アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

模倣犯

2007-09-18 20:13:58 | 
『模倣犯(上・下)』 宮部みゆき   ☆☆☆★

 宮部みゆきの大長編を再読。先日『楽園』という最新刊を読んだら、この『模倣犯』に出てくる前畑滋子という人物が主人公の『模倣犯』の後日談的な話だったので、また読みたくなったのである。しかしこの本を読むのは腕が疲れる。

 宮部みゆきという人はスティーヴン・キングが好きらしいが、やはりその影響か詳細な書き込みをする人である。それによってリアリティを出そうとする。この本はおそらくその書き込み癖がピークに達した作品で、脇役を描く際にもその両親の職業から何から年代記的に始まったりする。ある町が出てくるとなったらその町の歴史が連綿と語られたりする。まあそれで重厚感が出ているということもあるだろうが、ちょっと冗長に過ぎる部分もある。私はこのスティーヴン・キング方式は強引な力技みたいであんまり好きじゃない。

 宮部みゆきの最高傑作はやはり『火車』だと思う。『火車』は実に美しい構成の見事な小説だが、それに比べるとこの『模倣犯』は力作ではあるもののやはり贅肉が多く、プロットの詰めが甘いと思える部分が散見される。もともとこの人はすっきりした筋立てで小説を書く人ではなく、『理由』にしても『名もなき毒』にしても最新作の『楽園』にしても、かなりひねった先の読めないプロットを作る。先が読めないのはいいが、それが散漫な印象につながる場合も多いように思う。これは私だけだろうか。実際私は『名もなき毒』とか『誰か』とかのストーリーをもうまったく思い出せない。最近読んだばかりの『楽園』にしてもすでに忘れかけている。これは私がアホだからか。必ずしもそうとは言えないのではないか。もちろん『火車』は例外だが。

 この作品は連続殺人を時系列に追うという比較的分かりやすいストーリーではあるが、やはり発見者の少年、被害者家族、ルポライター、警察、そして犯人と色んな視点で物語が展開し絡んでいく複雑な構成になっている。おおざっぱにいうとまず被害者・警察視点で話が進み、唐突に犯人らしき連中が判明したところで中断、第二部で時間を遡って犯人側の物語になる。そして第三部でその後、つまり真犯人が暴露されるまでの話が色んな視点で語られる。

 面白い小説であることは間違いない。メディアを利用する犯罪という発想も面白いし、巧緻でありながらどこか幼稚な犯人像もいける。登場人物も多彩だし、一人の人物の中に善と悪が見え隠れするお得意の多面的な人間ドラマもうまい。けれどもストーリーが二転三転し、やたらツイストをきかせているせいか、物語の展開にいやに不自然さを感じる部分がある。例えば高井和明は栗橋浩美の犯罪に気づき、なんとかやめさせたいと思って悩むが、呼び出されるとノコノコ出て行って捕まってしまう。「こんなことじゃないかと思ってた」と言うが、だとしたらあまりにアホじゃないか。それから彼の妹の高井由美子は、前半は栗橋浩美にくってかかったりするそれなりに勝気な女の子なのに、後半には網川の顔色を伺って何一つ自分では決められない操り人形のようなキャラクターに激変してしまう。彼女が被害者遺族の集まりに押しかけていって兄の無実を訴えるエピソードがストーリー上重要になっているが、あの行為もものすごく不自然だ。まあ肉親が加害者になって家庭が崩壊したら人格だって変わるということかも知れないが、読んでいてこうまで違和感を感じるというのは説得力がないのだと思う。

 それからなんといっても、ピースが正体を現す大詰めの仕掛けがあまりに子供っぽい。要するに、自分の犯罪に芸術家的なプライドを持っていたピースが「模倣犯、猿真似」と言われてカッとなってつい本音を吐いたということだが、そんなことで犯罪者が自白したら警察は苦労しないだろう。そんな奴が絶対いないとは言わないが、少なくともこの長大な物語のクライマックスとしてはあまりに物足りないといわざるを得ない。『刑事コロンボ』のエンディングでも苦しいぐらいだ。

 というような不自然な部分が時々ぽこんぽこんと見られ、それが気になる。先に書いたように細かいところをこれでもかと書き込んであり、迫力があるエピソードもたくさんあるだけに、急にそういう不自然なところがあると余計に「あれっ?」となってしまうのである。

 しかしまあ、なんだかんだ言ってこれだけの大長編を飽きずに最後まで読ませてしまう筆力はさすがだ。


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