唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
書きたいことが多すぎる
来る日も来る日も駄文を書き続けていると、年に2、3回のことだが一体全体何を書けば良いのか、書きたい事が、書くべきことがまったく見つからないと云うことも起こる。逆に書きたいことがあり過ぎて何から書くのが良いのか思案することも、たまにはある。
今日はその後者である。Nikon(ニコン)からD5200が発表された。普段はキヤノンの製品についてはほとんど書かない郷秋<Gauche>であるが、今日発表されたEF24-70mm F4L IS USMについては、Nikkor 24-85mm f/3.5-4.5G ED VR及び24-120mm f/4G ED VRとの関係において書いておきたいし、残り2戦となった2012年F1についての考察、Facebookを名乗る怪しいメイルが来たこと、田中真紀子氏の暴挙につての続報など、書いておきたい事が沢山あるのだ。と云う訳で、今日は文部科学大臣の暴挙についてちょっとだけ書いておくことにする。
法治国家であるわが国には、個人の行動については無論の事、組織として為し得ることについては事細かな法律やその細則、規則が定められている。特に組織として為すことは監督官庁がその諸規則を所掌し、その決まりに基づいて申請書類を書き、提出すれば、為そうとすることが公に認められ、決まり(基準)を充足していなければ許可されず、時に申請書を受理してもらう事さえ出来ないこととなる。法治国家における市民・組織と行政との関係はそういうものである。
定められた法律は、申請時点のものが適応されるのは当然のこと。私たちは、申請しようとする今時点で詳らかにされた、つまり有効な規則に基づいて申請する。申請内容を審査し、許可・不許可を判断する行政は、当然のこととして申請書が提出された時点の法律・規則に照らして判断する。今回設置不認可とされた三大学はいずれも現行の規定に基づき準備・申請し、大学設置・学校法人審議会が新設を認めるべきと答申したにも関わらず大臣の一存で不認可とされたものである。
自らが決めた大学設置基準に合致し、認可すべしと審議会が答申した案件を不認可とするとは、法律とそれに基づく行政と云う、法治国家の根本原理を著しく逸脱する行為であり、とても容認できるものではなく、このような基本的な原理・原則さえも理解していない田中氏を文科相とした総理大臣の任命責任は極めて重いと云わざるを得ない。
この期に及んで田中氏は、大学新設の基準を早急に策定したうえで、2013年度の開設も視野に認可について見直すとしているようだが、まったく馬鹿げている。申請受付け後に法律・基準を変えようとする蛮行が許されて良いはずもないし、これから新基準を策定し、新たな審議機関を立ち上げ審議、認可したとしても、十分な数の新入生を獲得することが出来るとはとても思えない。行政訴訟ともなれば国側の敗訴は間違いないし、同時に多額の損賠賠償の責務を負う事にもなるだろう。田中氏を即刻問責、罷免すべきである。
しかしだ、本件の根っこにある「大学余り」問題や、設置基準に準拠していたのは設置認可申請の時だけで、その後は近隣国からの不法入国・不法就労の温床となり、あるいは教職員の給与が1年以上にもわたり支給されていない大学の存在が取りざたされるに至っては、いままで以上の「大学不要論」が噴出するのは当然のことではある。
勿論、不適格な大学は設置後であっても排除されるべきではあるし、今後大学設置基準が更に厳格なものになるのは当然としても、すべてはその時点での法律等に基づいて粛々と行われるべきものであり大臣の思いつきで、寺内貫太郎でもあるまいし「ちゃぶ台返し」が行われて良いものでないことは言わずもがなである。
注:誤字・脱字・誤変換は明日以降適宜修正いたします。