『ワイルド・ソウル』 垣根涼介 ☆☆☆☆★
垣根涼介という作家さんの本を初めて読んだ。ミステリや冒険小説や時代小説など幅広くエンタメ小説を書いている人だが、本書は1900年代に日本政府が推進したブラジル移民の話をベースに、日系ブラジル人たちの子孫が日本政府に復讐するという一種のピカレスク・ロマンになっている。ただし、真正の犯罪者を主人公にして人間のダークサイドを掘り下げる馳星周みたいな小説(『不夜城』など)とは違い、主人公たちはアウトローではあるものの罪のない人を巻き込まない、友情に篤い、義理堅い、と実に健全だ。言ってみれば義賊みたいなもので、だからこの小説も重厚さやリアリティにはいささか欠けるものの、その反面とても爽やかでドリーミーで、かつ痛快な娯楽小説である。
1900年代のブラジル移民政策の話は以前小林よりのりの『ゴーマニズム宣言』で読んで知っていたが、実にひどい話である。要するに、国を挙げた「棄民」政策なのだ。農家の人々を国が甘言で騙し、とても人が住めないようなアマゾンの奥地に送り込んでそのまま見捨てたという、信じがたい悪辣な所業である。騙された人々は必死に生きていこうともがくが、そもそもアマゾンの土壌に農作物は育たないのだからどうにもならない。ある家族は病気で死に、ある家族は餓えで死に、死ななかった家族は掘っ立て小屋に住み子供を学校にもやれない土民と化すか、または乞食になるしかなかったという。
この物語はまず、当時ブラジルに移り住んだ一家が直面する現実から始まる。外務省が事前に宣伝した夢のような売り込み文句、ブラジルへ到着した時点の事務的なごまかしと言い訳、そしていったんアマゾンに送り込まれてからの対応(というか完全な無対応)。現地での生活は地獄である。何より、今よりいい生活を夢見て妻や子供と一緒に海を渡ってきた男たちは、自分の家族に顔向けできない。男も女も、自分の国に騙されたという幻滅に耐えながら、生きるために地面を這いずり回り、へとへとになるまで働かねばならない。そしてそんな中で、力を合わせて働く仲間たちは一人、また一人と死んでいく。
陰惨で重たい描写が続く。この章を読むと、読者の外務省に対する怒りは間違いなくマックスまで膨れ上がることになる。こいつら全員殺してよし、となること必定である。そして時は現代に飛び、移民の子孫たちの外務省に対する復讐劇が始まる。うーん、盛り上がる。これで燃えない読者はいないだろう。
冒頭の陰惨で深刻な雰囲気が現代篇でもそのまま続くかと思いきや、そうはならない。主に日系人青年ケイのキャラによるものだが、一気に明朗闊達なムードとなる。ケイはたくましくて享楽的な日系ブラジル人で、いい女とみればすぐスケベー根性を出し、行儀が悪く、自分勝手だが、男としての誇りと美学を胸に生きている。彼は日本にやってきて、二人の仲間とともに復讐計画を始動させる。が、そんな中でも通りで見かけただけのTV番組記者・貴子に目をつけて口説き、ベッドに連れ込むという能天気さである。これには仲間も呆れるが、そんなケイがこの物語の爽快さを担うキャラクターであり、著者のラテンアメリカ的人生への憧れを体現する人物であることは間違いない。
二人の仲間というのは麻薬カルテルの一員・松尾と清掃会社勤務の初老の男性・山本で、山本は車や機材調達や外務省ビルへの仕掛けなど事前準備を担当し、警察に追われることになるのでコトが始まる前に日本を離脱する役割、松尾はケイとコンビを組んで計画を実行する役割。山本は自分自身移民となって南米をさまよった過去を持ち、天涯孤独の松尾は麻薬カルテルのボスに育てられ、今では犯罪組織に首まで浸かっている。それぞれ鬱屈を抱えており、能天気なケイと違って陰のあるキャラクターだ。特に犯罪組織の松尾は、終盤では組織が放った殺し屋と対決するなどノワールな色彩を本書にもたらしている。ケイが明、松尾は暗を担当し、それぞれでバランスが取れる図式だ。
その復讐劇に巻き込まれていくのが、日本のTV番組記者・貴子で、アナウンサーから記者に転身したものの仕事がうまくいかず悶々としているところにケイと出会い、この日本人とは違うワイルドな人生観で生きている能天気男に反発しながらも惹かれていく。この二人のラブストーリーはちょっとコミカルな部分もあり、この物語を更に快活に華やかに彩っていく。特にラストがグッド。ラストシーンはこの二人の再会なのだが、まるで『ショーシャンクの空に』を思わせる開放感と幸福感で、そこにコミカル色も加わって底抜けに爽やかなエンディングとなっている。
とにかく、何も考えずに疾走感溢れるストーリーに身を委ねたい時には最適のエンタメ小説である。ページターナーとして高性能だ。復讐劇としては少々アクが弱いところが重厚なミステリを期待する読者には物足りないかも知れないが、なんといっても全編に溢れるこの爽快感が素晴らしい。まるでサンバやサルサが行間から流れてくるようだ。
