アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

エブリシング・イズ・イルミネイテッド

2005-11-01 10:01:11 | 
『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』 ジョナサン・サフラン・フォア   ☆☆☆

 24歳の新人作家らしい。随分と達者である、文章も物語構成も。なんとかいう賞も取り、ベストセラーになり、映画化もされるらしい。しかし、正直言って私はそれほど面白くなかった。

 物語の語り口や構成はかなり凝っている。作者と同名のジョナサン・サフラン・フォアがウクライナに来て祖父を助けたという女性を探すというのが主要な筋だが、そのジョナサンが書いているらしい祖父の小説、ジョナサンの通訳であるアレックスの書く女性探しの旅の小説、アレックスからジョナサンに宛てた手紙、それらが交錯しつつ小説は進行する。
 通訳のアレックスは通訳の癖に英語が下手で、彼のパートは非常にトンチンカンな言葉使いで叙述される。そこらへんはコミカルで、ジョナサンのパートも軽快というか、現代アメリカ小説らしいスピーディーな砕けた文体だ。

 ストーリーとしては、ジョナサン、アレックス、アレックスの祖父(やっぱり名前はアレックス)、雌犬のサミー・デイヴィス・ジュニア・ジュニアがウクライナで写真の女性を探す旅の物語と、ジョナサンの祖父の物語という、現代と昔の二つの時代の物語が平行して進み、やがて交錯して一つのテーマへと集約されていく。そのテーマというのは軽やかな小説の見せかけに似合わないシリアスなもので、ナチスのホロコーストである。人間の残酷さ、戦争の悲惨さが生む悲劇、そういうあたりに向かっていく。

 先日読んだばかりの『ノーホエア・マン』も戦争がテーマの一つだったので、なんだか似たような読後感を持ってしまった。小説のスタイルは随分違うのだが。

 それほど面白くなかった理由だが、まずアレックスのトンチンカンな文章が面白くなかった。ユーモラスではあるのだが笑えない。これ、面白いかな? こんな感じである。

 やがて列車が到着したとき、長い期間、直立の人でいたせいでぼくは脚がびくびくしびれていた。床にとまろうと思ったけれども、そこはとても汚れていたし、ぼくは主人公を圧倒するためにふたつとないブルージーンズをはいていた。

 祖父が自分の両親の話をするのを聞くのはこれが初めてだったので、ぼくはふたりについてもっと知りたかった。戦争中はどうしていたのか? 誰を救ったのか? でもその件については黙っているのが普通の一常識だという気がした。話す必要があれば話してくれるはずだから、その時までしぶとく沈黙しよう。


 なんかわざとらしくてひいてしまう。これが延々続くのである。私は良い文章を読むというのも小説の愉しみだと思うので、こういうのをずっと読んでいるとだんだんイライラしてくる。

 それからストーリーとその構成、叙述方法が前述の通りえらい凝っているが、凝り過ぎじゃないか。私は物語の構成はむしろシンプルな方が力強いと思うので、こういうのはあざとく感じられてしまうのである。趣向としては面白いが、かえって小説の勢いを殺してしまっている気がする。
 ただ、そういうところに若さゆえの情熱みたいなものも感じられて、全体にエネルギッシュな熱さを与えているということはあると思う。終わり方も「なるほどね」とつぶやきたくなるような終わり方だった。

 後半に入ってかなりシリアスな展開になるが、戦争やら殺人やらの凄みのある描写が唐突に出てくるようになり、そういう部分はなかなかうまい。ドライでスピード感のあるスタイルが効果を上げている。作者もここぞとばかりに力を入れていて、例えば歴史書からの引用の体裁をとったり、句読点を徐々に省いていき文章の勢いを加速させていったりと様々な手法を使っている。テーマの重さや内容の残酷さとあいまって、かなりの悲痛さを味わえる。そういう意味ではインパクトはあった。

 しかしこういう悲痛さの表現というものに、よくも悪くもアメリカ的なものを感じる。「ユーモアだけが、悲しい話を真実として伝えられる」という記述が小説の中にあり、解説でも指摘されているが、これは作者の意図的な手法のようだ。つまりコミカルな騒々しいトーンで進めておいて、シリアスな部分ではぐっと悲痛さを印象づける。カート・ヴォネガットあたりがあからさまに使う手法である。効果的にやるとかなり「泣ける」手法だが、私は感傷性を感じるのでこういう手法があんまり好きじゃない。

 例えばボリス・ヴィアンなんかも騒々しいドタバタ・ナンセンスの手法で悲痛な物語を書いたが、彼の場合文章のトーンはずっと変わらないのである。悲痛なパートでもコミカルなパートでも語り手は常にさめている。自分自身の感情が出てくることがない。悲痛さは物語のうちにある。
 それに対して、カート・ヴォネガット方式では語り手の感情がぶれ、読者を巻き込もうとする。文章のトーンも変わる場合が多い。さだまさしの「関白宣言」と同じアプローチである(二番か三番の悲しい歌詞の時に急に悲しげな歌い方になる、あれ)。まあ本書はヴォネガットまであからさまではないが、同じような匂いを感じてしまった。それもマイナスポイント。

 全体的にいうと、ドラマティックで情熱のこもった力作だと思うが、あざとさが目についてしまって今ひとつ好きになれなかった。しかし作者は24歳と思えないテクニシャンだし、今後すごい作家になるかも知れないとは思う。

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