アブソリュート・エゴ・レビュー

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見えない恐怖

2016-10-06 21:19:31 | 映画
『見えない恐怖』 リチャード・フライシャー監督   ☆☆☆★

 ミア・ファロー主演のスリラーをiTunesのレンタルで鑑賞。1971年公開、イギリス映画である。『ローズマリーの赤ちゃん』が1968年なのでその数年後だが、ショートヘアのミア・ファローはほぼ同じ雰囲気だ。ガラス細工の妖精を思わせる彼女独特の繊細さとよるべない少女のような風情が、こうしたクラシックな恐怖映画に不思議とよく似合う。今回の彼女の役どころは盲目の女性サラ。詳しい背景は説明されないが、どうやらなんらかの事故でさほど遠くない過去に視力を失った模様である。サラは田舎にある叔父夫婦の広壮な邸宅へ連れて来られる。みんなどことなくサラへの接し方に戸惑っている。サラは恋人スティーヴが営む厩舎に出かけ、帰宅する。邸宅内は静まり返っているが、サラはみんな外出しているものと思ってコーヒーを淹れ、レコードを聴き、バスタブにお湯をはる。ところが、実は叔父の家族は全員無残に殺されていた。

 盲人の女性を主人公にしたスリラーといえばヘプバーンの『暗くなるまで待って』を想い出すが、もともと舞台劇ということで脚本の面白さで見せた『暗くなるまで待って』に比べて、この『見えない恐怖』はより映像表現を活用し、ショッカー色が強いのが特徴と言えるだろう。『暗くなるまで待って』にも盲目のヒロインが死体に気づかない場面があったと記憶しているが、こちらはより強烈な形で見せる。サラが普通に歩き回っている広壮な邸宅の中に、叔父、叔母、その娘の死体が転がっているのである。観客にはもちろんそれが見えるが、サラは気づかない。無残な死体がゴロゴロしている中で普通に生活するサラ、という異様にサスペンスフルな状況がしばらく続く。

 それから犯人を最初から見せていた『暗くなるまで待って』と違い、こちらは犯人の正体を隠している。これも映画ならではの演出で、犯人は冒頭から登場するのだが足元のブーツしか見せないのである。途中、現場に落としたブレスレットを犯人が取り返しに戻ってきてからサラの命賭けの逃走劇が始まるが、その間も犯人の顔は決して見えないようになっている。当然それがプロット上も生かされており、終盤、犯人の正体について一種のどんでん返しが仕組まれている。

 また、静まり返った邸宅にサラが帰ってきたあたりから画面の構図が斜めに傾いたり下から見上げるアングルが増えて不安定になり、観客の不安感を煽る効果を上げている。この映画ではこうした映像テクニックがあちこちで、うまく使われている。

 更に密室劇だった『暗くなるまで待って』と違って、こちらは舞台が移動する。邸宅の敷地内からサラは馬に乗って逃げ出し、途中振り落とされて森をさまよい、その後ジプシーたちの集落、どことも知れないクリーク、厩舎、と舞台が移り変わっていく。もちろん盲目の女性であるサラが全部自力で移動するのではなく、大体は色んな理由で誰かに連れていかれるのだが、連れていかれた先でも数々のトラップが待ち構えている。この映画は前半こそスロースタートで哀愁漂うしみじみした雰囲気だが、サラが死体を発見してパニックになってからは怒涛の展開だ。ミア・ファローも崖を転げ落ちたり泥だらけになったり、ちょっとハラハラするほどの体当たり演技である。

 それにしてもサラはやっと助かったと思ったらまた…という状況が何度も続くが、あれじゃ誰も信じられなくなって自閉症になるんじゃないかと心配になる。

 英国の田舎、美しい邸宅、馬、森という抒情的な舞台設定に哀愁漂う音楽、そしてミア・ファローの寂しげな横顔。古き良きスリラー映画の香りがいっぱいで、いかにも秋の夜長に似合いそうなフィルムである。



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