Triority(トライオリティ)

四十にして惑う、それがトリニータ。

受け身の采配(25節愛媛戦)

2018-07-28 12:15:59 | マッチレポート18’
水曜日は仕事で帰りが遅くなって、一昨日、昨日と飲み事があったので、今日やっと愛媛戦を観た。


時間が経ってから試合を観たり、感想を書く(特に負けた試合)と、「もう一回前を向こう」的な感想にしかならないから個人的には試合終了後24時間以内に書いてない記事は自分の率直な気持ちが反映されていないと考えてる。その程度の位置付けの記事。


「試合の入りは修正して集中出来るようになってきた」(試合後の片野坂さんのコメント)

勝てなくなってきてから前半の戦い方が問題だと指摘されているのを受け、ここ2試合は序盤に失点をしていないことを指してこのコメントを出しているのだとしたらこんなにもレベルの低い話はない。なぜもっと強度の高い入り方をしないのか、なぜ相手のゲームプランをぶっ壊す意図を持って試合に入らないのか、なぜ相手の出方をうかがうような試合の入り方しかしないのか。これらの疑問全て「監督の采配が受け身だから」で納得がいく。栃木戦では「臆病」と書いた。監督が臆病で受け身。そりゃ勝てない。


「シュート数は12対2だったのになぁ」ではない。こういう展開になることは分かりきっていて「シュート数が12対2」で終わったわけだからこのスタッツは恥ずべきものと捉えるべき。押し込んでいた?そんなことは当たり前だ。連戦、暑さ、相手との力量(順位関係)、アウェイゲーム、予想外のリード、これだけの要素が重なれば同点まではOKで後半は重心を下げるのは当たり前だ。愛媛の重心が下がっているのではない、愛媛が重心を下げているのだ。我々が押し込んでいるのでない、我々が押し込ませてもらっているだけだ。ボールを持っていることでゲームの主導権を握っていると監督が考えているのだとしたら、この負の状況から脱却するのは難しいと考える。


選手たちもボールを握っていることである程度満足していないか。我々がバイタルにボールを入れると、相手の寄せが厳しいと思わないか。果たしてそれと同じことが出来ているか。失点シーンの直前、縦のフィードを簡単に落とされて近藤に入った瞬間に誰かが危機を察知したのか。なぜ丸谷も星もあんなに寄せが緩いのか。突破してくださいと言っているようなもの。やりたいことをやるだけじゃなく、試合に勝つために大事なことを見落としていないか。


昨今の「自分たちのサッカー」というフレーズが色々と議論されるずっと前から自分はこのフレーズが嫌いだった。それと今なら「相手が引いてきたので」。なぜ嫌いかといえば、負けたチームが発するこれらのフレーズには「本質的には我々の方が優れていたはずだ」というニュアンスが見え隠れすると感じるからだ。少なくとも勝つまではこういうフレーズは監督、選手ともに厳禁にしてほしい。恥ずかしい。ロシアW杯で「アンチフットボール」と言われた国はどこなのか、「アンチフットボール」と言った選手は誰なのか、結果はどうだったのか。結果が全てを物語っている。


片野坂さん、もっと勇気を持ってくれ。受け身になるな。今は戦術ボード上で駒を動かしてる時ではない、ピッチ上で戦えている選手を見極める時だ。

「ドリブル対応の弱いところをつけて良かった」

愛媛の川井監督の試合後のコメントの核心はこんなにもシンプルだったじゃないか。この負の状況を打破するヒントは極めてシンプルだ。
コメント
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