アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

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三つの物語

2007-07-09 23:07:49 | 
『三つの物語』 フローベール   ☆☆☆☆☆

 岩波文庫の絶版本を古本で入手。活字体も古いし、旧かなづかい。おまけに漢字も難しく、けっこう読めない。「いう」は「いふ」、「ほんとう」は「ほんたう」、「ように」は「やうに」。ページを開くとものすごい風格が漂う。読みづらいが、これはこれで雰囲気があって嫌いじゃない。

 フローベール自身によって発表された最後の本らしい。遺作の『ブーヴァールとペキュシェ』は未完となっている。解説によれば、この三つの物語こそ、その形式においても精神においても、この人の芸術・作品の完璧な総合であるといわれている、らしい。確かにそういわれるのも納得できる見事な出来だ。私は『ボヴァリー夫人』しか読んだことがなくて、今ひとつフローベールという作家のすごさが分からなかったが、この本を読んでよく分かった。やはりフローベール、あのミラン・クンデラが絶賛するだけのことはある。

 収録されているのは『まごころ』『聖ジュリヤン伝』『ヘロヂアス』の三篇。それぞれ趣が違う。解説によれば、『まごころ』には心理作家・写実作家としてのフローベールが、『聖ジュリヤン伝』には伝奇と超自然の作家フローベールが、『ヘロヂアス』には歴史と大自然の作家フローベールがいる、という。確かにそんな感じはする。

 『まごころ』はフローベール自身の記憶から題材がとられているらしいが、要はフェリシテという素朴な女中の一生を淡々と簡潔に綴ったものである。ちょっとした恋愛を経験し、女中になり、愛する甥を失い、奥様の娘が死に、奥様の息子が結婚し、オウムを飼う。と書くとなんだか退屈な身の上話みたいだが、これがどういうわけか面白い。やたら淡々とさくさく話が進む。エピソードの一つ一つもあっさりしていて、わざとらしい小説的な「腑に落ちる」ところがなく、あれ、これだけ? みたいな感じでどんどん進んでいく。そこが妙にリアルで、乾いた叙情性があって良い。しかも現代的だ。何を馬鹿なといわれそうだが、このさくさくした気持ちいい感じにはバロウズの『ジャンキー』を思い出させるものがある。

 『聖ジュリアン伝』は教会のステンドグラスに描かれている物語をそのまま小説化したものらしい。時代は中世で、城主の息子ジュリヤンの数奇な人生を、やはり淡々とスピーディーに描いていく。赤ん坊が生まれた時に幻影が現れて予言をしたり、牡鹿が呪いをかけたり、完全に超自然的な伝奇物語である。避けられない運命の中に、残酷さと崇高さを同時に描き出した格調高い寓話。天上的かつ神秘的な結末が待っている。

 『ヘロヂアス』は今度は古代の物語。宴会でサロメが踊りを披露し、ヘロデ王に預言者ヨカナンの首を切らせるという有名な場面を小説化したもの。三部構成になっていて、最初は昼間のシーンから始まるので途中まで分からなかった。私はサロメというとギュスターヴ・モローの絵画を思い出すが、色んな芸術の題材にされているので人によって色んなものを連想されることと思う。
 これは前の二篇と違い、一日の話なのでじっくりと場面描写される。語りのテンポはまるで違う。時代はもっとも現代から離れていて、題材そのものが神話的だが、描写は完全なリアリズムだ。

 という具合に、三篇がそれぞれ異なる題材、時代、手法で描かれていて、文句のつけようのない完成度。フローベール芸術の総合といわれても納得できる素晴らしさだ。 
 伝奇物語が好きな私は『聖ジュリヤン伝』が楽しみだったが、読んでみると一番面白かったのは『まごころ』だった。次が『聖ジュリヤン伝』、『ヘロヂアス』の順、つまり収録順に気に入った。しかし三篇とも良い。やはりフローベールはすごい作家だ。『ボヴァリー夫人』を読み返したくなった。それから、ジュリアン・バーンズの『フロベールの鸚鵡』も。ちなみに『フロベールの鸚鵡』の「鸚鵡」は、『まごころ』に出てくる鸚鵡のルルのことである。

 
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