シーズンが始まるまでどうしてもブログを放置してしまうので、オフシーズンも頑張れと自分を奮い立たせるための中継ぎ記事です。
前々から一度まとめてみたいと思っていた在籍期間半年以下の選手で誰が一番インパクトを残したかという内容の記事。タイトルがちょっとだけ洋画っぽい。
「夏に移籍してしまった(前半)」パターンと「夏に移籍してきた(後半)」パターンの2つがあるかな。個人的な印象の強かった度合いのランキング形式で。記憶を頼りにピックアップしているだけなので、「この選手もいるよ!」みたいのあったらコメント欄に記載してもらえると嬉しいです。
第5位 阿部吉朗(2005シーズン前半)
吉朗に関してはまず加入してきた時の期待感が高かった。それまで大卒3年目くらいのバリバリのアタッカーが移籍加入してくることとかあまりなかったからJ1も3年目になって少しクラブも変わってきたかなという印象を持つような移籍だった。ただ残念ながら2005年シーズンの夏まではファンボ第1次政権という暗黒期だったので、移籍してきた選手を輝かせてあげられるほどの余裕が我がクラブにあるわけもなく。結局リーグ戦でゴールすることはなく確かナビスコの柏戦で1ゴールだけ決めたんじゃなかったかな。ポテンシャルが間違いないことは大分にいた当時から分かってはいたし、その後多くのクラブから必要とされそして結果を残し続けたことから、大分に入団するタイミングさえ違えばなと思わざるを得ない選手だった。
2年ほど前にたつのこ(茨城県)に大学サッカーを観にいった時、隣に多分中学生くらいのチームが見学に来ていた。自分の隣に座った監督と思われる方がプレーを見ながら今のプレーにはこういう意図があるとか、オフザボールの動きとかを一生懸命その中学生たちに語っていた。ふとその監督の顔を見るとなんと吉朗だった。隣が吉朗だと気付いてからは試合そっちのけで吉朗の解説が気になって仕方なかったし、あまり集中して聞いていない中学生たちに「おいお前ら、お前らの監督はめちゃくちゃ強烈なアタッカーだったんだぞ、有難く話を聞け!!」と説教してやりたくなる気持ちを抑えるのに必死だった。試合後は恩師である流経大の中野監督に挨拶をしていた。ちなみにWikipediaを読んでいて初めて知ったんだけど、今じゃJリーグでも最大勢力と言っても過言ではない流経大OBだけど、最初のプロ選手は吉朗らしい。
第4位 河原和寿(2010シーズン後半)
クラブ再生1年目だった2010年シーズン。一度は死んだわけだからこれまでのことはリセットしなきゃいけないはずなのにサポーターもどうしても2009年以前と比較してしまい本当に悲惨だったこのシーズン。ファンボが監督をやらざるを得なかったというのがその悲惨さに拍車をかけていた。そんな状態だったチームに文字通り「救世主」のごとく現れたのが河原だった。期待していた通りの気持ちを見せていくそのプレースタイルには本当に救われたような気持ちになったことをよく覚えている。ただ皮肉だったのは在籍時に感じた素晴らしいプレーヤーという印象を強固なものにしていくのは、退団後に我々自らが彼のゴールゲッターとしての能力の標的になってしまったこと。結局何点取られたんだっけ?「もうやめてー」と何度悲鳴を上げたか分からない。確か今は愛媛のアカデミーコーチをしていたと記憶しているけど、育成年代に携わるのは適任だろうね。
第3位 松田力(2013シーズン後半)
未だに大分のクラブ史上最も成功した特別指定選手という印象は変わらない。不振にあえいでいたチームの中で半年間で4ゴールは驚異的な数字。J1残留を争おうとしているクラブが特別指定選手に助けを求めている時点であのシーズンは本当に終っていたんだけどね、まあそれは別の話。特別指定選手ってそれまでは有力な選手の青田買い的な意味合いだと思っていたけど、松田力の出現で考えが一変した。難しいことはあまり考えずにとにかくゴールを目指していくその姿勢は清々しくもあった。前にも書いた気がするけど、中断明けのニッパツでのマリノス戦でタメの速いアーリークロスを松田力がヘッダーで決めた時には「もしかすると残留出来るかも」と淡い期待を持ったんだけどね... それくらいの期待感を持たせてくれるくらい素晴らしいゴールだった。結局ホームでもアウェイでも名古屋からゴールを決めて名古屋から声がかかる過程は、自らの未来は自分の手で切り拓く成功劇の典型のような流れで美しさすら感じたよね。今シーズンはJ3とのことでまたゴールを重ねていく松田力の姿が見られそうだ。
