文部科学大臣、吠える

 文科相がと云うよりは、田中真紀子氏が「吠えた」と云う事だ。
 文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が来年度の開学、設置認可が相当と答申をしていた、岡崎女子大(愛知県岡崎市)、札幌保健医療大(札幌市)、秋田公立美術大(秋田市)の3大学について、「大臣の政策的な判断」で答申を覆して不認可にしたとの報道。

 大学の設置については文科省がその認可権を持っている。大学を設置しようとする者は「大学設置基準」を充足する設置認可申請書類を作成し文科省に提出する。文科省は大学設置・学校法人審議会に設置の可否を諮問し、同審議会は申請書類等を精査し、その結果を文科相に答申する。申請内容に不備があるとして不認可答申されることはあっても、審議会が設置相当と答申したにも関わらず不認可となった例を郷秋<Gauche>は知らない。だからニュースになるのだが。

 設置認可申請書類提出までには、専門のコンサルタント(こういう世界にもいるのだ、「コンサル」が)の「指導」を仰ぎ、幾度か文科省担当者打ち合わせ、認可間違いなしと云う申請書類を作成して文科省に提出する。当然不認可となった3大学(の申請者)もこの手順を踏んでいたことだろうから、さぞかし担当者は驚いたことだろうな。

 しかしだ、一方では、設置基準に合致さえしていれば無制限に大学の設置を認可して良いのか、つまり今以上に大学の数を増やして良いのかと云う考え方・意見は勿論ある。既に、大学に入りたいと思う高校生を十分収容できるだけの大学(の入学定員)があるのである。もっともそれは大学進学希望者数と総入学定員からの話であり、入りたい大学と入ることの出来る大学の関係、希望する学部学科の定員との関係などはまた別の問題ではある。

 進学希望者数と入学定員の関係だけで云えば、既に大学は余り始めていることは間違いのない事実である。そこに更に大学の数を増やして良いのかどうか、その意味では「政策的な判断」を認可・不認可の判断材料としなければならないことはあるにしても、「大臣の政策的な判断」は無いだろう。こういうものはルールに基づいて、組織が判断するべきものである。だから、今日のタイトルを「田中真紀子氏が『吠えた』」とした郷秋<Gauche>なのである。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、畑から掘り起こされ積み上げられた栗の木の根、その上で健気にも咲き誇る野菊。

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