アブソリュート・エゴ・レビュー

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パウリーナの思い出に

2013-07-16 20:45:00 | 
『パウリーナの思い出に』 アドルフォ・ビオイ=カサーレス   ☆☆☆☆★

 これまで邦訳が出ていなかったのが不思議なビオイ=カサーレスの短編集。この人はボルヘスと縁が深く、共著もあるし、有名な長編『モレルの発明』をボルヘスが「完璧な小説」と絶賛したりしている。ラテンアメリカ文学のアンソロジーでは常連で、「パウリーナの思い出に」と「大空の陰謀」はすでに読んだことがあった。

 この人は非常に巧緻なプロットを組み立てるのが特徴で、『モレルの発明』もそうだけれども、きわめて人工的な設定の中で、ほとんど偏執狂的なまでに凝った仕掛けを繰り出してくる。非常にゲーム的というか、遊戯的なアイデアに耽溺するマニアックな幻想作家というイメージがある。もちろんそういう傾向は私の望むところである。ロジックを重んじるところは盟友ボルヘスに似ているが、この人のロジックはボルヘスのそれよりさらに奇妙で、いってみれば煩瑣ですらあり、またどこかにロマンティシズムの香りがあるところが違う。この短編集でも、表題になっている「パウリーナの思い出に」は恋愛をテーマにした、ある意味ロマンティックな短篇である(それだけではないが)。

 こういう巧緻なロジックや仕掛けを身上とする作家なので、その作品がミステリ的になるのは必然だろう。『モレルの発明』もミステリとして読める。それから文体もこの人の大きな魅力である。基本はラテンアメリカの幻想作家に多い、曖昧性と主観性を特徴とする、おおらかな叙情を湛えた文体だけれども、ボルヘスやコルタサルあたりと比べるともうちょっと緩い。スタイリッシュだけどどこか無造作で、感覚的に飛躍したところがある。もちろんこの巧緻な作家においてはすべて計算なのかも知れないが、ゆらぎ、たゆたうテキストが醸し出す曖昧性が、とても気持ちいい。

 更にいえば文体だけでなく筋の展開もそうで、ストレートにテーマを追っていくというよりむしろ迂回し、逸脱するところに特徴がある。本題と直接関係ないように思える雑多なディテールがめくらましのように作用し、作品世界を押し広げる。ただし饒舌ではなく、部分部分の叙述を見ればあくまでスピーディーで簡潔だ。そして何より、筋(アクション)のディテールに物語性というか、強いイメージの喚起力がある。はっきりしたエピソードにならなくても、断片的な文章だけで「物語」のロマンを感じさせるのである。これこそ私がビオイ=カサーレス、ひいては数々のラテンアメリカの作家を愛する最大の理由なのだけれども、こういうセンスはラテンアメリカ文学のDNAなのだろうか。

 本書には全部で10篇の短篇が収録されているが、やはり「パウリーナの思い出に」が一番出来がいいようだ。ロマンティックなストーリーと幻想性とビオイ=カサーレスらしいトリッキーな仕掛けが結びついて、なんとも形容しがたい摩訶不思議な作品になっている。幻想譚なのに細かい伏線が張ってあって、最後にそれらを回収して謎解きが行われるのもこの作家らしい。もう一つ既読だった「大空の陰謀」も印象的な短篇で、要するにパラレル・ワールドものなのだけれども、最後に、二つのパラレル・ワールドがあるならそれ以上もあるはずだ、とロジックが展開するのが面白い。

 それから「影の下」もロマンティシズムと奇妙なロジックが融合した面白い作品だ。得体の知れない不安がこみあげた、で終わるラストもいい。「真実の顔」は他愛もない小品だけれども、この作家の遊戯的でユーモラスな面、ほとんどナンセンスな発想のおかしさが強く出ている。「愛のからくり」と「大熾天使」は両方ともホテルが舞台になっていて、色んな宿泊客たちがもつれ合ってプロットを混乱させるところがよく似ている。

 凝り過ぎて全体像が掴みづらい短篇もあるが、どれを読んでも文体と稠密な物語性が心地良い。個人的には偏愛の一冊である。万人におススメというわけにはいかないが、ラテンアメリカ文学の愛好者なら見逃せない一冊ではないだろうか。



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