第2位 永井龍(2015シーズン前半)
松田力と印象がかぶるのがその2年後に大分を助けに来てくれた永井龍だ。しなやかな体の使い方が印象的でたちまちレギュラーの座に落ち着いた。シーズン序盤だったにも関わらずなぜか夏までの文字通り「期限付き移籍」。あのシーズンに残留したとしてクラブに未来があったのかと言われると首を傾げざるを得ないけど、永井がシーズン終了までいてくれたら残留出来ていたかもしれないなという思いはあった。
結果的に5月の水戸での負傷が本人にとってもクラブにとっても致命傷になってしまった印象が強く残念で仕方ない。確か本人もレンタル延長を希望してくれていたと思うんだけど、いま思い返しても永井のレンタルバックは残念で仕方なかった。永井自身は救世主であり得たと思うけど、契約交渉を含めてクラブがそれを引き出しきれなかった、だから降格した。違う側面から切って見ても必然の降格だったんだよね。
この写真は永井自身にピントが合ってなくて当時のブログでは使わなかったんだけど、いま見返してみると永井自身と永井の幕がピッタリと1枚に収まっていてなかなかいい。
第1位 ドド(2005シーズン前半)
ドドに関してはこの記事の主旨とちょっと逸れるんだけど、もしも願いが叶うなら見てみたかったシチュエーションとして個人的に一番だと思っているのがシャムスカのもとで躍動するドドだった。見たまんまの能力は間違いないけどムラっけのあるブラジリアンだったドド。当然のことがながらファンボで扱いきれるわけはなく能力の片鱗を見せつつもチームは降格圏に沈む。ドドの退団が発表されたのが2005年8月。確かそれから1ヶ月もしないうちにシャムスカが就任しているはずなので、あと少しだったのになと悔いが残る。もちろんマグノ・高松・吉田孝行のトライアングルであれだけ無双したわけだから物足りなかったわけじゃないけど、一度だけでいいからシャムスカのもとで自由奔放に躍動するマグノとドドの2トップが見てみたかったと思い返すことが今でもある。きっと強烈だっただろうなあ。
皆さんも短期在籍だったけど印象に残る選手はいたでしょうか。
前々から一度まとめてみたいと思っていた在籍期間半年以下の選手で誰が一番インパクトを残したかという内容の記事。タイトルがちょっとだけ洋画っぽい。
「夏に移籍してしまった(前半)」パターンと「夏に移籍してきた(後半)」パターンの2つがあるかな。個人的な印象の強かった度合いのランキング形式で。記憶を頼りにピックアップしているだけなので、「この選手もいるよ!」みたいのあったらコメント欄に記載してもらえると嬉しいです。
第5位 阿部吉朗(2005シーズン前半)
吉朗に関してはまず加入してきた時の期待感が高かった。それまで大卒3年目くらいのバリバリのアタッカーが移籍加入してくることとかあまりなかったからJ1も3年目になって少しクラブも変わってきたかなという印象を持つような移籍だった。ただ残念ながら2005年シーズンの夏まではファンボ第1次政権という暗黒期だったので、移籍してきた選手を輝かせてあげられるほどの余裕が我がクラブにあるわけもなく。結局リーグ戦でゴールすることはなく確かナビスコの柏戦で1ゴールだけ決めたんじゃなかったかな。ポテンシャルが間違いないことは大分にいた当時から分かってはいたし、その後多くのクラブから必要とされそして結果を残し続けたことから、大分に入団するタイミングさえ違えばなと思わざるを得ない選手だった。
2年ほど前にたつのこ(茨城県)に大学サッカーを観にいった時、隣に多分中学生くらいのチームが見学に来ていた。自分の隣に座った監督と思われる方がプレーを見ながら今のプレーにはこういう意図があるとか、オフザボールの動きとかを一生懸命その中学生たちに語っていた。ふとその監督の顔を見るとなんと吉朗だった。隣が吉朗だと気付いてからは試合そっちのけで吉朗の解説が気になって仕方なかったし、あまり集中して聞いていない中学生たちに「おいお前ら、お前らの監督はめちゃくちゃ強烈なアタッカーだったんだぞ、有難く話を聞け!!」と説教してやりたくなる気持ちを抑えるのに必死だった。試合後は恩師である流経大の中野監督に挨拶をしていた。ちなみにWikipediaを読んでいて初めて知ったんだけど、今じゃJリーグでも最大勢力と言っても過言ではない流経大OBだけど、最初のプロ選手は吉朗らしい。
