨日はヒックンが風邪をひいて熱を出したので、一日預かりました。お昼に38.8℃まで熱が上がったので心配でしたが、夕方には下がってきたのでほっとしました。熱があっても元気で遊んでいるヒックンです。そのエネルギーに驚いています。

友人のブログ(メメントドミニ)で紹介されていたマザーテレサの祈りを読んだとき、はっとさせられました。
ブログで迷ったときにもこの祈りを思い出したいです。


    マザーテレサの祈り

あなたの最良のものを世に与えなさい

人は不合理、非論理的、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと思われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達成しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、しつづけなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい


この詩を読むと「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。(ピリピ2:14)」という聖書の言葉が浮かびあがってきます。

ブログを書くことだけではありません。あらゆることについて迷いが沸き上がってくることがあります。とくに、創作活動においては迷ってないときの方が少ないぐらいです。

立ち止まって振り返ることも必要だと思います。自分ではまっすぐのつもりで歩いていたのにいつの間にか脇道にそれてしまっていることもありますから。
神さまを目指して歩いているかどうか点検する必要はあります。もし、別の物に気を取られて間違った道を歩んでいることに気づいたら軌道修正しなければなりません。

動機を確かめて、自分自身の栄光を求めているのではなく、ただ神の栄光を求め、主にあってよいことを行っていると確信したときは、誰に何を言われても、また邪魔が入っても気にしないで進んでいくように示されました。

まわりからの批判的な声や否定的な内なる声が聞こえてきても(私の場合、内なる声の方が大きいのですが......)気にしないでし続けることですね。


帰ってきました。ブログコメント再開します。更新はあす以降にします。(10月25日 18時23分記)

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試みの中にあるあなたへ

2010-10-09 18:45:19 | 
今日は子ども家庭集会で雨の中出かけました。8人も子どもたちが集まって、にぎやかで楽しいひとときを過ごしました。

人は誰でも辛い目にあったり、苦しい目にあわないように願います。

「試みは人間の世界に必ずあるもので、それがなくなれば、人間は人間でなくなる」と書かれている一文(榎本保郎著「新約聖書一日一章」145ページ)を読んで、その通りだなあと思いました。

何もかも順調で小春日和のような日々もあります。ところがそれがずうっと続くわけではありません。人がうらやむほど順調に思える人でも、長い人生の中には辛い時期が訪れます。

なぜ人は苦しむのでしょう?  なぜこの世界は悲しみや苦しみで満ちているのでしょう?

わたしは喘息で苦しんでいた時、神様はなぜわたしをこんな苦しい目にあわせるの? と神様を恨んでいました。
長い年月がたってから振り返ると、その苦難はわたしにとって必要なことだったと気づきます。
でも、苦しみの真っ最中にいるときは、そこからのがれることしか考えていませんでした。

イエス様はペテロに「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたために祈りました。(ルカ22:32)」と言われました。
イエス様が「試みにあわないように」ではなく、「信仰がなくならないように」祈っておられることは意味深いですね。

どんなに辛くても苦しみには終わりがあります。神さまがあなたを愛するあまりに与えて下さった試練です。
刃物は研がれて切れ味がよくなります。あなたがあなたらしくなるように神さまが試練を与えて下さるのです。

今日生まれた詩を紹介します。


             知らなかった

知らなかった
荒野を歩いているとき
その荒野に咲く花があり
沸き出る泉があることを

知らなかった
涙を流すとき、神さまも涙を流し
傷が痛むとき、神さまも痛んでおられたことを

知らなかった
愛の眼差しでわたしを見つめ、
「あなたの信仰がなくならないように」
と、神さまが祈っておられたことを


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。

母の祈り

2010-10-03 20:24:43 | 
昨日は、土浦の全国花火競技大会でした。午後6時から8時半まで次々に花火が打ち上げられました。
写真は我が家のバルコニーから写した写真です。
主人と、ヒックン、ヒックンママとわたしの4人で花火を楽しみました。息子と娘は仕事で見られませんでした。

ヒックンは、花火が上がるたびに両手を上げて跳び上がり、花火になりきっていました。
「たまやー」って言うんだよと教えると、「あまやー、あまやー」と叫んでいました。

半ばごろになると疲れたようで、花火はそっちのけで、おもちゃで遊びはじめました。
昨夜は家に泊まったので、今日はヒックンママの運転で教会に一緒に行きました。


最近、教会学校で若いお母さん達と接する機会が多く、子育てに悩んでいる方が多いことを知りました。

わたしも子育て真っ最中の時は色々なことで真剣に悩みました。子どもが問題を起こすと、育て方が悪いのだと自分を責め、育児の全責任を負っているような重圧を感じることもありました。

