誰のための原発なのか、考えてみて欲しい

 川崎市の阿部孝夫市長が、東日本大震災の復興支援として宮城・福島両県など災害廃棄物(ガレキ)を川崎市に移送し市内のゴミ焼却場などで処理する方針を表明したことに対して、市民から「放射の汚染が拡散しないか心配」などとする苦情や問い合わせが殺到し、本日の新聞等報道によればその数は2千件を超えているとのこと。中には「受け入れをやめろ」「何を考えているんだ」などと声を荒げる人もいると云う。

 

 川崎市の復興支援は福島県に限った訳ではなく、広く今回の震災の被災地に対す支援を表明したようだが、その問い合わせや苦情は福島県の、それも東京電力福島第一(同第二)原子力発電所付近の、放射能で汚染された廃棄物(だけ)が川崎市に持ち込まれることを想定してのもののようである。

 

 しかしだ、東京電力福島第一(同第二)原子力発電所(以下、原発を記す)が、いったい誰のためのものなのかを考えてみて欲しい。

 

 原発の正式名称をもう一度書く。「東京電力福島第一(同第二)原子力発電所」である。つまり東京電力の持ち物であり、そこで発電された電気はすべて東京電力管内、もっと判り易く云えば、川崎市を含む首都圏に送られ、そこに住む人々(当然横浜市民の郷秋<Gauche>も含まれる)とそこにある会社や工場で使われているのである。福島県にある発電所でありながらそこで作られている電気を、福島県民ほんの1ワットたりとも使っていないのである。

 

 首都圏に住む人のための電気を作る原発が福島にあり、その原発が地震の津波被害により大きく破損して福島県内に放射能汚染を生じせしめ、福島県民が直接的な被曝と風評被害に苦しんでいるのである。首都圏住民がそれほど多くの電気を必要としなければ、福島に原発を作る必要もなかったし、福島県民が原発被害に苦しむことはなかったのである。異論があることを覚悟で極論すれば、首都圏住民が加害者であり、福島県民が被害者なのである。

 

 その被害者である福島県民支援のためのガレキ処理に対して「受け入れをやめろ」「何を考えているんだ」などと云う暴言は論外としても、「放射の汚染が拡散しないか心配」だとする意見にしたところで、福島県民の感情を逆なでしているのだと云うことに気付いて欲しいのである。

 

 原発の20km圏内から一度は川崎市に避難して来ながら、原発の南40km程のいわき市に戻った家族がいることをWebのニュースで知った。福島県内に戻った理由は、小学生の子供たちが転入学した川崎市内の小学校で放射能で汚染されているからと、言葉が福島訛りだからとクラスメイトから疎まれ、差別され、孤立し傷つくことを心配しての苦渋の選択であったと報じられていた。

 

 福島県民は怒りながらもその怒りを押し殺し、東北人ならではの忍耐力で耐えているのである。助けてくれなくてもいい。せめて福島県民の感情を逆なでするような言動だけは止めて欲しいと、福島県人の郷秋<Gauche>は思うのである。最後にもう一度書く。原発が誰のためのもので、その原発の為に誰が苦しんでいるのかを、もう一度考えてみて欲しい。

 

 

 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森随一の花見所、なるせの森の町田市側にある東雲寺墓地上の桜林。

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