アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

薔薇の名前(映画)

2016-08-22 23:22:19 | 映画
『薔薇の名前』 ジャン・ジャック・アノー監督   ☆☆☆☆

 所有していたDVDを英語版ブルーレイに買い替えて再見した。きめ細かく再現された中世の陰鬱な映像美をブルーレイで満喫したいと思ったからで、最初はちょっと画面が暗いかなと思ったが、結果的にはまあまあ満足できた。

 中世の重苦しい宗教的ムードと図書館・書物フェチとミステリが融合した面白さは原作と同じである。ストーリーは原作から多少エンタメ寄りにアレンジしてあり、アドソと村娘のロマンスがストーリーの柱になっていること、村娘が最後は助かること、そして悪役のベルナール・ギーが悪行の報いを受けること、などが主要な変更点だ。原作ではギー一行が(魔女にされてしまった)娘を連れて修道院から去り、娘は火あぶりになって死ぬことが暗示される。さすがにこれでは観客が納得しないという配慮だろう。

 主人公であるバスカヴィルのウィリアムがシャーロック・ホームズであること、弟子のアドソがワトソンであることは名前からも分かる仕組みになっている。科学捜査も何もない、宗教的偏向が横行する中世が舞台ということもあってウィリアムの理知的な推理法はまことに頼もしく、ミステリ王道のワクワク感に溢れている。修道院に到着したばかりのウィリアムがアドソにトイレのありかを教え、「ここに来たのは初めてと仰ったのでは?」と訝しむアドソに解説するところなど、まさにホームズが依頼者の職業や生活習慣を言い当てるルーチンと同じで、この物語にミステリ王道の愉悦を盛り込もうという製作者(そして原作者)の意図を示すものだ。

 当然ながら連続殺人が起き、しかもそれは見立て殺人である。『犬神家の一族』『獄門島』と同じだ。見立ての題材はヨハネ黙示録。これはヘイリーの『殺人課刑事』でも使われており、見立て殺人ネタとしてはポピュラーなものらしい。しかしこの映画(原作も)がメタ・ミステリの域に足を突っ込んでいるのは、この見立てが誰かの仕組んだものでは全然なく、偶然であり、暗合であるという点だ。ウィリアムは「見立て」をばかばかしいと退けるが、実際に事件はヨハネ黙示録の予言通りに進行する。そしてそれに関する説明はない。無論これはエーコの怠慢ではなく、意図的なものである。

 さて、以上は原作と映画両方に共通する面白さだが、では映画ならではの見どころは何かというと、なんといってもあの修道院、そして迷宮じみた図書館をはじめとする中世世界の見事な視覚化である。寒々とした季節、カラスが鳴き、菜園があり礼拝堂があり場があり解剖室がある、まさに一個の小宇宙を形成する古めかしい修道院、その威容。原作でも言葉の力で精緻に描き出されているとはいえ、実際にそれをスクリーン上に目で見ることができるのは大きな愉悦である。そしてまた、この映画を特別に印象深いものにしているのが登場人物たちの風貌である。あの猫のような声で喋る腹黒い修道院長に始まり、両眼とも白濁しているホルヘ、死神っぽいマラキーア、強烈な醜貌かつせむしであるサルヴァトーレ、色白・デブ・オカマ・つるっぱげと四拍子揃った異形のベレンガーリオなど、一度見たら忘れられず夢に出てきてうなされそうなキャラが続々登場する。

 最初観た時はよくもまあこんな異様なルックスの役者ばかり集めてきたなと感心したものだが、当然ながらかなりの部分はメイクで作っているらしい。サルヴァトーレとベレンガーリオが特に強烈で、サルヴァトーレは拷問されて火あぶりになるが、火あぶりのシーンではすでに頭がおかしくなっていてのどかに歌を歌っている。私はあの歌が一時期トラウマになり、何かと頭の中によみがえってきたのを思い出す。ベレンガーリオはもう人間離れしたルックスで、水に沈んで目を開けたまま溺死しているの図は不気味としかいいようがない。

 まあこういう悪夢じみた登場人物たちの容貌も、中世の不気味さ、暗さ、形而上学的重さを表現する一つの手法としてうまく機能している。そして、そうした中世の暗さ・まがまがしさを一身に体現して登場するのが、異端審問官ベルナール・ギーである。中世において異端審問官が持っていた権力は絶大なものがあって、まさに他人の生殺与奪の権力を握っている。ギーは異端審問所の権威を振りかざし、神の名のもとに人々を蹂躙し、拷問し、断罪する。「私は拷問されているお前以上に痛みを感じているのだよ」といやらしく微笑みながら。まさに、邪悪を絵に描いたような人物である。

 しかし中世の異端審問とは一体どういうシステムなのか。わけが分からない。異端審問官が魔女だの悪魔だの勝手に決めつけ、同意が得られないと「自白が必要になった。拷問の用意」といって拷問。拷問でムリヤリ自白を引き出すと、判決に同意しなかった奴も異端扱い。こんなシステムを考えた教会関係者は全員痴呆としか思えない。まさに暗愚の時代である。こんな暗愚の時代に生まれなくてよかったとつくづく思う。これが教会が最高権力を得て作り出した世界だとすれば、教会なんてろくなもんじゃないと思われても仕方ないだろう。

 それにしても、この映画の中でのショーン・コネリーの頼りになる感はハンパない。若いアドソをまだ十代のクリスチャン・スレーターが演じているが、こんな頼もしい人がいたらアドソでなくとも頼りたくなるだろう。ミステリ映画の名探偵役としては完璧だ。加えて、中世の暗さ不気味さ、形而上学的重たさがムンムン立ち込める映像世界はミステリ・ファンでなくとも一見の価値がある。不気味さに対する耐性は少々必要だが、単なるコスチューム・プレイではない「中世」を体感してみたい人は必見だ。



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