第4位 河原和寿(2010シーズン後半)
クラブ再生1年目だった2010年シーズン。一度は死んだわけだからこれまでのことはリセットしなきゃいけないはずなのにサポーターもどうしても2009年以前と比較してしまい本当に悲惨だったこのシーズン。ファンボが監督をやらざるを得なかったというのがその悲惨さに拍車をかけていた。そんな状態だったチームに文字通り「救世主」のごとく現れたのが河原だった。期待していた通りの気持ちを見せていくそのプレースタイルには本当に救われたような気持ちになったことをよく覚えている。ただ皮肉だったのは在籍時に感じた素晴らしいプレーヤーという印象を強固なものにしていくのは、退団後に我々自らが彼のゴールゲッターとしての能力の標的になってしまったこと。結局何点取られたんだっけ?「もうやめてー」と何度悲鳴を上げたか分からない。確か今は愛媛のアカデミーコーチをしていたと記憶しているけど、育成年代に携わるのは適任だろうね。
第3位 松田力(2013シーズン後半)
未だに大分のクラブ史上最も成功した特別指定選手という印象は変わらない。不振にあえいでいたチームの中で半年間で4ゴールは驚異的な数字。J1残留を争おうとしているクラブが特別指定選手に助けを求めている時点であのシーズンは本当に終っていたんだけどね、まあそれは別の話。特別指定選手ってそれまでは有力な選手の青田買い的な意味合いだと思っていたけど、松田力の出現で考えが一変した。難しいことはあまり考えずにとにかくゴールを目指していくその姿勢は清々しくもあった。前にも書いた気がするけど、中断明けのニッパツでのマリノス戦でタメの速いアーリークロスを松田力がヘッダーで決めた時には「もしかすると残留出来るかも」と淡い期待を持ったんだけどね... それくらいの期待感を持たせてくれるくらい素晴らしいゴールだった。結局ホームでもアウェイでも名古屋からゴールを決めて名古屋から声がかかる過程は、自らの未来は自分の手で切り拓く成功劇の典型のような流れで美しさすら感じたよね。今シーズンはJ3とのことでまたゴールを重ねていく松田力の姿が見られそうだ。
第2位 永井龍(2015シーズン前半)
松田力と印象がかぶるのがその2年後に大分を助けに来てくれた永井龍だ。しなやかな体の使い方が印象的でたちまちレギュラーの座に落ち着いた。シーズン序盤だったにも関わらずなぜか夏までの文字通り「期限付き移籍」。あのシーズンに残留したとしてクラブに未来があったのかと言われると首を傾げざるを得ないけど、永井がシーズン終了までいてくれたら残留出来ていたかもしれないなという思いはあった。
結果的に5月の水戸での負傷が本人にとってもクラブにとっても致命傷になってしまった印象が強く残念で仕方ない。確か本人もレンタル延長を希望してくれていたと思うんだけど、いま思い返しても永井のレンタルバックは残念で仕方なかった。永井自身は救世主であり得たと思うけど、契約交渉を含めてクラブがそれを引き出しきれなかった、だから降格した。違う側面から切って見ても必然の降格だったんだよね。
この写真は永井自身にピントが合ってなくて当時のブログでは使わなかったんだけど、いま見返してみると永井自身と永井の幕がピッタリと1枚に収まっていてなかなかいい。
第1位 ドド(2005シーズン前半)
ドドに関してはこの記事の主旨とちょっと逸れるんだけど、もしも願いが叶うなら見てみたかったシチュエーションとして個人的に一番だと思っているのがシャムスカのもとで躍動するドドだった。見たまんまの能力は間違いないけどムラっけのあるブラジリアンだったドド。当然のことがながらファンボで扱いきれるわけはなく能力の片鱗を見せつつもチームは降格圏に沈む。ドドの退団が発表されたのが2005年8月。確かそれから1ヶ月もしないうちにシャムスカが就任しているはずなので、あと少しだったのになと悔いが残る。もちろんマグノ・高松・吉田孝行のトライアングルであれだけ無双したわけだから物足りなかったわけじゃないけど、一度だけでいいからシャムスカのもとで自由奔放に躍動するマグノとドドの2トップが見てみたかったと思い返すことが今でもある。きっと強烈だっただろうなあ。
皆さんも短期在籍だったけど印象に残る選手はいたでしょうか。