最近、すばらしい詩に出会いました。子育てしているときに出会えたらよかったのにと思える詩です。今日発行した教会学校便りにも紹介しましたので、掲載させていただきます。


母の祈り(作者不詳)


神様、あなたは完全な親であられます。
あなたは、私の子どもたちを私よりずっとよくご存じです。
あなたは、子どもたちの必要もご存じです。
あなたは、彼らをほんとうによく理解しておられ
その成長を守ってくださいます。
あなたは、彼らのことをよく見ておられ、
無条件に愛しておられます。
ですから私は、神様、あなたに子育てを助けていただきたいのです。
いや、それ以上のことをお願いします。
あなたに子どもたちをおゆだねします。
あなたが育てて下さい。
私があなたのじゃまをしないように導いてください。
そして、愛する神さま、
あなたが人の手を必要とされるときに
私の手を用いてください。
子どもたちが愛の言葉を聞く必要があるとき
私の口を用いて下さい。
子どもたちが慰めを必要とするとき
私の腕を用いて下さい。
子どもたちが勉強しなければならないとき
私の知恵と知識を用いて下さい。
子どもたちが人生を理解しなければならないとき
私の心を用いて下さい。
そして、子どもたちがあなたについて尋ねるとき
私の信仰を用いて下さい。
そのようにして子どもたちもまたあなたを
完全な親として知るように導いてください。
                     アーメン


君が生まれてきてよかった

2010-09-04 12:22:29 | 
 昨日、片づけをしながらNHKをつけていると、わたしの好きなシンガーソングライターのアンジェラ・アキさんがゲスト出演されていました。
アンジェラさんは、子どものころハーフということで辛い思いをされてきました。今を生きる10代の子どもたちを励ましたいと思って「手紙」という曲を作ったそうです。

 「今負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は 自分の声を信じて歩けばいいの」と歌詞にありますが、自分の声が聞こえないほど落ち込んでいる時はどうしたらいいのでしょう。

わたしも小、中学校のころ辛い思いをしてきました。
すべての自信を失っていたわたしは、自分自身さえ失いかけていました。
自分というものがなかったら、何を信じたらいいのでしょう……。

わたしは作曲はできませんが、いま辛い思いをしている少年少女に向けて詩を書いてみました。
 
君が生まれてきてよかった

図書室の片隅で 
まわりの目を気にしながら 
熱心に本を読むふりして 
昼休みが終わるのを待つ君 

友だちがほしいのに
さみしくて たまらないのに
心に涙流しながら
へいきな顔してほほえむ君

君の涙をみたよ
わたしは特別な者として
君を造ったんだ
君は高価で尊いから
ああ 君が生まれてきてよかった
You are precious.
You are precious in my sight.

学校を休んでも 
気に留める人はいなかった 
自分の存在って何だろう  
生きる意味を見いだせない君 

「消えろ」って言われた日
心がパリンと割れた
ぼくはどうして生まれてきたの 
声なき声で叫んでいた君

君の叫びを聞いたよ
わたしは君が生まれる前から
君のこと知っている
君は大切な存在なんだ
ああ 君が生まれてきてよかった

You are precious.
You are precious in my sight.

preciousとは尊いと言う意味です。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」

ディープ

2010-06-17 21:41:44 | 

「ナイーブで傷つきやすいのに…ひどいこと言われて……わたしは傷ついています!」

これまで何度神さまに訴えてきたでしょうか。そのたびに傷を癒していただきました。

少しも無理できない体。忙しい日がちょっと続いただけで寝込んでしまいます。病に伏した時は、もう起き上がれないかと思いました。そんなわたしに神様は力を与え、再び元気にしてくださいました。

