アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

影武者徳川家康(その2)

2018-11-13 22:11:16 | 
(前回からの続き)

 前述の通り、本書の読みどころは「関ヶ原以後の徳川家康はニセモノだった」というとんでもない状況を仮定した上でめぐらされる、ありとあらゆる政治的駆け引きと権謀術数の物凄さであり、同時に、結果的にそれがどう史実となって残ったか、複数の記録の間で矛盾があるのはなぜか、という点を膨大な文献から引用しながら説明し尽くしていく知的離れ業にある。その事細かな説明には圧倒される(またはあきれる)他ないし、その説得力には思わず「これが本当の歴史だったんじゃ?」と思わされてしまう。いや、ホント。

 とはいえ、本書には恐るべき忍者集団・風魔一族や、島左近が実は関ヶ原以降も生きていたという設定、六郎が使う「不動金縛りの術」など、伝奇小説ならではのキャラクターやガジェットも登場して愉しませてくれる。島左近の剣技などほぼ超人だし、忍者が使う暗殺技や、敵の心理の裏をかく攻防などもワクワクしながら読める。要するに本書はきめ細かく史実に目配せした硬派な歴史小説と、どこまでも荒唐無稽な伝奇小説という両極端のハイブリッドなのである。おれは史実なんてどうでもいい、純然たるエンタメ好きなんだという人にも十分いける。

 それから本書で印象に残るのは、隠れキリシタンが重要な役割を果たしていることである。後半、秀忠への抑止力として大きな意味を持つ松平忠輝は、隠れキリシタンの支持を集め、その潜在的武力の起爆剤となるがゆえに秀忠にとって大きな脅威となる。また、キリシタンたちは現世的な動機では動かないので懐柔できない。政治的に抱き込むことが不可能であり、だから統治者にとって恐ろしい存在となる。しかも腹心の部下がいつの間にかキリシタンになっているかも知れないわけで、だからこそ信長や秀吉もキリシタンに手を焼き、それぞれのやり方でキリシタン対策を打ってきた。隠れキリシタンといえば武力を持たない弱者であり、一方的に虐殺されてきた無力な人々という印象があったが、それは少し素朴過ぎる見方だったようだ。

 ところで作者は徳川秀忠を残忍、陰湿、臆病で暗殺を好み、しかもいくさや統治の実際にはうとい暗愚な男として徹底的に憎まれ役に仕立て上げ、反対に二郎三郎を自由民の精神を持つ賢明かつ情にあつい統治者として描いている。最初の頃、二郎三郎がことごとく秀忠の上をいくあたりは読んでいていて単純に痛快だったが、豊臣家に因縁をふっかけて無理やりいくさに持ち込んだ「冬の陣・夏の陣」あたりは一体どういう説明がつくのかと思っていると、あれは秀忠のしわざということになっている。作者によれば、いくらなんでもあの因縁のつけ方は祖雑に過ぎて、すべてにおいて丁寧慎重な家康のやったこととは思えないという。

 が、司馬遼太郎の『城塞』では、狸おやじ=家康の本領発揮があの「冬の陣・夏の陣」ということになっている。こういうところは読み比べてみると面白い。家康が嫌いな司馬遼太郎と家康好きの隆慶一郎では、考え方が180度違ってくるのもむべなるかな。ちなみに司馬遼太郎によれば、用意周到な家康があんなあからさまなことをしたのは当時「後世の評価」という考え方がまだなかったから、だそうな。

 豊臣家の悲運の後継者・秀頼も、本書ではむしろ名君の素質がある人物として描かれているが、母親があの淀君だったというめぐりあわせ、そして抗いがたい歴史の趨勢が秀頼にすべてを諦めさせた、としている。うーむ、歴史というのは見方によってこうも違ってくるんだなあ。面白い。

 それにしても、淀君というのは司馬遼太郎『城塞』でも本書でもどうしようもない人間として描かれていて、はっきり悪役である。ヒステリックで高慢でプライドだけ高くてすべてにおいて愚かしい、最低最悪の女だが、これはもう誰が見てもそうなってしまうらしい。淀君が実は賢明で優しい、できた女性だった、なんて小説かマンガはどこかにないのだろうか。『あずみ』では多少マシだったような気がする。あのマンガでは、とにかく徳川家康がひどい悪役として描かれていた。

 さて、三巻の大長編が終わろうとする終盤、二郎三郎やお梶や島左近がこれまでの歳月、そして自分の人生を振り返ってああ面白かった、幸せだった、と感慨を漏らす場面がある。春の桜が美しく散っていく、その花びらの舞を見ながら、家康の影武者だった男がその言葉を口にするのである。決して安楽な、恵まれた人生ではなかったはずだが、彼は自分の人生を力いっぱい、思うがままに生きた。ああ面白かった、幸せだった、とは、そんな人間にだけが抱くことができる至福の感慨であるに違いない。私も、死ぬ時はこうありたいと思わずにはいられない。二郎三郎の最期は、私が考える人生の幕引きの理想形である。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