「太宰も筆の誤り」の現場を訪ねる

 巷で喧しい「太宰治生誕100年」に踊らされたわけではない。本物の月見草の栽培を始めて久しい郷秋が、まだ本物の月見草を知らぬ人にこの花の話をする度に返って来る、「あぁ、あの道端で咲いている黄色い花ね」という応えを聞くたびに、こんな誤解を日本中にまき散らした太宰治の誤認の現場を是非とも訪ねてみたいと思いながら果たせないでいた願いが漸く叶ったのであった。

 太宰が日本中に誤解を振りまいた元凶は、こんな具合。その年初めての雪が富士の頂きを覆った後だから、太宰の三ヶ月に及ぶ天下茶屋での生活も終わろうとしている頃、御坂峠の頂上からバスで三十分程ゆられてたどり着く河口湖畔の郵便局に郵便物を取りに出かけた帰りのバス車中のことである。以下、原文を転載する。

「老婆は何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、
『おや、月見草』
そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらりとひとめ見えた黄金色の月見草の花ひとつ、花弁も鮮やかに消えずに残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。

 実は太宰が間違った訳ではないのだ。太宰のすぐとなりに坐っていた、「濃い茶色の被布を着た青白い端正な顔の、六十歳くらいの、私の母とよく似た老婆」が、待宵草(まつよいぐさ)あるいは大待宵草(おおまつよいぐさ)を「月見草」と間違った。そしてその間違いを太宰が「富嶽百景」の中でなぞったのである(バスの中で、老婆が「おや、月見草」と云ったのは太宰の創作ではなく事実であろう郷秋は想像する)。

 数年来の願いが叶い、1938年(昭和13)の9月から11月までの3ヶ月間、太宰が滞在した御坂峠の「天下茶屋」を漸く訪ねることが出来た郷秋であるが、現在の「天下茶屋」は1982年(昭和58)に開店したもの。太宰が滞在した当時から数えると三代目に当たる建物であるが、その二階には太宰が滞在した部屋が復元され、当時使用されていた(とされる)机や火鉢が置かれている。

 上の写真には写っていないが床柱も太宰が滞在した当時のものであるとの説明書きがあった。

 二枚目の写真は、太宰が滞在した部屋を再現したという部屋とは廊下を挟んで向かい側の八畳間。こちらの部屋からは河口湖と富士山(残念ながらこの日は雲に隠れていたが)とがホントによく見える。実際に太宰が滞在したのは「この部屋」だと思って窓外を眺めた方がそれらしい雰囲気を味わうことが出来る。
 
 ここで「本物の月見草」について簡単に整理しておこう。一般に「月見草」と呼ばれることの多い、太宰が、元へ、太宰の母親に似た老婆(六十歳で「老婆」ですか。今では「ババア」と呼ばれる年代ではあるが、「老婆」とは・・・。)が間違った、黄色い花を咲かせるのは待宵草(まつよいぐさ)あるいは大待宵草(おおまつよいぐさ)。本物の月見草は夕方に白い花を咲かせ、日の出の頃には萎み赤紫色に変わる花である。郷秋はこれまでに何度となく月見草に関する記事を書いているので、画面右側のずっと下の方にある検索窓に「月見草」と入力しblog内検索をして欲しい。
 
 本物の月見草も、太宰が間違った月見草=待宵草も、共にメキシコ北部からアメリカ南部が原産で江戸時代末期から明治初年にかけて渡来しているものと思われる。本物の月見草は他の草に負けがちで野生化していないが、待宵草は強い繁殖力を持ち、日本全国で野生(雑草)化している。渡来以来100年を経ずして既に山梨の山中でその花を咲かせ、老婆をして「月見草」と云わしめるほどに広がっていたのには驚く。

 さて、太宰が待宵草を月見草と誤った現場を郷秋が見たからと云って、日本中に広がった「月見草=道端の黄色い花」と云う誤解を解けるわけではないが、郷秋としては、天下茶屋を訪ね眼下に河口湖を望みつつ、太宰も食べたかも知れない甲州名物「ほうとう」を啜りながら思った。太宰の間違いも「まんざらでもないか」と。

 ここまでお読み頂き、月見草に興味を持たれた方にお知らせです。今年、郷秋の実家で採取した本物の月見草の種をお分けいたします。過去の記事の中では「種の配布は終了いたしました」となっていますが、本日(2009年9月6日)以降、暫くの間受付をいたします。なお、種が無くなり次第終了となりますので悪しからず。

 本物の月見草の種をご希望の方は、下記のアドレスまでMailでその旨をお知らせください(Subjectには必ず「月見草の種希望」とお書きください)。折り返し郷秋の住所と本名をお知らせいたします。記された住所の郷秋宛に80円切手を貼付した返信用封筒をお送りください。お送りする種は少量ですが、芥子粒よりも小さい種ですので発芽すればかなりの数の花を咲かせてくれます。ただし花を楽しめるのは来年です。

注:種の配布については記載は、本稿公開時点の内容です。2011年8月時点でも若干の手持ちがありますので、ご希望の方はご相談ください。

郷秋が書いた主な月見草関係の記事

郷秋月見草写真がNHK教育テレビに登場(再掲) 

2011/4/8/

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