ふとふりかえると、自分自身に問題があることに気づきました。『傷ついた』と被害者意識でいたわたしでしたが、実は人の心を傷つけていたのでした。

わたしの魂はほころびだらけでした。まずこの魂こそ繕(つくろ)っていただかなければならなかったのです。

ほころびを繕ってくださったのは、十字架の釘がさされたあとのある傷ついた手でした。
十字架によらなければ繕うことのできないほど大きなほころびだったのです。

久々に詩が生まれました。


ディープ 

傷を受けた心 
いつまでたっても治らずに
眠れぬ夜がつづいてる
神さまどうか この傷包み いやしてください

ディープ ディープ 深い あなたの愛で
わたしの心 包まれて そして いやされていく

疲れはてた体 
すべての力を失って
このまま もう起き上がれない
神さまどうか わたしを抱(いだ)き 力をください

ディープ ディープ 深い あなたの愛で
わたしの体 抱かれて 力注がれていく

気がつくと わたしは 
ほころびだらけで
言葉と 
態度で人を傷つけていた
神さまどうか このほころびを つくろってください

ディープ ディープ 深い あなたの愛で
わたしのたましい つくろわれた 傷ついた御手で



この詩のキーワードは「包む」と「抱く」と「繕う」です。どれも聖書の中に出てくる言葉で癒しを意味します。

聖書の言葉


「主は心のうち砕かれた者をいやし、彼らの傷をむ。(詩篇146:3)」

「また、荒野では、あなたがこの所に来るまでの全道中、人がその子を
抱く
ように、あなたの神、主があなたを抱かれたのを見ているのだ。(申命記1:31)」


「彼らも舟の中で網を繕っていた。(マルコ1:19)」

つくし

2010-03-18 17:00:51 | 

毎年つくしを見かけるのは、教会へ行く道、桜川にかかる橋へ向かう坂道です。
3月に入ってから、つくしを探しながら自転車を押して坂を上っていました。

今年最初に見つけたのは、3/14の日曜日です。
つくしは、いっぺんに顔を出すのでしょうか。数日前は一本も見当たらなかったのに、たくさん出ていました。

乳癌になってから、術後の年数を数えるようになりました。ようやく5年の坂を越え、気が付いたら7年目になっていました。こんなに生きられるとは思わなかったので、今年もつくしに会えたことがとても嬉しいです。

つくし

教会へ行く土手の坂道
春になると いつもそこにお前がいた
ずっと待っていたんだ
やっと出てきてくれたんだね 
今年も会えてよかった
手術から7回目の春

美しい色の花びらや
人の目を惹くものは何もないけど
そんなこと気にせずに
天に向かってまっすぐと
ひたすら伸びていく
わたしはお前を見習いたい

さまよえる たましい

2010-01-23 15:12:57 | 

前回の記事に続く内容です。

心が漂流していたわたしが、主(イエス・キリスト)に出会ったとき、本当の故郷に帰った気がして、なつかしい思いがました。それは、主がわたしの創造主(つくりぬし)だからです。
生きる価値もないと思っていた者でしたが、主は「生きよ」と言って下さいました。初めて居場所がみつかって、心から安堵しました。さまよっていた魂がしっかりとつかまえられたのです。その感動を詩にしてみました。

さまよえる たましい

どこへ行けばいいの?
どこへ向かえばいいの?
行き先が わからないのに
ひたすら歩き続けた
何かを求めて……
気がつくと さっきと同じところを
歩いていた

さまよえる わたし
さまよえる たましい

生きていてもいいの?
何をしたらいいの?
どうしてよいかわからずに
自分を痛めつけていた
答えを探して……
気がつくと 泥沼に落ちこんで
もがいていた

さまよえる わたし
さまよえる たましい

漂流をくりかえし
たどりついた場所は
初めてなのになつかしく
声を上げて泣きじゃくる
気がつくと 抱きあげられていた
主(しゅ)のふところに

愛される わたし
とらえられた 心


聖書の言葉
私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
そして私の足を巌(いわお)の上に置き、私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
多くのものは見、そして恐れ、主に信頼しよう。
(詩編40:1-3)


成長させてくれるのは?

2010-01-16 09:14:18 | 

26年前の育児日記にはさまっていた紙に詩が書かれていました。
長男が誕生したとき、友人にいただいた詩です。紹介します。
題名と作者はわかりません。


やわらかな
ひとかたまりの粘土を手にとって
わたしはある日 なにげなくいじっていた
わたしの指の押すままに
粘土はへこんで
わたしの思うままに伸びて曲がった

それから何日たったろう
わたしが かえってみたときに
粘土は固くなっていた
わたしがつけた形のまま
そしてもう 変えることはできなかった

わたしは ひとりの子どもを手にとった
神様がくださった生きた粘土だ
一日また一日
救い主の技巧をもって形をつけた
おさない子どものやわらかな
云うなりになる心を

あれから何年たったろう
わたしが かえってみると
彼はもう大人になっていた
はじめにつけたあの形が
まだはっきりと残っている
そして もう変えることはできない


わたしが子どもたちにつけた形とは、どんな形なのでしょう? 決してよい母親であったとはいえません。育児日記には、イライラして感情で子どもをしかってしまったことへの反省や祈りが書かれていました。

愚かな母でありましたが、確かなことは祈って育てたことです。
子どもたちを神様が成長させて下さったことです。


聖書の言葉
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。(Ⅰコリント 3:6)」

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