アブソリュート・エゴ・レビュー

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太陽にほえろ! マカロニ刑事編 (その1)

2006-05-02 15:15:36 | テレビ番組
『太陽にほえろ! マカロニ刑事編(DVD Box 1&2)』   ☆☆☆☆

 しばらく前にある筋からマカロニ編のBOX 1&2を入手していたが、先日全部観終わった。いやー懐かしかった。マカロニ編は私もリアルタイムでは観ていないが、再放送で観た記憶がある。私がちゃんと観たのはマカロニ、ジーパンぐらいで、テキサス以降はあんまり観ていない。観ようとはしたのだが、テキサスにあまり魅力を感じず、つまらなくなって観なくなった。こういう人は多いんじゃないだろうか。なんせショーケン、松田優作と来て、勝野洋じゃパワーダウンはまぬがれない。役者としてのオーラが違う。その後もボンとかスニーカーとかラガーとか、どうでもいいような俳優ばかりになってしまう。マカロニ、ジーパンに太刀打ちできるのは沖雅也のスコッチぐらいである。

 まあとにかく、マカロニである。なんとなく『傷だらけの天使』の方がこれより前のような気がしていたが、こっちの方が早いらしい。ショーケン初起用のテレビドラマなのである。そのせいか、アドリブ続出の『傷天』に比べてまだまだ初々しい演技だ。演技がうまいとはあまり思わないが、とにかくカッコイイ。手足が長く、長髪で、スーツが決まっている。

 マカロニのキャラクターはショーケン自身のイメージを生かして、直情径行、若者らしい気負いに満ち、不遜さと素直さが入り混じった無鉄砲な若者、に設定されている。『太陽にほえろ!』の新人刑事デフォルトの性格設定である。松田優作のジーパンも同じ路線のキャラクターだが、ジーパンがだんだんハードボイルド的なクールさを漂わせ始めるのに対し、マカロニはあくまでナイーブである。もちろんこれはショーケン本人の持ち味だろうが、マカロニにはちょっとすねたような、母性本能をくすぐるようなところがある。

 しかしこの『太陽にほえろ!』、石原裕次郎とショーケンが二枚看板なわけだが、この歳になって観返してつくづく感じたのは、露口茂演じる山さんこと山村刑事の素晴らしさである。最初はマカロニを観たくて観始めたのだが、途中から私の目はもう山さんに釘付けになってしまった。マカロニよりもボスよりも、山さんである。もう、超クールとしかいいようがない。

 後の山さんが、だんだん静かなる知性派刑事というムードになるのに対し、登場時の山さんは角刈りで雀荘に入り浸る、得体の知れない職人肌のデカである。しかし熱血正義感のゴリさん、ダンディな殿下、普通のおじさんとしかいいようのない長さんなどが、まだまだ薄っぺらい単なる脇役キャラだったのに対し、山さんは最初から複雑な性格づけをされたキーパーソンとして登場する。それは現場に直行しようとするマカロニが山さんと初対面し、なかなか現場に行こうとしない山さんに業を煮やすエピソードからも明らかである。新人刑事の成長を描こうとした『太陽にほえろ!』において、山さんは新米マカロニの対極にある刑事像として準備されたキャラクターだったように思える。少なくとも、山さんの刑事としてのしたたかさと凄みは、完全にボスをしのいでいる。

 例えば第二話『時限爆弾街に消える』。マカロニ主役編なのだが、この話は完全にマカロニと山さんの対照で成立している。自分に憎しみをぶつけてくる犯人に苛立ち、怒りをあらわにするマカロニ。山さんの対応は正反対である。どんなに犯人が増長し、嘲笑的になっても、山さんは友好的で柔和な態度を崩さない。タバコを勧め、愛想笑いをし、マカロニの代わりに土下座までする。それが犯人のふとした動揺を見た瞬間に一変する。「爆弾はどこにあるんだ、言え!」犯人の胸倉をつかみ、殴る殴る、あんなに怒っていたマカロニが青くなって止めに入るほどである。そのすさまじい迫力に、犯人は爆弾のありかを白状する。

 そんな凄腕の職人デカ、山さんだが、その妻との関係を描くいくつかのエピソードで今度はその人間性が掘り下げられる。山さんの妻高子には心臓病があるが、第11話『愛すればこそ』で彼女は倒れ、危険な状態になる。山さんはその時出所したばかりの男を尾行している。ボスを始め七曲署の刑事達は山さんに病院に駆けつけるよう連絡するが、山さんは尾行を止めない。ここでも声高に山さんを非難するのはマカロニである。「何考えてんだ、あの人は」それなら自分が代わりにと、マカロニはつききりで高子の看病をする。
 そして結局、山さんは事件の片がつくまで病院には行かないのである。妻の高子が生死を分ける手術をしているというのにである。事件が終わり、ようやく山さんは病院に駆けつける。手術は成功し、彼女は助かっている。山さんは高子に言う。「そばにいてやれなくて、すまなかった」すると高子は言う。「私、刑事の妻よ」

 これは一見、凄腕デカとしての山さんが、その事件への執念故に妻に強いている犠牲と献身、を描いたエピソードのように見える。いくらなんでもひどい、と観ている人は思うだろうし、七曲署の刑事達もさすがに困惑気味である。

 しかしこのテーマは、第23話『愛あるかぎり』で更に掘り下げられる。刑事としての自分の仕事が高子にストレスを強いていて、その生命を危険にさらしていると医者に告げられた山さんは、刑事を辞めようとする。高子にも隠して、仕事を斡旋してもらおうとするのだ。ところが高子がチンピラに誘拐されるという事件が起き、山さんはゴリさんの協力を得て高子を救出する。救出された高子は山さんに言う。「お願いですからもう二度と、あたしのために、刑事を辞めるなんて言わないで。体の弱い私が、こうしてあなたについてこられたのは、あなたが生きがいのあるお仕事をなさってると思っているからなのよ。…お願いだから、ずっと刑事でいて。ずっと。ずっとよ」山さんは無言で、彼女を見つめるだけだ。

 夫婦の関係というのははたで見ているだけでは分からないものだ。山さんは本当に妻に犠牲を強いる頑固者のデカなのか。彼は妻のために刑事を辞めようとしたのである。そしてそれを止めたのは妻の高子だった。山村刑事とその妻の関係は、夫のわがままと妻の献身という単純な図式では割り切れないものを感じさせる。少なくとも山さんと高子の間に、余人には伺い知れない信頼と愛の絆があることは間違いない。

 ところでこの山さんの妻の高子さん、妙に色っぽい。上品な感じであるが、どっちかというと清純派というよりセクシー系である。最初は山さんのイメージに合わない気がしたが、山さんもいい男なのでそのうちお似合いの夫婦に見えてきた。

(明日に続く)


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