垣根涼介という作家さんの本を初めて読んだ。ミステリや冒険小説や時代小説など幅広くエンタメ小説を書いている人だが、本書は1900年代に日本政府が推進したブラジル移民の話をベースに、日系ブラジル人たちの子孫が日本政府に復讐するという一種のピカレスク・ロマンになっている。ただし、真正の犯罪者を主人公にして人間のダークサイドを掘り下げる馳星周みたいな小説(『不夜城』など)とは違い、主人公たちはアウトローではあるものの罪のない人を巻き込まない、友情に篤い、義理堅い、と実に健全だ。言ってみれば義賊みたいなもので、だからこの小説も重厚さやリアリティにはいささか欠けるものの、その反面とても爽やかでドリーミーで、かつ痛快な娯楽小説である。
1900年代のブラジル移民政策の話は以前小林よりのりの『ゴーマニズム宣言』で読んで知っていたが、実にひどい話である。要するに、国を挙げた「棄民」政策なのだ。農家の人々を国が甘言で騙し、とても人が住めないようなアマゾンの奥地に送り込んでそのまま見捨てたという、信じがたい悪辣な所業である。騙された人々は必死に生きていこうともがくが、そもそもアマゾンの土壌に農作物は育たないのだからどうにもならない。ある家族は病気で死に、ある家族は餓えで死に、死ななかった家族は掘っ立て小屋に住み子供を学校にもやれない土民と化すか、または乞食になるしかなかったという。
この物語はまず、当時ブラジルに移り住んだ一家が直面する現実から始まる。外務省が事前に宣伝した夢のような売り込み文句、ブラジルへ到着した時点の事務的なごまかしと言い訳、そしていったんアマゾンに送り込まれてからの対応(というか完全な無対応)。現地での生活は地獄である。何より、今よりいい生活を夢見て妻や子供と一緒に海を渡ってきた男たちは、自分の家族に顔向けできない。男も女も、自分の国に騙されたという幻滅に耐えながら、生きるために地面を這いずり回り、へとへとになるまで働かねばならない。そしてそんな中で、力を合わせて働く仲間たちは一人、また一人と死んでいく。
陰惨で重たい描写が続く。この章を読むと、読者の外務省に対する怒りは間違いなくマックスまで膨れ上がることになる。こいつら全員殺してよし、となること必定である。そして時は現代に飛び、移民の子孫たちの外務省に対する復讐劇が始まる。うーん、盛り上がる。これで燃えない読者はいないだろう。
冒頭の陰惨で深刻な雰囲気が現代篇でもそのまま続くかと思いきや、そうはならない。主に日系人青年ケイのキャラによるものだが、一気に明朗闊達なムードとなる。ケイはたくましくて享楽的な日系ブラジル人で、いい女とみればすぐスケベー根性を出し、行儀が悪く、自分勝手だが、男としての誇りと美学を胸に生きている。彼は日本にやってきて、二人の仲間とともに復讐計画を始動させる。が、そんな中でも通りで見かけただけのTV番組記者・貴子に目をつけて口説き、ベッドに連れ込むという能天気さである。これには仲間も呆れるが、そんなケイがこの物語の爽快さを担うキャラクターであり、著者のラテンアメリカ的人生への憧れを体現する人物であることは間違いない。
二人の仲間というのは麻薬カルテルの一員・松尾と清掃会社勤務の初老の男性・山本で、山本は車や機材調達や外務省ビルへの仕掛けなど事前準備を担当し、警察に追われることになるのでコトが始まる前に日本を離脱する役割、松尾はケイとコンビを組んで計画を実行する役割。山本は自分自身移民となって南米をさまよった過去を持ち、天涯孤独の松尾は麻薬カルテルのボスに育てられ、今では犯罪組織に首まで浸かっている。それぞれ鬱屈を抱えており、能天気なケイと違って陰のあるキャラクターだ。特に犯罪組織の松尾は、終盤では組織が放った殺し屋と対決するなどノワールな色彩を本書にもたらしている。ケイが明、松尾は暗を担当し、それぞれでバランスが取れる図式だ。
その復讐劇に巻き込まれていくのが、日本のTV番組記者・貴子で、アナウンサーから記者に転身したものの仕事がうまくいかず悶々としているところにケイと出会い、この日本人とは違うワイルドな人生観で生きている能天気男に反発しながらも惹かれていく。この二人のラブストーリーはちょっとコミカルな部分もあり、この物語を更に快活に華やかに彩っていく。特にラストがグッド。ラストシーンはこの二人の再会なのだが、まるで『ショーシャンクの空に』を思わせる開放感と幸福感で、そこにコミカル色も加わって底抜けに爽やかなエンディングとなっている。
とにかく、何も考えずに疾走感溢れるストーリーに身を委ねたい時には最適のエンタメ小説である。ページターナーとして高性能だ。復讐劇としては少々アクが弱いところが重厚なミステリを期待する読者には物足りないかも知れないが、なんといっても全編に溢れるこの爽快感が素晴らしい。まるでサンバやサルサが行間から流れてくるようだ。
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